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「方便」は「オノレがズルをするためにつく嘘」とは違います【誤用】 [仏教]

「方便」は「オノレがズルをするためにつく嘘」とは違います【誤用】

私たちは日常的に、「嘘も方便」という言葉を使います。「物事をスムーズに運ぶためには時として嘘も必要である」という意味の慣用句です。つまり、方便は「嘘」という意味で使われていますが、もととなっている仏教界では、方便は決してそのような意味や使い方ではないのです。

一般に、嘘をつくことは良くないことだとされますが、時には嘘をつくことで、物事を円滑に進めることができる場合がある、と判断した場合、一時的に虚偽の話をすることがあります。

それを、「嘘も方便」といいます。

たとえば、野球選手が、ケガをしたことを隠して「ケガはしていません」もしくは「大したことありません」と言って試合に出続けることがあります。

休んでいるうちに、代役の選手が活躍したら、自分のポジションを奪われてしまうかもしれないからです。

これをもって「嘘も方便」といいます。

ケガを黙って出場することは、場合によってはチームに迷惑をかけますが、自分のコンディションは自分自身が判断するという考え方もあり、難しい判断を迫られる問題です。

ただ、言葉の使い方としては、本来の意味とは違います。

行きたくない飲み会に、仮病や、その時でなくてもいい、もしくはそもそも存在しない用事を口実に断る場合も、「嘘も方便」という言葉が使われます。

「あいつが出るから出席したくない」なんて言えないし、せっかく声をかけてくれた幹事に対しても、穏便にお断りしたい場合には、そういう方法をとることもあるでしょう。

たとえ一時的にでも自分の本音を言いたくないとき、適当な意見でお茶を濁しておく場合も「嘘も方便」と言います。

あとで真意を分かってもらえばいいとか、別にどう思われても大したことではなく、それよりもその話題をスルーしたいというときにそんな態度を取ります。

目的は様々ですし、それぞれ言い分もわかりますが、そこに共通するのは、

1.自分の目的を達成するために
2.嘘をつく

ということです。

結果良ければ全て良し、ということでしょうか。

この慣用句は、仏教の「方便」という概念に由来しています。

ただし、仏教で言う「方便」は、決して「自分の利益」のためでもないし、「嘘」という意味でもありません。

有名な仏教の教え『芥子(ケシ)の実の話』


仏教でいう「方便」とは、真理を理解し実践することが難しい一般の人々を導くために用いられる「回り道」のようなものです。

仏教では、宗派問わず一般的な教化の手法です。

つまり、「自己の利益のため」にすることではないのです。

お釈迦様の教えや、浄土真宗の経典とも言える親鸞の『教行信証』にも「方便」はあります。

説話としては、『芥子(ケシ)の実の話』がよく例に出されますね。

キサー・ゴータミーの幼い息子が、突然死んでしまいました。

動かなくなった子供を見て、キサー・ゴータミーは、現実を受け入れられませんでした。

心ある人が、そんなキサー・ゴータミーに、「祇園精舎におられるお釈迦様を訪ねるように」と勧めます。

子供を一目見たお釈迦様は哀れに思われ、彼女に優しく言います。

「これから町へ行って、芥子の種をもらってきなさい」

「そんな簡単なことで解決するのですか?」

「その通り。ただ一つ、条件がある。その芥子粒は、今まで死んだ人のいなかった家からもらってこなければならない」

キサー・ゴータミーは、あちこちの家を回りますが、そんな家はありませんでした。

お釈迦様の教えを実行することによって、だんだんと冷静になりわかってきたのです。

「お釈迦様。かつて死人のいなかった家はどこにもありませんでした。私もやっと現実が受け入れられました」

「そうだよ、キサー・ゴータミー。人はみな死ぬのだ。わかってくれたか」

という話です。

ここでお釈迦様が、彼女にいきなり、「人はみな死ぬのだ」と居丈高に叱り飛ばしても、彼女は受け入れなかったでしょう。

芥子の実を探させる手間という「回り道」はしたものの、それによって真理にたどり着いた。

これをもって「方便」というわけです。

「オノレがズルをするためにつく嘘」ではない


現代でよく例えられるのが、写真撮影です。

撮影の結果は、シャッターを押した瞬間ですが、それ以前に、「もっと正面向いて」「間を詰めて」なんてカメラマンが被写体に注文を出しますよね。

その「注文」があってこそ、一葉の写真が完成するわけですが、「注文」に当たる部分が「方便」なのです。

まあ、「嘘も方便」という言葉も一般化しているので、使ったからと言ってどこからか抗議される、ということはないと思います。

が、あからさまな「オノレがズルをするためにつく嘘」としての使い方は、仏教の修行で言う六波羅蜜の「正語」にもとる使い方であることは間違いありません。

「正語」というのは、読んで字のごとく。正しく語る。つまり、真理に合ったことを、目的にぴったり合った表現で言うことです。嘘を言うなど、もってのほかです。

たとえば、ズル休みのために言う「腹痛」は、決して本来の意味の「方便」ではないんですよ。

ということで、今年も、私の芥子粒ほどの仏教知識を、惜しげもなく記事にご披露したいと思っております。

気になる仏教語辞典: 仏教にまつわる用語を古今東西、イラストとわかりやすい言葉でなむなむと読み解く - 弘潤, 麻田
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コメント 7

赤面症

飲み会の仮病は、断られた方も義理で誘ったので
ホッとしたりすることもあるから、お互い様のときもあったりして(・∀・)
by 赤面症 (2024-01-06 01:10) 

pn

恥ずかしながら方便は方言の別の呼び名かと思ってましたf^_^;
by pn (2024-01-06 06:23) 

mm

おはようございます^^
どうやらわたくしも間違って使っていたようです(__;
by mm (2024-01-06 06:52) 

安奈

こんにちは。
嘘も方便の嘘は、相手の為につく嘘だと思っていたので、
そんなに間違っていないでしょうか?
by 安奈 (2024-01-06 09:34) 

お散歩爺

方便は嘘をつくことも今は社交辞令と言うことなんですかね?。
by お散歩爺 (2024-01-06 10:06) 

コーヒーカップ

ほどほどの嘘は潤滑剤だと思ってます
by コーヒーカップ (2024-01-06 18:22) 

tai-yama

説明してもわかってもらえないから実体験してもらうと。
そうなると、業務手順書よりは業務方便の方が
かっこいいかも(笑)。
by tai-yama (2024-01-06 23:06) 

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