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「4は縁起が悪い」は二重の誤り [仏教]

【「縁起」の使い方】「4は縁起が悪い」は二重の誤り【「4」の迷信】

「縁起」というのは、私たちの日常でもよく使われる言葉です。もともとは仏教の、かなり重要な意味を担っています。ところが、必ずしも正しい意味では使われていません。しかも、その象徴として「4」という数字を挙げる迷信がセットで使われることさえあります。



私たちは日常的に、「縁起がいい」とか「縁起が悪い」とか「縁起をかつぐ」というように、幸運や不運の前兆や手段として、「縁起」という言葉を使っています。

が、仏教の「縁起」の本来の意味とは大きく異なります。

仏教の「縁起」とは、すべての事物が相互に依存して存在するという教えです。

4を「シ」というのはたんなる読み方



誰かと喧嘩しているらしいこのOGPは、どこかの文学作品の引用かどうかわからないのですが、とにかく二重に誤っています。
二度と相手しないけど言っておく。人の死を悼む投稿に4みたいな縁起の悪い数字のリポストやリプをつけてくる鍵垢。死者を冒涜する様なその行為は決して許されないし、お前を哀れだとしか思えない。限られたお前の時間をせめて大切にして欲しいと思っていたが、もうそんな気持ちもない。地獄に堕ちろ。— うまいごすの奇妙な読書 (@umaigos)

「人のシを悼む投稿」に「4みたいな縁起の悪い数字」は「シ者を冒涜する」という捨てゼリフ。

2つの点で間違っています。

1,「4」は仏教的にシ者を冒涜する数字ではない
2.「縁起が悪い」という言葉の使いかたを間違っている

「4」が悪い数字というのは単なる迷信です。

物を数える時に、日本がたまたまそう呼んでいるだけでしょう。

英語では「Four」、中国語では「Sei」。

まあ確かにね、病院やホテルでは「4」のつく部屋や階がないことがあります。

それは、入る人が、そういうことを気にすると困るからないだけで、病院やホテルで、「4」を使ってはいけないとされているわけではありません。

また、お布施やお祝儀などでは、「4」のつく金額を避けることが多いですが、それも根拠はありません。

そもそも「御霊前」「御仏前」に、「シ」を気にしたって仕方ありませんでしょ。

結婚式では「4」に限らず、「2」で割れる偶数の数字は使わない配慮があります。

今はだいぶ気にする人は少なくなりましたが、世代によっては、結婚式のお祝いなどに「2万円」はマナー違反らしいです。

合理的な根拠なんてありませんが、もらったほうが嫌がったら悪いから避けましょう。

それはともかくとして、仏教では、「4」は重要な数字として多くの用語に使われています。

四諦……苦しみの原因から解決までを段階的にあらわす4つの教え。苦諦、集諦、滅諦、道諦といいます。
四法印……仏教のもっとも基本的な4つの教え。諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静。
四苦八苦……人間が誰でも逃れられない4つと8つの苦しみ。生老病死、愛別離苦、求不得苦、五陰盛苦。
四菩薩……大乗仏教に出てくる四大菩薩。文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、勢至菩薩。

これらの用語は、仏教の教えの核心や美しさを表すものです。

仏教では、「4」は不吉な数字ではなく、むしろ尊い数字として使われているのです。

仏教の教えを正しく理解するためには、このような迷信に惑わされないことが大切です。

「縁起」にいいも悪いもない


仏教は、再三書いているように、神様が万物を造り差配して成り立っている、という立場にはありません。宗教としては異質な世界観なのです。

ではどうしてできているのか。

すべては、因果、因縁で、始めも終わりもなく、有機的につながり動いているという世界観です。

因果というのは、文字通り自然現象も社会現象も原因があって結果が生じる、という立場です。

その原因と結果は、単一的なものではなく、その「原因」は多方面に「結果」として現れ、さらに多方面の「結果」が原因となって、別の無数の「結果」に繋がっていく。

そのように、この世は因果が縦横無尽に繋がっている状態と見定め、それを「因縁」といいます。

たとえば、私たちの人格や存在は、親(先祖)、環境、社会などの「原因」による「結果」です。

これらの「原因」がなければ、私たちは存在できません。

そして、その「結果」である私たちの人格・存在が、今度は「原因」となって、ひとさまに迷惑をかけたり感謝されたり、生産活動をシたり、逆に消費をシたり、子孫を作ったり、という新たな「結果」を生じます。

この営みを更に拡張すると、すべての生き物と無生物、精神と物質を含めて万物は繋がっているともいえます。

仏教では、このようにすべての事物が相互に依存して存在するということを認めることが、正しく物事の成り立ちを認識できることであり、無明(無知)や煩悩を除くことにつながります。

その「因縁」によるつながりの状態を「縁起」というのです。

ですから、仏教の「縁起」とは、苦しみからの解脱を目指すために、万物の成り立ちを冷静に認識する、仏教の教えの核心を表す重要な用語なのです。

私たちは、「縁起がいい」とは、何か良いことが起こる予兆、もしくはそれを期待する出来事としています。

逆に 「縁起が悪い」とは、何か悪いことが起こる予兆としています。

「縁起をかつぐ」とは、良いことが起こるように願ったり、悪いことが起こらないように避けたりすることとしてなにかを行います。

これらの使い方は、自分にとって都合のよい結果を期待したり、都合の悪い結果を忌避したりすることを表しています。

しかし、仏教の「縁起」は、個人の都合に配慮なんかせず、すべての事物が相互に依存して存在しているだけです。

それを受け入れないから、人生は不満だの悲しみだのに満ちた「一切皆苦」になってしまうということです。

ですから、私たちが日常的に使う「縁起」は、仏教の「縁起」の本来の意味とはむしろ真逆になります。

まあ、日常的な意味で「縁起が悪い」と言ったところで、誰もクレームはつけないと思いますけど、世の中、それこそ「縁起」で、それが自分の人生に今後どう影響するかわかりませんよ。

間違った言葉の使いかたを恥じないと、見ている人は見ていますから、そのことで自分の評価が下がってしまうかもしれないし、逆に正しい言葉の使いかたを守る人は、人事や商談などで、ちゃんと信頼されて良い思いができるかもしれません。

それもまた、仏教の「因果応報」というものです。

まあ、こういうゴミのような知識も、記憶のどこかにとどめておかれて、余裕があったら実践してみませんか。

気になる仏教語辞典: 仏教にまつわる用語を古今東西、イラストとわかりやすい言葉でなむなむと読み解く - 弘潤, 麻田
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赤面症

人間誰でもいつかはお亡くなりになるのに、縁起が「悪い」という言い方がそもそも傲慢な気が(´・ω・`)
by 赤面症 (2023-12-09 01:10) 

pn

前から疑問だったんだけどご祝儀割れる数字はダメってわかるんだけど8万だったらどう受け止めるんだろうと。
by pn (2023-12-09 06:23) 

安奈

こんにちは。
縁起が悪いというのは、仏教ではなくて神道だと思ってました。
その辺詳しくないので言い切れませんが^^;
by 安奈 (2023-12-09 09:10) 

ゆきち

「シ」は音が同じというだけ。
ご祝儀3万円も1万5千円ずつに分けられる。
個人的にはなにも気になりませんが、きっとそれは少数派。
マナー違反になって相手の気分を害してしまってはいけませんから、忘れないように気を付けています。
by ゆきち (2023-12-09 11:01) 

Take-Zee

こんにちは!
自動車のナンバープレートに”42”とか”49”は
当てはめられていないと聞きますが・・ (^∧^)!

by Take-Zee (2023-12-09 12:52) 

tai-yama

「よんかい」と言ってしまえば良いだけと(笑)。
でも、仏教の本当の「縁起」の意味を知っている人は
少ないかも・・・・なかなか深いですね。
by tai-yama (2023-12-09 19:04) 

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