浄土真宗のお寺には、どうして御朱印や写経がないのか [仏教]
「浄土真宗のお寺には、どうして御朱印や写経がないのですか」という質問を唐突に受けました。御朱印を集める寺院巡りをしている方にとっては、「ご不満」のようです。私は仏門にある者ではなく、単なる末端の学修者に過ぎませんが、その理由ぐらいはわかります。
SSブログでは、寺院や神社を参拝されている記事をしばしば拝見しますが、その「しるし」として、御朱印の画像が最後に入ることが多いようですね。
ところが、浄土真宗の寺院は、普通御朱印はありません。
寺も経済的にはお金の動く「事業」なので、浄土真宗の寺院でも、門徒の要請で、位牌や塔婆などを作るところもありますから、もしかしたら御朱印を発行するところもあるかもしれませんが、浄土真宗寺院は原則発行しません。
「写経」というのは、経典(主に般若心経)の筆写です。
これも浄土真宗では行いません。
「お寺に行きました」「お経をせっせと筆写しました」という行為について、浄土真宗は成仏する要件としていないからです。
したがって、寺院や僧侶の名前や印章をもらうことには、本質的な価値に関わるものではないと考えるのです。
経典や仏像に対する信仰心も重視していません。
理由は、浄土真宗が、「他力本願」の宗派だからです。
実は、この「他力本願」という言葉が、誤解・誤用されまくっているんですね。
他力本願というのは仏教(浄土真宗)用語。
「人に頼りきること」という意味で使っている人が多いかもしれませんが、本来の意味は違います。
この際なので、そのへんも明らかにしましょう。
「自力」と「他力本願」は次元が違う
純粋に人生を変えるために今。
— ユウ (@yuto190602) October 12, 2023
力とお金を貸してくれる方いませんか。
他力本願でクソみたいなことを言ってるのは重々承知しております。
変わりたいです。
そのチャンスが欲しいです。
宜しくお願い致します。。
これなんか、典型的な使い方ですよね。
自分の力ではない⇒だったら他人の力、という意味で、「他力本願」という言葉が使われています。
「他力本願」とは浄土真宗の教えの根幹に関わる仏教用語ですが、「他人の力」という意味ではありません。
では、これはどうでしょうか。
他力本願なので神頼みしてきた?? pic.twitter.com/vjLvz8p4i2
— 松本いちか (@MatuMoto_arrows) October 19, 2023
「人」ではなく「神頼み」しているわけだから、他力本願というでしょうか。
仏教も宗教だし……いやいや、実はこれも、正しい「他力本願」の使い方ではありません。
このお嬢さんは、「神様にお願いすれば、きっとご利益をお与えくださる」と願って拝んでいるわけですよね。
「神様の力」だから、「他力」と表現しているわけです。
浄土真宗では、こういうのを「信罪福心」というんですけどね。
やってはならない悪いことや、逆に人様に喜ばれる善行に応じた、果報を招くという「因果応報」を信じて信仰に励むのは、「自力」なんです。
平ったく書き直しますと、信仰という手段を以て、自分の人生を良くしようとはたらきかけているわけですよ、このお嬢さんは。
それって、ちっとも他力ではないでしょ。
自分のことを、自分自身が自分の信心でお願いしているわけですから。
正真正銘の「自力」です。
「だったら他力って何よ。『神様』を『阿弥陀様』に差し替えればいいわけ?」
うーん、そういうことじゃないんだな。
「他力」というのは、お嬢さんの思議・努力・行動といった「主体的はたらきかけ」とは無関係な次元の話なんです。
阿弥陀仏の本願力によって、成仏させていただくという意味なんです。
浄土真宗というのは、すべての人を本当の幸せにしたいとする、阿弥陀仏の本願を拠り所にしています。
それを「他力本願」と言っているのです。
一所懸命念仏唱えるから、修行するから、禅を組んで悟るから、お経を筆写しまくるから、御朱印を集めまくるから、その対価として成仏させてもらえる、ということではないのです。
また、「他人の力」とも意味が違うのです。
悟れない人も悟れる人も、阿彌陀佛を信じるなら、みなさん成仏させましょうという教えなのです。
だからこそ、日本で一番門徒(檀家)の多い仏教宗派なのです。
真宗大谷派名古屋別院(通称東別院)尾張藩主徳川光友公より織田信秀公の古渡城址の寄進を受け建てられました。信長公はこの古渡城で元服したと言われます。他力本願の浄土真宗(写経は自力の修行)の寺の御朱印はないのが普通です?? pic.twitter.com/v5bOf1tRXl
— 唯円 (@168bluestar) February 27, 2021
まあ、詳しい教義内容は難しいので措いといて、要するに、「他力本願」は「自力の反対語の、ひとさまの力」ではない、というふうに認識していただけると幸甚です。
「他人任せ」で十分伝わります
冒頭の話に戻しますと、「御朱印」は、お寺に参拝しました、という証ですから、寺院や僧侶に対する信仰心の証明とみなされます。
「寺院や僧侶に対する信仰」は、主体的に行う行為なので、浄土真宗的には「自力」なのです。
写経も、「自力」で筆写するわけです。
だから、「他力(阿弥陀仏)本願」の浄土真宗では必要としていないのです。
それと、「他力本願」という言葉の使いかたについても、これを機会に「ひとさまの力」という意味で使うのは間違いであると注意しましょう。
そういう表現をシたい時にどうすればいいのか。
わざわざ奥の深い仏教用語を使わないで、「ひとまかせ」とか「他人の褌で相撲を取る」とか表現しておけばいいのではないでしょうか。
自ら発する文章や会話を知的に見せるために、格言とか日常的に使わない言い回しを入れることがありませんか。
でも、その使い方が間違っていると、逆効果になっちゃってるわけです。
目的は受け手に自分の思いや情報を正しく伝えることですから、それができなかったら元も子もありません。
自戒も込めていますが、言葉は正しく使いましょう、という話です。
というわけで、私が知ってるごく僅かな仏教用語なども、これからは惜しみなくこんな形で記事にとり上げたいと思っています。
気になる仏教語辞典: 仏教にまつわる用語を古今東西、イラストとわかりやすい言葉でなむなむと読み解く - 弘潤, 麻田
本来の意味を外れた日本語はもっと他にもありそう
by 赤面症 (2023-11-18 01:07)
>目的は受け手に自分の思いや情報を正しく伝えることですから、それができなかったら元も子もありません。
>言葉は正しく使いましょう、という話です。
いや~痛感しました。よくやってます、自分勝手な言葉使いを。
これからもいっぷくさんの仏教解説を記事にしてくださいね。
by 扶侶夢 (2023-11-18 02:46)
松本いちかを例えに出す所が俺の心をくすぐる(笑)
by pn (2023-11-18 06:24)
こんにちは。
他力本願、まさに間違った使い方をしてしまいました^^;
by 安奈 (2023-11-18 09:09)
こんにちは!
宗教にまったく疎いので各宗派の違いは
わかりません・・・
by Take-Zee (2023-11-18 09:51)
うう~ん、なるほど
たまたま婚家がそれですが、信仰心がない私は形だけ祈ってもダメと言うことですね
知らなかったです
by よいこ (2023-11-18 11:01)
浄土真宗にはいろんなしきたりがあるんですね。
仏教は難しいです。
by お散歩爺 (2023-11-18 11:03)
他力本願の意味、間違って理解をしていました
時々考えるんです
仏教が誕生する以前の人は成仏できないのかな~なんて。
人間は難しい事を並べて、心の拠り所が欲しいんですね
by ムサシママ (2023-11-18 14:13)
経済運営が厳しくなったり檀家が減ってきたりしたら
御朱印や写経を置くお寺が増えるかもしれませんね。
by そらへい (2023-11-18 15:08)
勉強になりました。
by 駄洒落好きな庭師 (2023-11-18 15:58)
人(自分・他人を含む)の力ではなく阿弥陀仏の力と。
自分でネタを書かない、つくらない、まとめ系とか
他人批判するだけのブログは他人の褌系と(笑)。
by tai-yama (2023-11-18 18:53)
「他力本願」なんて意味な言葉が四字熟語になっているのが変だなーと思ったことがあったけど、解釈が間違っていたんですね。なるほどです。
by itomaki (2023-11-18 22:10)
確かに勉強になりました!
by 風の友 (2023-11-19 01:31)