入門老荘思想(湯浅邦弘、筑摩書房) [仏教]
入門老荘思想(湯浅邦弘、筑摩書房)は、『老子』と『荘子』の読み解き、中国仏教への影響、日本やヨーロッパ諸国の受容など解説しています。無為自然による処世を説いた老荘の道家は、後の中国の主要な宗教である道教の教義の基本となりました。
道家とは、中国古代におこった思想的学派の一つです。
老子や荘子の説を奉じた学者の総称です。
まあ、〇〇派みたいなものですかね。
老子(紀元前571年頃~紀元前471年頃)というのは、中国春秋時代における哲学者で、莊子(紀元前369年頃~紀元前286年頃)は中国戦国時代の思想家です。
それぞれの同名の著作物である『老子』と『莊子』を以て、老荘思想と呼ばれます。
孔子の儒家思想と並び称されます。
老荘思想は、後の中国の主要な宗教である道教の教義の基本となりましたが、それだけでなく、仏教がインドから中国に伝わった際、中国人が仏教を受容しやすくする役割を果たしました。
こんにちの日本でも、老荘思想はしばしば使われます。
私の認識では、信仰の有無に関わらず、仏教は哲学、老荘思想は倫理や道徳として、日本人の精神に大きな影響を与えているのではないかと思います。
本書は、その入門書ということになっています。
無為自然とは「無」こそすべての根源という考え方
ただし、『老子』と『莊子』の読み下しと意味解説が続きますので、さーっと読んでも、「老荘思想とは〇〇である」と、簡潔に書かれているわけではなく、読者は読みながら考えることが必要です。
老荘思想は、老子を祖とし、莊子が発展させた学派として道家と呼ばれます。
老荘思想は、まとめると以下のような特徴があるといいます。
1.無為自然……人間は道に従って、無為に任せて自然に生きるべき。つまり、自分の欲望や利益を追求することや、社会の規範や制度に縛られることを否定します。
2.相対主義……物事には絶対的な善悪や是非はなく、すべては相対的なものである。人間の認識や判断は主観的であり、それが対立や争いを生む原因であると考えています。
3.自得……自分の本性や天分に満足して自分らしく生きること。 他人や外界に影響されずに自分の価値観を大切にすることを意味します。
つまり、人は「道」に従って、ありのままに、自分らしく、という思想です。
だから、ことさら何かを為すな、という考え方なのです。
では、「道」というのはなにか。
老子は、無をもって、天地万物の根幹たるものとする思想です。
つまり、万物のおおもとは「無」であるというのです。
無が根幹というのは、わかりにくいですよね。
「無」は「存在しない」という意味ではなく、人によって概念を定めない、すなわち「名付け得ない」という意味です。
もともと、「名付け得ない」ものから、万物が細分化され概念が定められた。
万物のおおもとは「名付け得ない」ひとつのものであるとする一元論なのです。
ですから、人間の作為を否定するのです。
たとえば、老子は、戦争のための軍備を拡張することに血道を上げるなら、最初から戦争がないようにすればいい。
そのためには、争いの原因となるあらゆるものを取り去ればいい、という考えです。
今の中国ときたら、この先人の思想を忘れたのか……という話は措くとして、「争いの原因となるあらゆるもの」の中には、もちろん他国の領土を侵略するなどの欲得は否定されますが、そもそも人間の智慧・知識なども含まれます。
賢くなるから欲が出てくる、というわけです。
しかし、賢くなるから社会は発展するのではないか、と思いますが、そもそも発展自体が無為自然に反するという考え方なのです。
また、莊子の夫人が亡くなった時、莊子は太鼓を叩いてお祭りモードだったといいます。
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「妻が死んだときは、わたしも失ったことの巨大さを感じていた。しかし、その根本に戻ってみたのである。そうすると、もともと生などなかったのである。生がなかっただけでなく、形もなかったのである。形がなかっただけでなく、気もなかったのである。もやもやした中で一緒に混じり合うことで、何かが変化して、気が生じた。気の中で何かが変化して、形が生じた。形の中で何かが変化して、生が生じた。いまや、また変化をして、死に向かったのである。それは、春夏秋冬の四季のめぐりとともに動いたのである。妻が大きな部屋の中で横たわって眠ったとき、わたしは涙を流すしかなかったのだが、よく考えてみると、命に通じていなかったからであって、そこでわたしは泣くのを止めた」。(『荘子』至楽篇)
妻は、おおもとの「無」に帰しただけだと述べられています。
この考え方は、仏教の諸行無常に似ているのではないか、と思われました。
仏教と老荘思想は似て非なるもの
そこで、インドから中国に仏教が伝わった際、儒教や道教が普及している中国人にも受け入れやすくするよう、仏教の「空」と、老荘思想の「無」を重ね合わせる啓蒙を行ったと言います。
ただし、現象は似ていても、根本的な考え方は違うんですけどね。
なんとなれば、仏教は万物が縁起と諸法無我、つまり原因と結果の関係が縦横無尽に、そしてはじめもおわりもなく無限に広がる中で構成されて成り立っているので、創造主(神様)を前提としないのです。
老荘思想の場合、おおもととなる「名付け得ぬもの」って、ではどこから来たの、誰が造ったの、という「そもそも論」に行き着きます。
何ものかが「最初」をつくなければならない理屈になりますから、老荘思想は創造主(神様)を必要とする理屈であり、そこが仏教とは根本的に違います。
老荘思想は、哲学的にはキリスト教やヒンドゥー教に近いですね。
「老荘思想」で検索すると、たくさんのページにヒットします。
しかし、では「老荘思想とは何だ」ということは、意外と知られていないのではないでしょうか。
私もいろいろ調べたかったのですが、わかりやすい老荘思想の書籍は、意外と少ないですね。
その意味では、まあ本書は研究者の本なので、「入門」というタイトルの割には、ちょっと気持ちを引き締めて読まれたほうがいいかもしれませんが、大変有用な書籍であることは間違いないと思います。
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晴耕雨読ですね。ただぶらぶらしてるだけの人も元気が出る教えです
by 赤面症 (2023-11-16 02:26)
泣かないのはまあいいとしてお祭り騒ぎは流石になぁ(^_^;)
by pn (2023-11-16 06:22)
お早うございます、アクションカメラ第二弾の
南郷上ノ山公園にコメントを有難うございました。
グランドやテニスコート・ドックラン・広場が
点在しています。外周が散歩コースかな・・・・
「自得」自分らしく生きることが、自分には合って
いる様に思いました。
by tarou (2023-11-16 07:11)
おはようございます!
これって中国人たちですよね・・・
こんな立派な偉人をむかしは輩出したんですか?
今の中国人たちも学ぶべきです。
by Take-Zee (2023-11-16 08:50)
難し過ぎてオツムの中が混乱しています
ただここだけは分かりました
人は「道」に従ってありのままに、自分らしく
私のような単純な人間にはこれだけ分かればいいかと・・・。
by ムサシママ (2023-11-16 10:42)
老荘思想、今の中国の幹部、この思想分かっているのか疑問ですね~。仏教との違いなど、とても難しい内容で、ちょっと理解に苦しんでますが、おおもとは無なんですね。
by drumusuko (2023-11-16 16:23)
老荘思想=道教なイメージですね。
風水とか黄色なお札とか。日本だとDr.コパさんな
イメージが!
by tai-yama (2023-11-16 23:28)