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そこが知りたかった!「右翼」と「左翼」の謎(グループSKIT著、鈴木邦男監修、PHP文庫) [政治]

そこが知りたかった!「右翼」と「左翼」の謎(グループSKIT著、鈴木邦男監修、PHP文庫)

そこが知りたかった!「右翼」と「左翼」の謎(グループSKIT著、鈴木邦男監修、PHP文庫)は、右翼と左翼に関する素朴な疑問や、気になることをわかりやすく説明しています。「右翼」と「左翼」の定義の変化や、連合赤軍事件などを解説しています。



『そこが知りたかった!「右翼」と「左翼」の謎』は、グループSKITが執筆、鈴木邦男さんが監修したものがPHP文庫から上梓されました。

ネットでは、「ネトウヨ」だの「アカ」だのと、独特の用語を使って政治についての意見を書きますが、そもそも基本的な認識がきちんとできているのか、怪しいものです。

その基本が、「右翼」と「左翼」の使い方。

もともとそれは相対的なものですが、ネット民によっては絶対的なものとの認識を抱いている人もいるので、そこから話が噛み合わなくなることがあります。

もちろん、本書の解説はそこから始まっています。

その意味では、ネットで政治論争をするときには、本書の内容をまず頭に入れてからにしていただきたいですね。

本書は、『「右翼」と「左翼」の謎がよくわかる本』を改題しました。

AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

「右翼」と「左翼」のそもそも論


本書『そこが知りたかった!「右翼」と「左翼」の謎』によると、「右翼」「左翼」という言葉の起源は、200年以上前のフランスにあったといいます。

フランス革命のまっただなかの1789年に開かれた国民議会において、右側に王党派、貴族派、国教派など旧体制を維持しようとする保守派が座り、左側に旧体制の打破を目指す急進派が座ったのです。

議会での席の位置関係、および議会の席の並び方が、鳥の翼のように見えたことから、 以後、保守派を「右翼」、急進派を「左翼」と呼ぶようになったそうです。

ただ、ネット民の一部は勘違いているかもしれませんが、「左翼」という言葉は、たんに「急進的に体制の変革を求める派」という意味であり、イコール共産主義とか社会民主主義とかいうことではありません。

もうひとつ大事なことは、右翼と左翼というのは、絶対的なものではなく、相対的なものだということです。

フランス革命は、「左翼」が勝利し、議会は「急進派」によって占められることとなりました。

すると今度は、同じ「急進派」のなかで、比較的穏健(保守的)な派が右側に座り、さらなる急進的な改革を求める派が左側に座ったのです。

ある政局で左側にいた会派が、次は右側ということは、今もめずらしい話しではありません。

ですから、「右翼」はどこまでいっても「右翼」で、「左翼」はどこまでいっても「左翼」というわけではないのです。

……とまあ、こういった解説が書かれているのが本書です。

これが連合赤軍事件の真相だ!


『4章 左翼の重大事件と重要人物』の『革命戦士たちは、なぜリ◯チによって仲間をコロしたの か?ー連合赤軍事件』から要約します。

1972年2月19日に発生したあさま山荘事件を起こしたのは、連合赤軍です。

事件の一部始終はテレビで放映され、民放・NHK合わせて89.7%という驚異的な視聴率を記録。

お茶の間に、過激派の恐ろしさを知らしめたのです。

連合赤軍は、森恒夫率いる「共産主義者同盟赤軍派」と、永田洋子を指導者とする「革命左派」が合流して結成された左翼グループてす。

両派は、毛沢東の「農村から都市へ」という戦術理論に従い、 群馬県の山中に「山岳ベース」と呼ばれる拠点をつくり、そこで合同軍事訓練を行なっていました。

しかし、資金調達に下山していた幹部が警察の山狩りで逮捕され、警察の包囲網が迫ってきました。

逃亡したメンバーのうち5名が、長野県軽井沢町で警察に発見されると発砲。

要するに、彼らは拳銃を持ってたんですよ。

そして、付近の別荘地にあった「浅間山荘」に逃げ込み、管理人の妻を人質にして立てこもったのです。

警察内の縄張り争いから、長野県警と警察本部との間で軋轢があり、指揮系統は乱れていたなどから、事件は長引きました。

犯人グループとのにらみあいは9日間にわたり、その間、警察側は送電の停止で犯人の疲労を誘い、大型のクレーン車の鉄球で建物を破壊。

開いた穴に放水し、2月28日に二重にしたジュラルミン盾を並べながら警官隊が突入。

激しい戦闘の末に三階部分にいた犯人全員を逮捕し、無事に人質を保護しましたた。

無事と書きましたが、犠牲者はいました。

警官2名に民間人1名、さらに16人が重軽傷を負っています。

これは、たんなる立てこもり事件ではありませんでした。

山荘内の軍事訓練で、凄惨なリン チサツ人が行なわれていたことが明らかになったのです。

このことは「山岳ベース事件」という事件名がついています。

本書によると、連合赤軍が結成される前の1971年8月、革命左派の永田洋子が山岳ベースから脱走したメンバー2名を千葉県印旛沼で殺害し、裸にして埋めていました(印旛沼事件)。

連合赤軍はリーダーの森、サブリーダーの永田による独裁。

集まったメンバー29名で、そのうち女性が10名いましたが、山岳ベース内では「総括」というリ ンチが行なわれていました。

総括と言っても、活動報告と反省会などという学級会レベルの話ではなく、「真の革命戦士」になるために誰かを自己批判させ、さらに「殴ることは指導である」として、メンバーが対象者を次々とリ ンチで反省させるものでした。

それは「総括援助」なる名称が付けられましたが、リ ンチ理由は「タバコをやめない」 「恋人とキスしていた」など、じつに些細なこと、というよりそもそも「革命」を標榜する活動と何の関係があるのかというものでした。

キスもできなくなる社会への革命なんて、まっぴらごめんですからね。

リン チでシぼウするのは、「総括できなかったことによる敗北シ」だそうです。

一部には勘違いがあり、一般のサツ人事件に比べて、連合赤軍のような政治思想的トラブルは容認できるような考えがあるようですね。

信じがたいことですが、安倍晋三さんサツ害も、容認している人がいまだにいるでしょう。

安倍晋三さんの政治姿勢や政策に対する批判は批判。

人ゴロしに「よい」「悪い」なんていう区別はありません。

というわけで、実に読みごたえのある本書です。

あさま山荘事件、覚えていますか。

そこが知りたかった! 「右翼」と「左翼」の謎 (PHP文庫) - グループSKIT, 鈴木 邦男
そこが知りたかった! 「右翼」と「左翼」の謎 (PHP文庫) - グループSKIT, 鈴木 邦男
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コメント 9

赤面症

右翼とか左翼とかにこだわるのは、自分がどっちかに属していることで政治参加しているつもりになれる、帰属意識もあると思います
by 赤面症 (2023-10-25 01:30) 

萌田かずきち

永田洋子はたしか、妊娠してるメンバーの女性をお腹の
子供ごと鉄骨でくし刺しにして〇ろしたりしてましたね。
たまに昭和史も勉強してると、色々残酷なのが
出てきますね。
by 萌田かずきち (2023-10-25 05:37) 

Take-Zee

おはようございます!
右翼も左翼も・・両翼は敬遠してます。

by Take-Zee (2023-10-25 06:10) 

pn

素直に共産とか言えばいいだけかf^_^;
by pn (2023-10-25 06:30) 

よしあき・ギャラリー

どっちも厄介な気がします。^^;
by よしあき・ギャラリー (2023-10-25 06:31) 

扶侶夢

あさま山荘は私が海外に行っていた頃の事件でしたが、私を調べに実家に公安が来て両親が驚いたというエピソードがあります。日本の情報力のスゴさコワさを肌で感じました。
by 扶侶夢 (2023-10-25 09:32) 

ムサシママ

連合赤軍が引き起こした数々の事件は悍ましすぎます
浅間山荘事件では警察官が命を落とされているので尚更です
by ムサシママ (2023-10-25 14:58) 

そらへい

人は狭く凝り固まってしまうと
あんなふうになってしまうのですね。
by そらへい (2023-10-25 21:06) 

tai-yama

日本だと、衆議院が右から大会派順にならんでいきますね。
一時期は民主党が一番右だったと。
by tai-yama (2023-10-25 22:35) 

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