「伝説の日本シリーズBEST10 炎のカウントダウン史上最高のプロ野球よ、もう一度!」という特集ページが組まれているのは、今週号の『アサヒ芸能』(10.31特大号)です。どの年の日本シリーズが「印象的なシリーズ」だったか、10位までを選んだものです。
トップページには「第10位」として、1971年の巨人対阪急戦が選ばれています。第3戦で王貞治が山田久志から打った球史に残る逆転サヨナラ3ランの写真を掲載。題して「王貞治VS山田久志。これが球史に残るサヨナラ本塁打!」
日本シリーズは、あの“お祭り男”長嶋茂雄の活躍が目立ち、実は王貞治はあまり目立つ場面がなかったので、その意味でも印象深い一打でした。
私は子供の頃、「長嶋派」ではなく「王派」だったので、この試合はよく覚えています。
指揮をとった川上哲治監督をして「シリーズの流れを変えた」(『巨人軍の鬼と言われて』より)と言わしめたものです。
川上巨人にとっては9連覇のうちの7連覇目にあたる年です。
阪急は、上田利治監督の時に隆盛を誇ったあの“憎ったらしいほど強かった”黄金時代のオーダーが、遊撃の阪本敏三と捕手の岡村浩二がトレードに出された以外は完成したシーズン。
前年から盗塁王になった福本豊は走る、長池徳二、加藤秀司は打つ。投手は足立光宏、米田哲也に加えて山田久志が台頭。
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一方の巨人は、この年から成績が下降した長嶋茂雄が結局引退まで下り坂一直線。王貞治は極度のスランプで3割を切り、森昌彦は肩が衰えてレギュラーも奪われそう。堀内恒夫は26勝する前年でこの年は14勝どまり。
戦力的には心もとなく、連覇して以来はじめて、「巨人が危ない」といわれた年でした。
こんな劇的なシーンが「第10位」というのはちょっと評価が低いのではないか、とも思いますが、これは下の順位から紹介している構成で、トップページに大きく使いたいために、あえてそうしたのではないかと思います。
個人的には、その川上巨人が初めて優勝した時、南海・寺田陽介の落球で試合の流れが変わったといわれる「寺田の落球」(1961年)、広島東洋カープが初めて優勝した年(1975年)の第5戦、代打・佐野嘉幸のヒットで3塁を回った代走・深沢修一の生還が失敗に終わり、流れを断ってしまいそのままズルズル負けてしまった試合なども入れて欲しかったと思います。
野村ヤクルトと仰木オリックス(1995年)も入っていないのですが、編集者はトーマス・オマリーと小林宏の「熱投14球」を覚えてないのでしょうか。そのシーズンは、今年のWBCで久々に日本のマスコミに登場したヘンスリー・ミューレンのホームランが流れを変えた試合もありました。
そう、短期決戦は一球のプレーがシリーズの流れを決定的に変える、それが私のような素人の分際でもはっきりとわかる緊張したシーンがなんといっても醍醐味なのです。
では、そんな醍醐味をもっと感じさせてくれた第1位は?
ネタバレになってしまうからはっきりとは書きませんが……
「スクイズ失敗と21球」でした。
わかりますよね、これだけ書けば。
残念ながら、プロ野球は制度が変わり、現在の日本シリーズは、(今年は1位同士ですが)ペナントレースのチャンピオン同士の激突、というテーマではなくなってしまいました。
同誌も「日本シリーズへの興味が半減したことは否めません」と書かざるを得なくなっていますが、それでも勝った方は「日本一」を名乗る大一番であることに変わりはありません。
私は、今日の記事は資料を全く見ないで書きましたが、今年の日本シリーズも、何年たっても諳んじることができるような印象に残る試合を期待します。
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