戦後史上、世代に対する呼び方や評価は、たとえばテレビっ子だの、新人類だの、ゆとり世代だのとその時々の世相を背景とした様々なものがあります。
『自分のことをしゃべりすぎる若者たち』(講談社プラスアルファ新書)という書籍では、世代という特定の年齢層ではありませんが、「若者」全般について「しゃべりすぎる」という評価を前提として自己顕示欲を否定。自己表現しない生き方を勧めていると話題になっています。
さっそく読んでみました。
タイトルも面白そうで、某紙で紹介もされていたから、それなりに完成度も高いのだろうと思いきや、レビューサイトを見ると批判的・否定的なものが多いので、そのギャップを自分自身で確認したいと思ったからです。
著者の杉浦由美子という方は、私より一回り近く若いのに、古典的で保守的な方のようです。
本の内容は、要するに、自己顕示欲が損をするという話で、そのパターンを枚挙しています。
「しゃべりすぎて失敗」「『自分のプロモーション』はしないのが勝ち」など、何とも後ろ向きな章題が並びます。
もちろん、TPOをわきまえない出過ぎた態度は嫌われるし、時には迷惑ですらありますが、同書の根拠は、かなり雑で一面的な観察が目立ちます。
たとえば、「上から目線」の物言いは「病理」などと否定的表現で唾棄していますが、よく読むとヘンです。
著者は、「上から目線」を「立場が下である人が人を見下した物言い」と定義し、親事業者と下請事業者の関係を例に出しています。
そして、「上から目線」がダメならいったい何がいいかというと、たとえば、医学部の封建的な関係を対比させています。
私は、この著者、明治生まれの間違いじゃないかと思いました(笑)
たとえば、下請け業者が「お任せください、あなた好みのクライアントになります」という売込みをしても、それで使ってくれる親事業者はむしろ少数派でしょう。
高度経済成長の時代ならともかく、今や一方通行の関係よりも、下請けから「メリットがある情報を差し出す」力量を親事業者は求めてきます。
つまり、見方によっては「上から目線」のような発言ができるぐらいでないと、「下」として評価されない時代なのです。
とはいっても、業者が消費者をバカにするような「上から目線」は困ります。
つまり、一口に「上から目線」といっても、ケース・バイ・ケースで評価が違うわけで、ひとからげに「上から目線は是か非か」という問題の立て方をして、否定的にまとめようとすることが間違っているのです。
そうかと思うと、その直後の章は真逆の主張になっていて、現代のビジネスは「『とにかく謝れ』は通用しない」などと、逆に「メリットがある情報を差し出す」力量を求めています。
それはそもそも同書のテーマである「自己表現しない」こととも矛盾しており、主張が一貫していません。
フェイスブックやツイッターのビジネス利用についても懐疑的な著者は、誰もが「勝ち組」(つまりそれらをうまく利用してビジネスで成功するという意味)にはなれないからそんなもので自己表現するなといいます。
これもネガティブというか後ろ向きな話です。
誰ひとり「勝ち組」になれないのなら、そんなものやるな、でもいいでしょう。
しかし、うまく使う人とそうでない人がいるのなら、普通は、どうせ使うならうまくなろう、という啓蒙をするのではないでしょうか。
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ことほどさように、いちいちうまくいかない話ばかり取り沙汰して、だから自己表現するなという話になっているのですが、一方でうまくいくことに対する関心が全くないのは哀しいばかりです。
なぜこんな書物を書いたのでしょうか。
著者は、自分のことを自己表現が苦手だと書いています。
しかし、私が編集者としてみる限り、この著者はかなり自己顕示欲が強く、また自己正当化に熱心な人だと思いました。
なぜなら、同書は「これについてはこう思う、それは○○という意味からではなく、××という理由からである」というまわりくどい書き方が目立つからです。
本来なら、「××という理由からである」だけで結論はわかるわけで、「それは○○という意味からではなく」は別に入れなくてもいいのです。
なぜわざわざ入れるのか。
それによって、「私って一般に言われている意見とは違う個性的な意見を持っているの」というアピールになっているし、ことさら複雑な論理を構成することで、他者に異論反論を述べられたくないという自己防御の予防線を張っているようにも見えるからです。
逆に言えば、そういうひねくれたところが、結果として他者に自分の意思をうまく伝えられない、つまり「自己表現が下手→自己顕示が苦手」ということになっているのではないでしょうか。
そんな自分をうまく表現できないことに対して、著者は相当のコンプレックスを持っていたように見えます。その怨念を、「自己顕示の否定」を訴える同書で一気に吐き出したのかもしれません。
もっとも、それこそが、
自己顕示にほかならないと思うのですが、編集者がついていて、そのへんの根本的なパラドックスを注意しなかったのか不思議です。
さて、結論ですが、私個人は、それこそ、あまり目立つことを好まない「自己表現が下手→自己顕示が苦手」な人間です。
ですが、この著者のように、他の方に「自己表現否定」を勧める気はまったくありません。むしろ逆です。
たしかに、「しゃべりすぎる」ことで失敗することもあるでしょう。しかし、しゃべらない限り、いくら崇高な思想や優れた人格をもった者であっても、それを他者は知ることができません。
「しゃべりすぎる」ことで失敗するのは、まさに「しゃべりすぎる」から失敗がわかるわけで、しゃべらなければ何が失敗かもわかりません。
成功への一里塚として、「『しゃべりすぎる』失敗」はむしろ必要なプロセスである、と私は思います。
この書『自分のことをしゃべりすぎる若者たち』に書かれていることは、「しゃべりすぎる」ことを快く思われないこんなケースもあるのだ、という豆知識程度に心にとどめておけばいいのではないでしょうか。。
2012-08-26 04:51
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失敗も経験だから、
若いうちは良いのかなって思います。
by pandan (2012-08-26 05:44)
しゃべり過ぎるワカモノにはあまり出会わないですね。。。
仕事柄かもしれませんが(^^)
by rtfk (2012-08-26 07:55)
どんな物でも使い方が大事なんだと思います。
by ミラノ (2012-08-26 07:57)
喋りは苦手なほうで、人の話を聞くほうが好きです。
でも自分を表現するためには少し喋らないといけないってこの年になってやっとわかてきました(^^;)遅すぎですけど・・・!
あくまで押し付けない程度で♪
by リキマルコ (2012-08-26 15:08)
いっぷく さん、こんばんは。
人ではありませんけど
日本がそうですよね。
誰かが理解してくれるかもと
何も主張せずに相手のいいようになっています。
by uryyyyyy (2012-08-26 19:05)
ご訪問 & nice! 有難うございました。
by センニン (2012-08-26 21:57)
こんばんは。
いっぷくさんが書いているように、
私もケースバイケースかなぁと思います。
by まる (2012-08-26 23:35)
はい!
私も喋りすぎて失敗するタイプです。
懲りずに続けてますけど…( ̄∀ ̄;;)
by edi (2012-08-27 02:24)
ある方に勧められて、この本読みました(^^)私も、いっぷくさんと同じ考えで、筆者こそ!?と思いました(^^)考えが一緒でホッとしました(^^)v
私もしゃべって失敗することが多いですが、確かにしゃべらないと失敗には気づけませんよね?ちょっと安心しました(^^)v
by さうざんバー (2012-08-27 20:26)
読まないでも内容がよくわかりました~
この人は売れそうなタイトルをつけるのが得意て
中身は今一の本ばかり書いている印象です
読んだことないけど。
by chima (2012-08-27 21:41)
しゃべりすぎる若者。話せばボロが出るってことかな?
そんなこと言い出したら、引き籠るしかないですねぇ・・・
私は話すのが苦手で(旦那や娘にもドモる)
この本とは無縁の人間ですが、おしゃべりのすぎる友人には
こっそり読ませたいかも、なんて思ってしまいました。
by φ(・ω・)かきかき (2012-08-28 03:53)