松山善三氏の訃報が話題になっています。亡くなったのは8月27日で、死因は老衰です。医専(現岩手医科大学)を中退して松竹の助監督になり、脚本家としてデビューしてからは、ヒューマニズムに重きをおく作品の脚本、もしくは監督として活躍しました。
監督であり、脚本家でもある松山善三氏の訃報について、代表的な作品として、『名もなく貧しく美しく』が紹介されています。
私は、それ以外には次の2作品が印象に残ります。
あなた買います
『あなた買います』(1956年、松竹)は、何を買うかというと、プロ野球選手です。
つまりスカウトと選手の話です。
松山善三監督は、この作品では脚本を担当しています。
穴吹義雄という、中央大学から南海ホークスに入った実在の選手ををモデルとした、小野稔の同名小説を映画化したものです。
穴吹義雄のプロ入りに際して、複数球団による争奪合戦が繰り広げられ、大金等が動いたとされる顛末が描かれています。
現在のプロ野球ドラフト制度は、いろいろルールが変わりましたが、そもそもの始まりは、この穴吹義雄争奪合戦が伏線となり、後の山崎裕之(東京・後のロッテ)の争奪合戦が直接の契機となったと言われています。
映画は、当時の俳優の序列から、主演は他球団スカウト役の佐田啓二になっていますが、穴吹義雄役を演じたのは大木実です。
入団をめぐる騒動があると、選手本人が恨まれてしまい、ナインにもうまく溶け込めず、ファンにも受け入れられず、往々にして不本意な選手生活になってしまうことが少なくありません。
しかし、古い南海ファンの方はご存知だと思うのですが、穴吹義雄は10年以上南海のレギューラー外野手として活躍し、その後は監督就任。
監督時代は、成績にはあらわれなかったものの、ナインはいつも全力疾走でベンチに戻り、あの広岡達朗氏も、「穴吹の指導でいい練習をしている」と評価していたほどきちんとしたチーム作りをしていました。
すでに、南海が球団経営の情熱を失いつつあった時なので、穴吹義雄氏の意欲や能力は結実せず、気の毒な就任期間でした。
乱れる
『
乱れる』(1964年、東宝)は、成瀬巳喜男監督が手がけた、高峰秀子と加山雄三による義姉弟の“禁断の愛”を描いた作品です。
このブログでも以前ご紹介しました。
高峰秀子の夫である松山善三氏が、やはり脚本を担当しています。
酒屋の長男に嫁いだ礼子(高峰秀子)でしたが、夫は戦死。
夫の弟・幸司(加山雄三)は、悪気のない青年で、姉さん姉さんと慕われるうち、礼子(高峰秀子)は義姉の立場を措いて、1度だけ男女の関係に踏み込むことを意識するのですが、それは結果的に実現しません。
『乱れる』より
加山雄三のキャラクターは、ここでも思いっきり若大将。
無邪気な若者に、次第に心惹かれていく女心がいじらしく、説得力をもって描かれています。
「女ですもの。あなたから告白されてから、あなたの姿が見えないと、あなたを探すようになったわ。そのくせ、あなたがそばにいると、不安で不安で、気が狂いそうだったの」という高峰秀子のセリフがよかったですね。
そういうことを言われた経験のない私は、拳を握りしめてドキドキしながらこのシーンを観たものです。
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高峰秀子は私の“先輩”
松山善三氏の妻だった高峰秀子は、子役出身のため、当時あった松竹蒲田撮影所の学区域にあった、蒲田小学校にかよっていました。
つまり、高峰秀子は東京都大田区蒲田の出身なのです。
私が卒業証書をいただいた出身小学校は、蒲田小学校の学区域が分割されてできたのですが、最近なって廃校になり、学区域はまた蒲田小学校に戻りました。
そこで私は、高峰秀子は同郷の人であるとともに、小学校の先輩だと勝手に思っています。
すでにおふたりとも、私が映画を見る年齢になった時はベテランでしたが、おふたりとも亡くなり、いまさらですが、「昭和は遠くなり」という寂寥感に浸っています。
松山善三氏の生前のご遺徳をお偲び申し上げます。
2016-09-02 13:10
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高峰秀子さんを奥さんに迎えたいと、松山さんが想い周囲の反対を押し切り夫婦になられた話。初めて知り興味をもちました。
by SILENT (2016-09-07 03:52)