SSブログ

市川猿翁(猿之助)と藤間紫の「けじめ」婚姻した日(2001.07.06) [芸能]

市川猿翁(猿之助)と藤間紫の「けじめ」婚姻

市川猿翁(二代目)といえば、有名な歌舞伎俳優である三代目の市川猿之助でしたが、61歳だった2000年に、日本舞踊家で女優の藤間紫(当時78)と結婚していたことを2001年7月6日に明らかにしました。かつては浜木綿子との離婚の理由とされたこの関係。ではなぜ2001年になって「けじめ」婚姻をしたのか。



2001年7月6日付けの『夕刊フジ』によると、「昨年の喜寿(77歳)のお祝いのときに松の大木を贈ってくれ、『けじめをつけたいから』と言っていただいて」と藤間紫。

一方、市川猿之助は、「私にとって人生で一番大切なもの。極論すれば愛-を教えてくれたのが紫さん」とプロポーズした理由をノロけました。

2001年7月5日の「YAHOO!のビデオニュース」では、猿之助の記者会見ビデオの中で猿之助自身の口から、2000年2月28日に、東京都港区役所に婚姻届を提出していたことを発表している。

市川猿之助はかつて、浜木綿子と結婚していたが離婚。

当時から藤間紫との関係は噂にはなっていましたが、30年以上たってから「けじめ」をつけるというのは、お互いの立場もあるとはいえ珍しいケースかもしれない。

逆に、お互い背負っているものが重くて結婚できない、ということもあるからです。

スポンサードリンク↓

重いものをともに背負い合理的に子孫に継承するための「けじめ」


ただ、市川猿翁の、「死後の問題についてクリアにしたい」というコメントを聞く限り、重いものをともに背負い、合理的に子孫に継承しよう、ということかもしれません。

市川猿之助の会見の様子を要約して載録しておきましょう。
「なぜ、私がそこで(入籍)したかというと、私の若い時代というのは『人生60年』といわれていて、60歳になったらもう引退というか、老いてしまうみたいな。で、私が60になったのはちょうど2000年なんですね。区切りがいいので、私はそこへ向かって歩いてきたわけなんですけれども、21世紀に向けてプライベートなことをね、ここで一区切りね、つけたらいいな、と思ったのが始まりなんですね。 私の20世紀の演劇活動をいちばん支えてくださったのが紫さんなんで、私にとって人生で一番大事なことを教えていただいた方なんですね。愛は礎と言うことですね。私はどちらかというとお坊ちゃん育ちなもんでね、のほほんとしているところがあったのですが、紫さんからは厳しさというかね、そういうものを教えてくれた方なんですよ。私の歌舞伎が花開いたのもそのおかげで。 ではどうして入籍になったかといいますと、生きている間は必要ないんですよ、紙切れですからね。(日常生活には)必要ないけど、死という終着駅を考えたとき非常に重要なもんだと思うんですね。藤間流を率いる紫さんと、澤潟(おもだか)屋の総裁である私との死後の問題についてクリアにしたいと。 それから、紫さんというのは死の瞬間を考えてらっしゃるという珍しい方なんです。そして、その瞬間に幸せな生き方をしたいということで、死の瞬間に幸せになっていただけたら有り難いと。これまで私の舞台を応援してくださったみなさまには、そういった私のプライベートな部分についてご寛容、ご理解を戴きまして、今後ともご声援をお願いしたいと思っています」

色々意見はあるだろうが、婚姻は当時者の問題ですから、これは第三者としても「おめでとう」でいいのではないでしょうか。。

2人はその後、2009年まで連れ添いました。

三代目 猿之助の絵

三代目 猿之助の絵

  • 作者: 二代目市川 猿翁
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


nice!(36)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

nice! 36

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

Copyright © 戦後史の激動 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます