先日、流行語大賞に「保育園落ちた日本死ね」がノミネートされて、ネットが騒々しいことを書きました。
政治的分別のつもりなのか、「反自民」なら「日本死ね」を賞賛しなければならない 、などという意見がありましたが、私はそうは思いません。
さらに今回、日本人の77%が「反対」というニュースも話題になっているので、それも含めて改めて書きます。
以前このブログで、「保育園落ちた日本死ね」について書いたのは、以下の記事の後半部分です。
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もちっと北海道メロンパン、プリンスメロンの形状と濃厚クリーム
現在、この関連では2つの話題で盛り上がっています。
ひとつは、ノミネートに異議を唱えた、俳優の、つるの剛士が袋叩きにあっていることです。
『綺麗な言葉を使おうね』なんて一言も言ってないです。そもそも僕も言葉使い良い方ではないですし。。 ただ、死ねが流行語??と。そんな声に国会議員が満面の笑みで登壇に違和感を覚えたというイチ視聴者の感想ツイートでした。。すいませんでした(つるの剛士)
私は、つるの剛士の批判ツイートは、もっともなことだと思います。
もうひとつは、鳥越俊太郎氏が、流行語大賞の選定の実態を、自分が審査員からおろされたものだから暴露してしまったことです(笑)
それによると、本当は昨年は「五郎丸」が大賞だったのに、本人が用事があって表彰式にこれないから、別の言葉を大賞にしたというのです。
そういうことをヘラヘラ「うたう」鳥越俊太郎氏の人格評価はともかくして、メディアが権威付けする「流行語」というのは、実にいい加減なものなのだということを知ることができました。
なぜ噛み合わないのか
この議論について、賛成派と反対派が噛み合わないのは、政治的思惑が絡んでいるからです。
つまり、「反自民」なら、「日本死ね」を賞賛しなければならない 、などという意見があり、現にメディアで安倍政権批判の著名人は、「保育園落ちた日本死ね」には賛成、もしくは沈黙を貫いています。
しかし、私に言わせれば、そもそもそこに政治的思惑による意見を述べること自体が「変態」だと思います。
なぜ、是々非々のそもそも論で考えることができないのでしょうか。
この議論は、別に待機児童をよしとするかどうかの議論ではありません。
「保育園落ちた日本死ね」と、ネットに書くことを咎めたものでもありません。
それを「流行語」と認定するに値するかどうか、というだけの話です。
なぜ、もっとシンプルに考えられないのでしょう。
民進党の山尾しおりという議員が、満面の笑みを浮かべて表彰式にあらわれ、「待機児童問題が政治問題の隅っこからど真ん中に移動できた」とコメントしています。
ノミネートされたら、政治問題になるほど流行語大賞の影響が大きいとも思いませんが、それはともかく、民主党政権時代、待機児童の問題にはどう取り組んだのでしょうか。「隅っこ」にしてきたのは、あなた方の責任ではないでしょうか。
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「流行」語というのはいずれ廃れるということ
「保育園落ちた日本死ね」については、12月5日包装の「白熱ライブビビット」(TBS系)独自のアンケートでも、「日本死ね」を「流行語大賞」のトップテンに選んだことに「反対」する声が77%に達し、「賛成」の23%を大きく上回っていると紹介されました。
それについての、まとめ記事はこちらです。
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「日本死ね」、日本人の77%が「反対」
いつもは、おちゃらけや誹謗中傷が多いネット民のコメントにも、もっともと思えるものが少なくありません。
>百歩譲ってこう叫びたくなった経緯は理解できたとしても、流行語大賞としては芸がないというかひねりが足りないというか、ようするにオメーノカーチャンデベソ(と同じ)
>流行語大賞なんて権威付けじゃなくて言葉の商品化なんだから無視しとけば商品価値が下がるのに
>「日本死ね」がクローズアップされてるけど/このフレーズが罪深い本当の理由は/○○が××した△△死ね!!!が定型化して/無闇にトラブルやイジメを助長してしまう恐れがあるということなんだよな
まあ、議論が白熱化すればするほど、2番目のコメントのとおりになっていくのかもしれません。
山尾しおり議員は、「政治問題の隅っこからど真ん中に移動」といいますが、私はむしろ逆といいますか、ノミネートされたことがピークで、あとはだんだん飽きられていくのではないかと思います。
だって、「流行」語ってそういうことですよね。
つまり、まじめな政治家なら、薄っぺらい「流行」は、むしろ懸念を示すべきではないのでしょうか。
待機児童の問題は、今年だけ上っ面で盛り上がってそれで終わり、というものではありません。
私はその点でも、政治的思惑から賛成している人々とは同じ立場にはたてません。
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