戦後史上、今ほど犯罪検挙率の低下がいわれることはない。「別冊」(警察が操作を放棄すること)も含めると、実際には公表されているよりもさらに少ない検挙率という。
ふた昔前までは、わが国の警察は検挙率が高かったはずだが、いつのまにそうなってしまったのか。
「ふた昔前」に姫路警察の刑事をつとめ、現在コメンテーターとして活躍する飛松五男氏は、警察の不十分な捜査に泣いてきた被害者家族の依頼を受け、自ら現場に向かって現役時代同様の「捜査」を行い、真犯人を見つけ出している。
その捜査と事件解決を綴ったのが、ここ数日の記事で引用させていただいた著作『飛松五男の熱血事件簿 私だけが知っている不可解事件の裏側と真相』である。
同書は、飛松五男氏が捜査活動をするときに使っている捜査ノート(B4版大学ノートに直筆)をもとに再編集している。
飛松五男氏はこう述べている。
「人間が知識や技術を習得する時、反復トレーニングとミーティングを繰り返す。私の捜査ノートは、たんなる記録・メモではなく私自身の自己ミーティングと反復練習の意味もある。
私は納得いくまで何度も現場に向かう。その都度、わかったことを書き留める。自分の知ったこと、考えている
ことをノートで確認して整理する。第三者的に見れば感情的な表現もある。未完成な認識もあるかもしれない。それはそれでいい。
その時そう思ったのならとにかく書き留める。前と同じことの繰り返しになっても書く。同じょうに書いても、ニュアンスなどが少しでも違えば、どうしてだろうと自問する。そこから自分の意図や自覚をしていなかった真実への肉薄を発見することもある。
私にとっては、書くことで事象や自分の勘・論理についての相対化、客観化を行っているのだ。それは事件解決に向けた闘いとして欠くべからざる試みである」
つまり、元刑事の真実にアプローチする姿をそのまま見せており、事件そのものに対する論考ともに、試行錯誤する元刑事の心の中も同書でのぞくことができるわけだ。
飛松五男氏によると、最近流行の「プロファイリング」も、そのひとつひとつのデータは、刑事の泥臭い聞き込みによるものという。
つまり、「デジタル」は「アナログ」が支えているというわけだ。
……で、ここでふと思ったのが、「最近はパソコンなど電子データの読み書きが当たり前となり、大学ノートを使う機会が減ったなあ」ということ。
たしかに、デジタルデータは、入力し終えれば、修正や分析、編集作業などの点で紙ベースよりも圧倒的に便利だ。
というより、それらはもうデータの質が違うといっていいだろう。
ただ、それで手帳や大学ノート、もしくは書籍が淘汰され、パソコンや電子ブックのみの時代になるかと言うとそうではないだろう。
なぜなら、質が違うからこそ、両者は棲み分けられる関係にあるからだ。
個人的な話だが、5月に火災にあい、妻が意識不明の重体で救急病棟に運ばれた。昏睡から冷めても気管切開したため、話ができない。そこで筆者は筆談を思いつき、しばらくノートとボールペンを使った「会話」を行った。
文法的には問題なかったが、当初は字が乱れていたものの、声が出る日が近づくにしたがって字が整ってきた。そのような変化はデジタルではわからない。
巷間、デジタル派、アナログ派、と分類する「類型論」が雑誌の読み物などにあるが、
データを上手に使いこなすには、時と場合によって切り替えて使うことが大切である。
2011-12-29 22:22
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今年もお世話になりました。
良いお年をお迎えください。
by pandan (2011-12-30 07:52)
アナログは基本ですね。
犯罪率と検挙率が反比例気味なことは、ずさんな捜査の
言い訳にはならないですね。日本の犯罪に見合った
プロファイリングの確立も大切だと思います。
今年は仲良くしていただいてありがとうございました~!
来年もよろしくお願いいたします♪
よいお年をお迎えください!
by niki (2011-12-30 11:11)
デジタル機器だって最終的な人間とのインターフェースはアナログな仕組みにたよってるわけだし、アナログを粗末にするとデジタルは成り立たなくなりますよ、ふっふっふ。
ご訪問ありがとうございました。よいお年を。
by TSO (2011-12-31 01:05)
考えて見るとイメージが湧いた時にパソコンの前に座るかというとノートに書き付けている方が圧倒的に多い気がします。パソコンは起動してソフトが使えるまで時間が掛かり過ぎその間にイメージやアイデアは消えてしまう事が多いものですから。
by U3 (2011-12-31 09:22)