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前川レポート

中曽根康弘首相には、私的な諮問機関があった。

詰問機関とは、行政機関や地方団体が、外部の有識者や実務経験者などの議論や提言を頂戴する会合である。

その総理大臣版というわけだ。

詰問機関は一見、世論の声を聞く開かれた政策決定機関のようにも見えるが、一方では、執行者に都合の良いお手盛りメンバーを集めて、さも外部からの要請であるかのようなアリバイ作りにつながるとの批判もある。

ましてや、詰問機関にも詰問委員にも政治的責任はない。

責任を取らない、曖昧な規準で選ばれた人の意見を、世論からの提言と捉えることに対する批判はあって当然だが、これって、現在の裁判員や審査会委員も同じことではないだろうか。

少なくとも、詰問委員は顔も名前も経歴も公然としている。

匿名で議論の中身も見えない審査会というのは、何とも面妖な存在に見えるのは筆者だけだろうか。

さて、話は戻るが、中曽根康弘首相の詰問機関「国際協調のための経済構造調整研究会」(経構研)が、86年版の「経済構造調整研究会報告書」を発表。

これが戦後史上に名を留める、いわゆる「前川レポート」といわれているものである。

そもそもこの「前川」とは、研究会(17名)の座長を務める前川春雄・日銀総裁から取った。 

レポートによれば、日本の大幅な経常収支の黒字は「我が国の経済運営においても、また、世界経済の調和ある発展という観点からも危機的状況」にあるとし、その解決には「輸出志向的な経済構造を調整する」こと。具体的には

1.内需拡大
2.産業構造の転換
3.市場アクセスの一層の改善
4.国際通過の安定化と金融の自由化
5.国際協力の推進、

などが明記されていた。

このレポートを中曽根首相は、「国際化時代にふさわしい提言」と天まで持ち上げたが、一方では「アメリカの市場の拡大に協力するだけ」「額に汗して働いたのに、その利益を『調整』する必要はない」など、政治的立場に関わらず批判もでた。

こうした「レポート」や「ドクトリン」は、それが日本をどういう方向に導いたのか、要するにそれは正しかったかどうかという歴史的な総括があってもいいのではないだろうか。
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コメント 3

うたぞー

前川レポート懐かしいですね。
日本の内需拡大を説いていましたが、説いている前川氏自身が
当時最も大きかった問題の日米貿易不均衡は米国の強烈な
需要がある限り、貿易不均衡は解消できないと知っていたと
思います。その後のバブルへとつながったと言われています。
強烈なプラザ合意以外の緩やかな景気拡大ができていれば
少しは違ったのでしょうが。全てたらればの話ですが。
by うたぞー (2011-01-05 00:18) 

いっぷく

うたぞーさん、コメントありがとうございます。
そうなんです。懐かしいのです。

一応書いてはいますが、
私自身、えーっと、何だったっけと
忘れかけていることも少なくありません。
そういう意味でも、たんなる回顧ではなく
過去を検証する試みって必要だと思うわけです。
by いっぷく (2011-01-05 12:40) 

パパさん

ここから日本はおかしくなった、と思ってます。
おっしゃるとおり、検証が必要だとおもいます。

by パパさん (2011-10-12 23:22) 

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