日本社会党第50回続開大会 1986,1,22
80年1月12日に、「社公政権協議」に合意したことを受けて、この大会の眼目は「新宣言」の採択や、これまで日本社会党が綱領として戴いてきた「道」の歴史的棚上げにあった。
巷間でいうところの、「西欧社民主義」への「転換」である。
支持・不支持にかかわらず、戦後史上、同党が動揺しながらも革新の側にいたことは紛れもない事実だったが、その立場を自分から外れたということである。
「新宣言」の特徴は、「社公合意」を下敷きとして、党を「階級政党」ではなく「国民政党」と規定し、「どの政党との政権関係にも積極的に対応する」とした。
しかし、この「規定」には矛盾があった。
80年以来有効となっている「社公合意」では、「日本共産党は政権協議の対象としない」とはっきりうたっており、「どの政党との」というわけではなかったからだ。
要するにこれは、本来ならあり得ないはずの保守政党(つまり自由民主党)との連立に道を開くためのものだった。
そして、社会主義の定義を「一歩一歩改革を進め、社会の質的変革を実現」するという「改良主義」の立場にたち、「国有化だけがただちに社会主義とは考えない」と明文化。
戦前の社会大衆党時代から掲げ続けてきた「生産手段の社会化」のメルクマールを根本的に変える立場を示した。
これは、同党が長年掲げてきた「反独占」の旗を降ろすことでもあった。
その後、「自社さ」政権ができたとき、二院クラブのコロンビアトップ参議院議員は、「自民党と社会党が組むなんて、もう、何が何だかわけがわからなくなってきた」と呆れたが、この大会は、まさにそこに道を拓くための大会だったのである。
戦後政治の総決算 1986,1,27
中曽根康弘首相はこの日、国会で施政方針演説を行った。そして、「戦後政治の総決算」と「国際国家論」を強調した。この中曽根的総決算路線は国鉄民営化などを実行した。
2010-12-29 23:57
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