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自民党の近代化答申

戦没者追悼式 1963,8,15

政府の右翼的といわれる政策のひとつとして、かつての戦犯を政府として公式に参拝しようというものもしばしば問題になる。

戦犯の参拝とともに政府の公式行事として宗教行事を行うことは、憲法の「政教一致」の点に抵触すると指摘する法律家や左翼的知識人は多く。現在もひとつの争点になっている。

第1回の追悼式はこの日行われた。戦災者310万人を対象とするものだったが、後の靖国問題にもつながる出来事となった。

第44臨時国会召集 1963,10,15

この日から23日まで行われた。解散等が目的だった。この間の16日には、選挙制度審議会が定数是正の答申を行っており、次の国会のスケジユールに乗りそうな気配となった。

三木武夫 自民党の近代化を首相に答申 1963,10,17

55年の合同以来、派閥の寄り合い所帯として利害がらみの内紛や派閥抗争を繰り広げる自民党に対し、池田勇人は三木武夫に組織調査会長を委嘱し、答申を待った。

三木の答申の結論は、やはり派閥の解消にあった。各派閥ともそれを受けて派閥解消を口にしたが、政権党のうまみと利害関係の対立等からか、その後もその力関係が政局に大きな影響を与えた。

第30回衆議院総選挙 1963,11,21

この日、総選挙が行われた。投票の結果は、自由民主党283、日本社会党144、民主社会党23、日本共産党5、無所属12だった。

「オリンピック前の天下太平選挙」等といわれたが、実際には「高度経済成長」の功罪が問われた重要な選挙だった。自由民主党は得票を減少させながらも相変わらずの絶対多数だった。

物価高騰や公害問題等国民の暮らしには切実な問題が山積していたが、野党の分裂が安保反対のような盛り上がりをみせず、結果的に自由民主党を助けることとなっていた。
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