戦後はGHQの政策もあり、労働運動が復活する。その流れの中で、右派や中間派が日本労働組合総同盟(総同盟)を、日本共産党系の左派が全日本産業別労働組合会議(産別会議)を1946年に組織した。総同盟は当初から労使協調路線をとり、産別会議と対立。だが1947年の二・一ゼネスト後、産別会議などと共に全国労働組合連絡協議会(全労連)を組織した。しかし、GHQが占領政策を転換して反共産主義色を強めると、総同盟と産別会議の対立が再び激化し、総同盟は1948年に全労連を脱退。全労連は1950年に団体等規正令を受けて解散する。だが、労働戦線と統一は同年に再びやってくる。産別会議から産別民主化同盟(民同)系の組合が相次いで脱退。さらに総同盟の主流左派、中立組合と合流して、反共を謳う日本労働組合総評議会(総評)を結成。産別会議はそのまま勢力を弱め、1958年に解散する。(wikiより)
宝樹文彦東海大学出版会この著者の新着メールを登録する発行年月:2003年11月登録情報サイズ:単行本ページ数:423pISBN:9784486016267【目次】(「BOOK」データベースより)証言 戦後労働運動史/追悼 太田薫/労働戦線統一と社会党政権樹立のために/労働戦線統一の方向/労働運動と社会運動?共済制度を中心として【著者情報】(「BOOK」データベースより)宝樹文彦(タカラギフミヒコ)1920(大正9)年東京生まれ、元全逓中央執行委員長(1959年?1971年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)この商品の関連ジャンルです。
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