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ブルーノ・サンマルチノ、ジャイアント馬場との友情の真相 [スポーツ]

ブルーノ・サンマルチノ、ジャイアント馬場との友情の真相

ブルーノ・サンマルチノの訃報が話題です。ジャイアント馬場がライバルとしていわれていましたが、サンマルチノは一部否定していました。しかし、飛行機をいくつも乗り継いで日本に駆けつけたり、キャデラックを送ったりと、その友情はかなり深かったように見えます。



“人間発電所”プルーノ・サンマルチノとジャイアント馬場の激闘は、有村架純がヒロインを務めたNHK連続テレビ小説『ひよっこ』でも、そのポスターが使われたほどです。

ひよっこ
Facebookタイムラインより

ジャイアント馬場と名勝負を繰り広げた、強敵外国人レスラーの一人に数えられています。

そして、リングを下りると、ともに駆け出しの頃、世界チャンピオンになることを誓いあった、友人であり、ライバルである、といわれていました。

ジャイアント馬場対ブルーノ・サンマルチノ
テレビ中継より

そのプルーノ・サンマルチノが、いちばん最後に日本のファンの前に写真と記事で登場したのは、『1964年のジャイアント馬場』(文藝春秋社)に収録されている、『週刊大衆』(2014年5月5日号)におけるインタビューです。

、『週刊大衆』(2014年5月5日号)

書かれていることを要約します。

・ババとの関係は、ヴィンス・シニアとの関係が悪くなっても大切だったから、シニアと提携していてもイノキのところにはいかなかった
・ババ以上のビッグ・ボス(プロモーター)を知らない。ババはレスラーから悪口を言われたことのないただひとりのプロモーターだったと思う。
・ニューヨーク時代はババのパーソナリティは全くわからなかった。「こいつはいいやつだ」と思うようになったのは初めて日本に行った1967年3月だよ。
・お互いの若手時代、「いつかふたりでMSGのメインイベントで戦おう」と誓い合った記憶はない
・ババの英語はノット・グッド。会話をするのは難しかった。日本に来てジョー樋口を通訳にして初めて本音で話し合った。リング外でも誠実で信頼できる人間。キャデラックをプレゼントしたこともある。
・ババがひとつの都市にとどまり、フレッド・ブラッシーのようなマネージャーがついたら、もっと大きなスターになった。でも日本で一番のレスラーとなって何十年にもわたって成功したわけだから帰国してよかったのかもしれない。

要するに、ブルーノ・サンマルチノは、

1.プロモーターとして、人間としてのジャイアント馬場に高い評価を与えている
2.アメリカ時代の馬場はよく知らない、来日してから親しくなった
3.自分が契約している社長との関係を悪くしても、ジャイアント馬場のリングにしか上がらなかった

ということを言っています。

2は、これまで言われていた「アメリカ時代の2人の友情」のエピソードとは両立しない「新事実」です。

しかし、私にはむしろ、エピソードよりも「新事実」の方が不自然に感じました。

ブルーノ・サンマルチノは、ジャイアント馬場にキャデラックをプレゼントしているのですが、たった1、2度の来日で仲良くなったぐらいで、高級車をプレゼントするのは解せません。

現役時代は、自分がその団体のチャンピオン、もしくし前チャンピオンのメインイベンターとして高額報酬を得ているにもかかわらず、そのプロモーターよりジャイアント馬場のほうが大事だというのです。

さらに、ブルーノ・サンマルチノの暮らしたペンシルベニア州ピッツバーグは、ニューヨーク州から少し離れていて、日本に来るときは少し不便です。

にもかかわらず、わずかワンマッチの契約でも、また馬場本人が亡くなっているのに「ジャイアント馬場引退試合」と称する没後セレモニーに参加するためだけでも、わざわざ来日していました。

ことほどさように、ブルーノ・サンマルチノは、ジャイアント馬場に対して、大変な義理立てぶりでした。

そもそも、2がかりに真実であったとしても、プロレスラーなら、話を脚色して、さも駆け出しの頃からの友情があったようにリップサービスするはずで、その逆であることが、むしろ妙にぎこちなく感じました。

もし、2が本当だとすると、これまでのプロレスマスコミや、ジャイアント馬場自伝風漫画である『ジャイアント台風』の話が間違いだったことになります。

そこで、その『ジャイアント台風』を改めて読んでみました。

ブルーノ・サンマルチノは、試合で、チック・ガリバルディというレスラーを殺してしまった。

サンマルチノいわく、相手を仮想ジャイアント馬場に見立てたが、チック・ガリバルディはジャイアント馬場よりも弱かったので、“やり過ぎて”しまった。

『ジャイアント台風』第1巻より
『ジャイアント台風』第1巻より

葬儀の場で、ジャイアント馬場はブルーノ・サンマルチノを励まし、「出世くらべだ。どちらが先に世界チャンピオンになるか!?」と誓いあったことになっています。

ブルーノ・サンマルチノは、それを否定しているわけです。

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一方、一部プロレスマニアの間の見解はこうです。

プロレスの試合中や試合後に亡くなった選手はいますか?
教えてください。

チック・ガリバルディ
1961年にブルーノ・サンマルチノと対戦し、試合後間もなく心臓麻痺で死亡。
ブルーノはガリバルディの葬儀に参列したが、ガリバルディの未亡人に参列を拒否されました。しかし馬場正平(後のジャイアント馬場)が未亡人を諭してくれたことで、ブルーノは馬場との友情を生涯裏切ることはありませんでした。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421881484

試合中に亡くなったわけではないのですが、ブルーノ・サンマルチノとしては寝覚めが悪い。

それが、馬場正平の口添えで、せめてもの供養ができた、というわけです。

梶原一騎先生ですら書かなかった、まことにドラマチックなエピソードです。

残念ながら、私はこの件を確認できる情報はありません。

しかし、なぜブルーノ・サンマルチノはそんなにジャイアント馬場を大事にするのか、その一方でなぜ過去の関わりを否定するのか、と考えるとき、このエピソードが辻褄としてしっくりくることは確かなのです。

昭和プロレスは謎が多いのですが、真実であればジャイアント馬場の人となりを知ることができるエピソードではあるので、興味深い話です。

さて、真相はいったいどうだったのでしょうか。

プルーノ・サンマルチノさんの、生前のご遺徳をお偲び申し上げます。

ブルーノ・サンマルチノ – WWE写真8 x 10の殿堂B / W
ブルーノ・サンマルチノ – WWE写真8 x 10の殿堂B / W
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ナベちはる

見解に対する真相はどうなっているか、知る機会があれば良いですね。
by ナベちはる (2018-04-20 00:19) 

うつ夫

今日はサンマルチノの記事をずいぶん見ました。
by うつ夫 (2018-04-20 00:55) 

犬眉母

「ジャイアント台風」復刻してほしいですね。
面白そうです。
by 犬眉母 (2018-04-20 01:47) 

末尾ルコ(アルベール)

ブルーノ・サンマルチノ、ジャイアント馬場との友情の真相・・・アーノルド・シュワルツェネッガーもイッターサンマルチノの死去を悼んでおりますね。わたしにとってブルーノ・サンマルチノはずっと「まだ見ぬ強豪」であり続けた存在でして、まず『プロレス入門』的本でプロレス界の大スターとして知り、その後は『ゴング』や『プロレス』で、「MSGの帝王」のやや晩年の活躍を写真情報で眺めていたという感じです。
サンマルチノは1975年に全日へ来日してますよね。この頃はもうプロレスを観ていたはずなんですが、なぜか「テレビでサンマルチノを観た」という記憶がないんです。わたしってひょっとして、アホでしょうか(笑)。雑誌情報は印象的なものが多く、「イワン・コロフの脚を折った」とか「ハンセン戦でのアクシデント」、「ビリー・グラハム戦での敗退」など、当時載っていた写真とともに、頭に刷り込まれております。
それにしても今回のお記事の切り口も凄いですね!『週刊大衆』や『ジャイアント台風』などを対照して、プロレス界の伝説的エピソードを検証してくださるとは!まさにいっぷく様ならではの高度なお記事、堪能させていただきました。
あらためてサンマルチノのプロフィールを見てみると、1963年にMSGでバディ・ロジャースを48秒で破ってるんですね。そして第2代WWWF世界ヘビー級タイトルを戴冠。MSGのタイトル戦で、「48秒」決着って、凄いですよね。それで観客が満足するのだから、いかにサンマルチノの人気が凄まじかったか類推できます。しかも相手はバディ・ロジャーズですからね。動画を探したのですが見つからず、次の短い写真情報がありました。
Bruno Sammartino vs. Buddy Rogers(https://www.youtube.com/watch?v=VvlIgBnypDM
しかし写真だけでもド迫力です。カナディアン・バックブリーカーの入り具合といい、苦悶するバディ・ロジャーズの表情といい、まさしく千両役者二人の対決です。確かに秒殺でもお腹一杯になりそう。
ガリバルディとのエピソードが事実であれば、馬場に対する評価にも新たなページが書き加えられそうですね。そしてこれもまた、人間心理を深くご洞察されるいっぷく様ならではのお記事だと感服いたします。幸いサンマルチノの動画は豊富にありそうなので、これからじっくり観戦していけそうです。

MSGつながりの話題なのですが、藤波辰爾が主宰する「ドラディション」にボブ・バックランドを招聘してドヤ顔のようですね。しかしバックランド68歳。まあ多くのスポーツでシニア選手がエキジビションとして登場するケースはありますが、こうしたプロレスの場合は、「正規の試合」扱いで、入場料も普通のプロレスよりも高いくらいなんですよね。今に『プロレスの試合をした最高齢争い」が起きてしまいそうな勢いです。

ノアのお話、ありがとうございます。
サンマルチノと馬場のエピソードなどを拝読させていただくと、ノアのレスラーたちの品性の低さいかにも目立って仕方ないですね。馬場の影響を離れて「伸び伸び」というのが、プロレス表現ではなく、女癖の方へ向かうとは盛りのついた頭の悪い中高生並みです。わたしの読んだプロレス過去本では、全日時代は馬場はもちろん、元子夫人が目を引かれせていたので、観客の女性に手を出したりとかはそうそうできなかったと書かれておりました。レスラーに対してだけでなく、元子夫人は、「いかにもレスラーを狙って来場してきたような女性客」に対しても釘を刺すようなことを言っていたとか。やはりどのような世界でもそうした倫理的基準がないといけませんよね。そう言えば、「三沢は女子高の制服姿で来場してきた客を見つけてテンションを上げていた」というエピソードもありました。このエピソードが事実かどうかは分かりませんが、あまりにレベルの低い話ですよね。こうなると尚更、タニマチさえ持たなかったジャイアント馬場というレスラー兼経営者の人間性に最敬礼したくなってきます。

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-04-20 01:54) 

末尾ルコ(アルベール)

上のコメント、「元子夫人が目を引かれせていたので」でなく、「元子夫人が目を光らせていたので」でした。
失礼いたしました(笑)。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2018-04-20 02:00) 

pn

真実は故人のみ知るって事ですね。
by pn (2018-04-20 06:14) 

ヤマカゼ

人間発電所、なつかしいですね
by ヤマカゼ (2018-04-20 06:37) 

チャー

ジャイアント馬場と言うと16文キックそれとパーッと言うチョップ位かな?

お酢は毎日摂らなくてとしみじみ思います
by チャー (2018-04-20 08:46) 

johncomeback

人間発電所プルーノ・サンマルチノ懐かしいですね。
当時は外人レスラー=ヒール が多かったように
記憶していますが、プルーノ・サンマルチノは正統派の
ストロングスタイルでしたよね。ご冥福をお祈り申し上げます。
by johncomeback (2018-04-20 09:52) 

makkun

私はプロレスを滅多に観る事がありませんでしたので
ブルーノ・サンマルチノの事も知りませんでしたが
そんな馬場との友情物語が有ったんですね~(^^♪
by makkun (2018-04-20 10:41) 

MONSTER ZERO

この頃小学生だった私はプロレス好きな祖父母とよく観ていました!
サンマルチノと馬場のインター選手権は記憶にあります!
いわゆる「地味な試合」をする人でしたが存在感と威圧感は並外れてましたね!(^^
by MONSTER ZERO (2018-04-20 13:08) 

yamatonosuke

テレビで見たことなかったですが、
人間発電所といわれたその怪力ぶりは一度見たかったです。
by yamatonosuke (2018-04-21 01:58) 

beny

 いっぷく様は、プロレスにかなり造詣が深くて感心させられます。
by beny (2018-04-21 08:07) 

えくりぷす

なるほど、サンマルチノの発言にはよくわからないところがありますね。いずれにしろジャイアント馬場がたいへん信頼されていたということは変わらないわけですが、スタン・ハンセンも自伝でジャイアント馬場への恩義を詳しく語っています。素晴らしい人柄だったのですね。
by えくりぷす (2018-04-21 13:57) 

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