『王の闇』（沢木耕太郎著、文藝春秋社）という、24年前に上梓された書籍を読みました。1970年代に活躍したボクサーなどスポーツ選手5名を描いたノンフィクションです。その時代に生きた世代なら忘れられないビッグネームが揃いますが、異色なのが前溝隆男（元全日本ミドル級チャンピオン）です。（画像はGoogle検索画面より）
著者の沢木耕太郎といえば、ユーラシア大陸をバックパッカーとして旅した『深夜特急』を代表作とし、「私小説」ならぬ「私ノンフィクション」という、主人公の語りによる叙述の世界を確立。
藤圭子を描いた、『流星ひとつ』（新潮社）も話題になりました。
そして、東京大田区の出身。
新卒で就職するも、出社初日に退社を決意したというエピソードがあるのですが、私も似たような経験があるので、出身地といい、勝手に親近感を抱いています。
今日は、新刊ではないのですが、その「私ノンフィクション」と、沢木耕太郎が得意とするボクシングの選手を描いた、沢木耕太郎にとっては象徴的な作品といえる『王の闇』をご紹介します。（文中敬称略）
1970年代に輝いていた、5人のスポーツ選手について、例によって「私ノンフィクション」で描いています。
登場人物は、
大場政夫
瀬古俊彦
輪島功一
前溝隆男
ジョー・フレイジャー
瀬古俊彦以外は、沢木耕太郎得意のボクシング選手です。
私はそれほどボクシングは詳しくないのですが、さすがに、本書に出てくる人たちは覚えています。
たとえば、大場政夫は、これからという時に交通事故死しました。
当時、夕刊に載った記事に驚いたことを覚えています。
ジョー・フレイジャーは、カシアス・クレイ（モハメッド・アリ）との試合をテレビで見ました。
ただ、一人だけ、一般的には馴染みが薄い人が入っているかもしれません。
元全日本ミドル級チャンピオン・
前溝隆男です。
実は私も、ボクサーとしての前溝隆男は見たことがありません。
国際プロレスという団体でレフェリーをつとめていて、出身がトンガ島というので異色だったため、名前だけは覚えていました。
その前溝隆男が、世界的に名前が通るアスリートたちの、ノンフィクション集に取り上げられているというのが興味深かったのです。
で、結論として、今更ですすが、前溝隆男がどんな人かわかり、本書を読んでよかったと思いました。
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「寝て、食べて、散歩して、お喋りをする、それだけ」
前溝隆男は、父親が商社マンで、トンガに単身赴任していた日本人。母親がトンガ人の間に生まれました。
「単身赴任」ということは、父親は日本に妻子がいたわけです。
そして、父親が仕事に区切りがつき日本に帰国する際、隆男少年も一緒についてきたそうです。
隆男少年は、正妻に養育されるわけですが、難しい関係ですね。
それが原因で、とは書かれていませんが、前溝隆男は中学を出ると上京して、三保ヶ関部屋に入門します。
増錦の四股名で、負け越し無しで幕下まで昇進したものの、縮れ毛を客にからかわれて廃業。
次にプロボクサーに転進して、全日本ミドル級王座を獲得しますが、こちらも世界王座に挑む前に引退。
その後、プロボウラーになるとレッスンプロまで行きますが、やはりトーにナメントプロにならず。
そして、今度は国際プロレスで、レフェリーを務めます。
面白いエピソードだなと思ったのは、ジャイアント馬場が巨人をクビになった頃、川崎市新丸子でご近所だったこと。
ジャイアント馬場が国際プロレスのリングに上った時、一緒に移動した楽しい思い出も書かれています。
しかし、前溝隆男はそれでもまた、ボクシングの新団体に転職します。
そんな前溝隆男のモットーは、
モヘペ、カイペ、エヴァノヘ、タラノアへ
（トンガ語で、「寝て、食べて、散歩して、お喋りをする、それだけ」という意味）
「何をやっても大成功はしないけれど、何をやっても楽しくやれるんです」
私は、そう語っている前溝隆男の、
おおらかな生き方が大変気に入ってしまいました。
要するに、前溝隆男が、どの世界に入っても、せっかく順当に力をつけながら、頂上を極める前に転職してしまうのは、飽きっぽいからではなく、“上昇志向でストイックな人生”を望んでいないから、ということではないかと思うのです。
ですから、前溝隆男のような生き方は、「波乱万丈」と形容されがちですが、本人からすれば実は逆で、静かにマイペースに暮らしたいからこそ、テンパってしまう前に身を引くのではないでしょうか。
「いくら頑張ったって、しょせん死んだら富も名誉も関係なく誰でも棺桶には身一つで入るんだから」
そういう考え方、でしょうね。
まあ生き方ですから、賛否両論あると思いますが、私もこれからの人生は、「寝て、食べて、散歩して、お喋りをする、それだけ」で、穏やかに暮らせればいいなあ、なんて思っています。
なかなか現実はそうもいかず、難しいでしょうけどね。
王の闇 (文春文庫)
- 作者: 沢木 耕太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1992/08
- メディア: 文庫
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