中村梅之助さんの訃報を知りました。東海テレビの帯ドラマも51年の歴史に幕を下ろすそうですね。名残惜しいですが、万物は流転する。すべてのものは生成・発展・消滅の道をたどり、もとのままの状態ということはありえない。歴史は前に進んでいくとはよくいったものです。(画像はDVDから)
今日のアクセス解析を見たら、以前書いた「伝七捕物帳、2本の指で手締め“よよよい”明日から放送」という記事が上位に出ていました。
⇒
伝七捕物帳、2本の指で手締め“よよよい”明日から放送
「また『伝七捕物帳』の再放送でもするのかな」
と思っていたところ、Facebookのタイムランに、
中村梅之助さんの訃報が流れてきたので、
Facebookタイムランより
そういうことだったのかとびっくり。
今月の2日に、「遠山の金さん、一番印象に残る俳優は誰?」という記事で、中村梅之助版金さんが印象に残ると振り返ったばかりなんですけどね。
⇒
遠山の金さん、一番印象に残る俳優は誰?
生前のご遺徳をお忍び申し上げます。
それから夕方には、東海テレビが制作する昼の帯ドラマ(13時30分から30分間)が終了すると報道されました。
51年続いたというからすごいですね。
これも以前書きましたが、私はこの枠で放送されていた、『しのぶ』という
藤吉久美子主演のドラマに、2シーン出させていただいています。
⇒
忍という字は難しい!?フジテレビの30年攻撃(笑)藤吉久美子
その頃は、就職もせず、「
専業エキストラ」で、昼間は家にいることもあったので、この枠のドラマ鑑賞が日課で、途中のCMになったときに、ふと我に返って、「これからの人生どうなるのだろう」などと悩んだのを思い出します。
ちなみに、悩みましたが、悩んだだけで、結局どうにもならなかったんですけどね(汗)
ローラーゲームを思い出して偲ぼう
ということで、今日はここで〆てもいいのですが、せっかく書こうかなと思ったことがあったので、手短に書きます。
1月19日は、
土居まさると
ミッキー安川の祥月命日ですが、お2人がかかわった番組といえば、1968年~1970年にブームとなった、『ローラーゲーム』の実況とトラックレポーターです。
といっても、かかわっていた時期は一緒ではありません。
1960年代後半、アメリカで、ロスアンゼルスサンダーバード(善玉)が、デトロイトデビルズやニューヨークボンバーズ、シカゴホークス(いずれも悪玉)などと対決する試合を東京12チャンネルで流していたことがあり、ミッキー安川はその頃のレポーターです。
今はルールがかわりましたが、当時のローラーゲームは、自軍5名、相手5名が集団でトラックをすべります。
そのうち2名が「ジャマー」としてヘルメットをかぶり、集団から抜けて1週先回りして追いついたら、その集団をすり抜けて追い抜いた相手の人数が点数になります。
そのたたかいの単位をジャムといいます。制限時間は1分間。
1回の競技時間が10分で、5ジャムぐらいあります。
チームは男性軍と女性軍がいて、女、男、女、男で4回ゲームを行い、その合計点で勝敗を決めます。
たいていは、最終ジャムまでサンダーバードは劣勢で、最後の最後に逆転勝ちするのが多くの場合の結末でした。
選手の背番号は、奇数番号が花形番号で、6番がキャプテンの番号でした。
後にできた日本チームのコーチを行ったラルフ・バラディアス、グレッグ・ロバートソン、リチャード・ブラウンなどが主力選手でした。
私も応援していましたね。善玉のロスアンゼルスサンダーバード。
そして、プレーヤーに憧れ、当時、まだ鉄のローラーがむき出しのローラースケートを買って、区立体育館横にあったアスファルトの広場で、相手を想定しながら懸命にすべっていました(笑)
その後、日本人のチームができ、東京ボンバーズを名乗って、アメリカや日本で対戦。
それが毎週木曜日にやはり東京12チャンネルでレギュラー放送され、そのときのMCが土居まさるでした。
ゲームの性質から、プロレスと重ねて考えられていますが、今にして思うと、むしろ、プロレスを補完する娯楽という感もあります。
プロレスの場合、ニューヨーク(WWWF)やデトロイト(NWA)は都会で、西海岸のプロレス(WWA)は田舎プロレス、という位置づけだったのですが、ローラーゲームは逆に、ロサンゼルスのチームが主役で、ニューヨークが脇役だったのです。
それによって、ロスの人たちの溜飲を下げていた面はあったのではないでしょうか。
本当なら、『ローラーゲーム』ブームの功労者の祥月命日に、
ラクエル・ウエルチの『カンサス・シティの爆弾娘』を思い出す、という構成で書いてみようかなと思っていましたが、
やはり私には洋画は縁がないようで、それはまた次の機会にさせていただきます。
Facebook コメント