加山雄三が東京・羽田空港で、所有するクルーザー『光進丸』炎上についての謝罪会見をしました。「半身を奪われたよう…本当に辛い」と声を震わせましたが、思えば加山雄三は、若い頃から山あり谷ありの人生でした。今日はその一部を振り返ってみます。
加山雄三といえば、私はまず頭に浮かぶのが若大将。
1日5食で大学の体育会系。老舗のすき焼き屋の一人息子の設定です。
同じ湘南を愛する慶応出身者でも、石原裕次郎とは明らかにキャラが違います。
出発点となった映画会社の違いもあるのかもしれません。
父親(上原謙)も母親(小桜葉子)も往年の名優。
学校時代も優秀な成績で、作家も歌手もこなすシンガーソングライターの草分け。
俳優としては60年代の東宝の看板。
あまりにも華やかなイメージを積み上げてきましたが、苦労知らずのボンボンというわけではなく、過去に、大きな借金を背負ったり、けがをしたりもしています。
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加山雄三さんの「光進丸」火災で公式HP謝罪
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このまとめ記事に、“加山雄三の人生を端的にまとめたコメント”があったのでご紹介します。
1960年代 若大将シリーズ大ヒット、年2本というペースで全18本→多額のギャラが入る、も
1970年親子経営のパシフィックホテル茅ヶ崎が倒産
→債権処理後の借金2億800万円→ドサ回りで頑張る、も
1974年の正月に北海道のスキー場で圧雪車に轢かれて死にかける→
療養中、75年後半から76年にかけ若大将がリバイバルブーム
→回復後のコンサートは大盛況、借金は完済。
差押えの光進丸も「赤紙」が剥がされて晴れて加山氏の物に、も
スキー場とホテルやリゾートマンション経営の着工前にバブル崩壊
またコンサートや営業で頑張る→「光進丸」が炎上
要するに、“お坊ちゃん”として生まれたけれど、山あり谷ありの人生である、ということです。
しかも、その谷は、いくら芸能人だからといっても、あまりにも桁外れに大きな額の借金。
それを乗り越えたのは、
悪気を知らないお坊ちゃんの鈍感力、とまとめる人もいますが、少なくともちゃらんぽらんな人生ではありません。
若大将でブームで東宝ドル箱スターになったときは、色々な人が寄ってきてチヤホヤしました。
ところが、借金を抱えたら、その人たちはみんないっせいに離れていきました(世間なんてそんなもの)。
そのとき、離れずに残っていたのが、松本めぐみでした。
離婚が日常茶飯な芸能界ですが、加山雄三はおそらく松本めぐみと添い遂げるでしょう。
借金だけではありません。
セミー・モズレーが考案したと言われるモズライト・エレキギターの権利を巡って、旧モズライト社社長夫人が、それをもとにしたとされるギターを作った加山雄三を不正競争防止法遵反で警視庁に刑事告訴という話もありました。
ある書籍では「サギ大将」とまで侮辱しましたが、加山雄三が起訴されたという話は聞きません。
「モズライト社はもうない。俺のモズライトモデルは違う名前と違うメーカーで企画したもので、(ピックアップの)コイルの巻き方を工夫して音を似せたけど、根本的に変えてある。実はモズレーさんには奥さんが4人いたらしくてね。その4番目の奥さんが金になるからと(警察に)駆け込んだらしい。俺の名前があるから、記事にすれば話題になるってことだよ」(『東京スポーツ』2012年3月17日付)
いやー、でももし私が加山雄三の立場で刑事告訴されたら、やはり落ち込みますし、報道の仕方によってはマスコミを絶対許さないでしょう。
しかし、加山雄三が、相手を虚偽申告や、名誉毀損で訴えることはしません。
加山雄三は、かつて出演していた番組のタイトル通り「ゆうゆう」、つまり泰然自若な若大将の人生なのです。
いかなることが原動力かは分かりませんが、私はそんな加山雄三の強さに憧れます。
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加山雄三と小桜葉子、上原謙の関係
加山雄三については、これまで若大将シリーズ、乱れるシリーズ、黒澤明作品、テレビドラマなど多数振り返ってきましたが、今回改めてご紹介したいのが、『加山雄三のブラックジャック』(1981年、松竹/テレビ朝日)第4話の「えらばれたマスク」です。(画像は断りのない限り劇中から)
香港から来日した富豪の剛助(山内明)は、かつて、ブラックジャックとその母親・康子(日色ともゑ)を捨てた過去があります。
ブラックジャックこと坂東次郎(加山雄三)は、今も実の父である剛助を許していません。
ブラックジャックは、表向きは代理人ということになっている坂東次郎として、剛助(山内明)と会いますが、ブラックジャックと親子としての再会は断ります。
剛助(山内明)は、親子としての再会は諦めたが、皮膚がんの後遺症で、顔がボロボロになった元ミスユニバースの再婚した妻・蓮花の顔を整形し、世界一の美女に戻してくれ、といいます。
ブラックジャックは、剛助(山内明)に、かつての妻、つまりブラックジャックの母である康子(日色ともゑ)を愛していたのかどうかを確認し、剛助(山内明)の「もちろん」という答えを聞いたたうえで、手術を引き受けました。
要するに、母親に対する愛おしみと、父親に対する恩恵と憎しみの入り混じった複雑な思いを、ドラマは描いているわけです。
そして、包帯を取る日になりますが、包帯の中から出てきた蓮花の顔は、康子(日色ともゑ)の顔に整形されていました。
剛助(山内明)は、約束が違うと怒りますが、坂東次郎はこう言います。
「ブラックジャックにとっては、あの顔が世界一の美女なんです。あなたにはわからないんですか」
他の方のレビューには、このストーリーから、原作者・手塚治虫の、母親に対する慕情を読み取っておられるものもあります。
私には、加山雄三自身が重なって見えました。
加山雄三に強く面影を残す、早逝した実母の小桜葉子。
Google検索画面より
大林雅美と再婚して、加山雄三との関係が悪くなった父親の
上原謙。
『クレージーのくたばれ無責任』より
加山雄三の両親に対する思いと、ブラックジャックの両親に対する思いは、似ているような気がします。
そのような、脚本を超えた興趣があることが、ナマミの人間が演じる実写化の醍醐味です。
そして、悪気のない鈍感力といわれてきた加山雄三の、唯一の“影”を垣間見ることができたのがこのドラマであると私は思うのです。
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借金返してた時、ご馳走は玉子かけご飯って話を聞いてちょっとウルッとしてしまった記憶があります。
by pn (2018-04-02 23:19)
苦労する人は生涯災難が絶えないですね。
by 犬眉母 (2018-04-03 00:41)
「人生いろいろ」ですね。
いいこともあれば悪いこともある。強く生きたいです。
by ナベちはる (2018-04-03 00:42)
芸能人になったのは船を買うためだということで好きなものが使えなくなってしまうのはつらいですね。
by nikki (2018-04-03 01:20)
加山雄三ほど波乱な人生には
ならないかとは思いますが・・・
改めて人生は良いときも悪いときもありますから
本当にいろいろだと思います。
by たじまーる (2018-04-03 02:02)
加山雄三「光進丸」火災を受け“山あり谷あり”人生を振り返る・・・加山雄三は最近でもちょいちょい歌番組などで見かけるのですが、その華やかさは比類ないもので、さすが長きに渡って日本映画界の看板を背負ってきた一人だと唸らされます。わたしは以前は加山雄三にまったく関心がなかったのですが、そのキャリアをよく見れば、「日本映画史に欠かすことのできない俳優の一人」であることは明らかで、その後、いっぷく様のお記事などで教えていただくことも非常の多く、加山雄三に対して尊敬の念とともにその作品をできるだけ鑑賞したいと思っております。
今回のニュースも驚きましたが、あらためて加山雄三という稀代のスターの人生の数奇さを考えさせられることにもなりました。よきにつけ悪しきにつけ、その人生に起こる出来事のスケールが違いますね。今回の火災を受けての会見でもなお「前向き」を強調しているようですが、そこに加山雄三の信念があるのかもしれません。人を恨んだり、運命を恨んだりするよりも、起こった出来事をどう前向きにとらえ、自分の人生をどう前向きに進めていくか・・・「前向き、前向き」というは簡単ですが、それを実践するのは難しく、しかも降りかかる困難がとてつもなく大きい中で、それでも「前向き」を語れるのは確かに凄いことです。現在加山雄三、80歳ですからね。この年齢で今回のようなとんでもないことが起こり、それをまた乗り越えようとする。本当に見習うべき点が多いです。
加山雄三『ブラック・ジャック』は機会があれば、ぜひ鑑賞したいと思っています。この作品についてのいっぷく様のお話は、まさしく「いっぷく様ならでは」の素晴らしさで、その人間洞察の深さにいつも感服しております。『ブラック・ジャック』は原作が多くのファンの間で神格化されていたこともあり、実写で誰が演じても文句が出たのだと思いますが、そうした「一般的傾向」に一切とらわれることのないいっぷく様のご視点は本当に素晴らしい!そして漫画ファン、アニメファンの多くは実写を忌避する傾向にあるようですが、やはり「生身の人間」の素晴らしさが表現の原点でありますよね。
そう言えば、三沢光晴の必殺技が「エメラルド・フロウジョン」でしたね。まるで「シメパフェ」のようにファンシーなネーミングです(笑)。
それにしても唯一の核兵器被爆国の日本で、「原爆固め」「原爆頭突き」などのネーミングが、しかも戦争の記憶もまだ新しい時期にゴールデンタイムに流通していたっていうのは、昨今の放送状況と比較すると実に興味深いですね。
「ストレッチプラム」は川田の得意技でしたね~。もちろん知ってたはずなのですが、「プラム」が付いているのでわたしの中でいつの間にか「プラム麻里子のオリジナル」に変換されておりました(笑)。
>「指の角度が変わる」と「冬木スペシャル」になる
これは知りませんでした。スゴイですね、この感覚(笑)。かつてスタン・ハンセンに逃げられた新日が手っ取り早くハルク・ホーガンをスターにする必要があるために、「ラリアットのようだけど、肘の角度が違う」(笑)なんてこと言って、「アックス・ボンバー」を売り出したのを思い出しました。ただホーガンは比較的早く成長したとは思います。プロレスファンからはよく馬鹿にされてましたが、プロレスの内容だけでも、あの巨体であれだけのレベルの試合ができるレスラーはなかなかいなかったと思います。
「53歳」とか「秩父セメント」などはもう、「ウケ狙い」のプロレス中継アナウンスと連動していると想像します。しかし「秩父セメント」の頃はわたし、プロレス観てなかったかもしれません(笑)。まったく記憶にありません。
吉村道明の試合はほとんど観てないので、また愉しみが増えました。かつては回転エビ固めや、小包固めなどのバリューが大きかったですよね。もちろん「勝負論」がプロレスの中に生きていたからこそなのですが、試合のドキドキハラハラがありましたね。いわば、「いつ落とし穴に嵌るか分からない」という感覚です。RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2018-04-03 02:15)
加山雄三の全盛期の頃のアルバムのなかに
サンセット・オブ・ザ・ハーバーという
シンプルなギターのインストゥルメンタル曲があります。
全盛期にこうした静謐な曲が書けていたのはすごいですが、
今の彼の気持ちを代弁しているようにも思えます。
https://www.shazam.com/ja/track/40788062/サンセットオブザハーバー
by lequiche (2018-04-03 02:40)
おぼちゃま育ちの面は若いころだけで、借金などで苦労した分、人生を楽しんでいますね。苦労人と思わせないところがさすがだと思います。
by green_blue_sky (2018-04-03 05:26)
お坊ちゃんで苦労知らずだと思っていたので、今回ワイドショーなどで彼のこれまでを取り上げているのを見て驚きました。今回の件もショックだったでしょうが乗り越えていって欲しいですね。
by Rinko (2018-04-03 08:10)
「若大将」より「青大将」の田中邦衛さんが好きでした。
「北の国から」で国民的俳優になりましたが、最近みませんね。
by johncomeback (2018-04-03 08:57)
振り幅の広いダイナミックな人生を送っておられる加山さんなので、今度のことも乗り越えられると思って、応援したいです。昔、加山雄三は岩倉具視の子孫と聞いたことがありましたが、それは母方の小桜葉子さんからのつながりだったのですね。
by えくりぷす (2018-04-03 09:12)
若大将シリーズを観て兄貴のような
存在になってました。
多難な事を乗り越えて苦労が絶えなかったようですので
松本めぐみと結婚した時に「ガンバレ!」と
心の中で思ったものでした。
光進丸の所有者は地元の造船会社(?)のようですが
彼は「使用者」と言う事だったんですね~
by makkun (2018-04-03 11:30)
加山さん80歳お若いですね
人生を謳歌している証拠と思いましたが 人生谷あり山ありですね 船はお気の毒です
by チャー (2018-04-03 13:47)
いろいろな試練を生命力に変えて人生を楽しんでいる方と思っていました。お気の毒な災難です。
by JUNKO (2018-04-03 15:06)
こんにちは!
あの豪華なクルーザーが焼けて・・
ホントに気の毒に思うなあ~!!
by Take-Zee (2018-04-03 16:42)
長い芸能生活をされてますね。他ににるものがない往年のスターですね。
by ヤマカゼ (2018-04-03 18:01)
加山雄三氏の現在の年齢を考えると、立派な人生でしょうね。
by ヨッシーパパ (2018-04-03 18:53)
パシフィック、実家の近くだったので、子供の時ボウリングとかに行った記憶があります。
by KOME (2018-04-03 22:05)
中学生か高校生の頃
当時全盛のテレビ歌番組で
彼の歌を聞いていましたね。
そのうちの一曲が、飲料メーカーのコマーシャルに
使われたとき、勿体ないなぁと思ったものです。
by そらへい (2018-04-04 20:40)