ジャッキー佐藤、神取忍、山本小鉄。今日誕生日の人たちから3人抜粋しました。共通項はもちろん「プロレス」です。昭和プロレスマニアとしては、ジャッキー佐藤と神取忍の誕生日が同じというのが感慨深い。山本小鉄についてもちょっと思い出してみましょう。
ジャッキー佐藤(1957年10月30日~1999年8月9日)といえば、歌うアイドル女子プロレスラー、ビューティー・ペアとして昭和50年代前半、女子プロレスに隆盛をもたらしました。
もちろん、プロレス史的にはそれ自体、エポックメーキングなことでしたが、やはり特筆すべきは、彼女こそが、やっと女子プロレスに、長身の本格的な運動選手が入門した第一号。
すなわち女子プロレス団体が、スポーツエンタテイメントとしてのポピュラリティを獲得した証であることです。
日本の女子プロレスの歴史というのは、『女子プロレスラー小畑千代ーー闘う女の戦後史』(秋山訓子著、岩波書店)のご紹介記事で述べたように、
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女子プロレスラー小畑千代、女子プロレスを拓いた人生
スポーツエンタテイメントでも、格闘技でもない、アングラなお色気ジャンルとしてドサ回りの興行が行われていました。
団体としてもっとも長く続いた全日本女子プロレス(1954年~2004年)は、たとえば1960年代始めのチャンピオンが京愛子といいますが、
右が京愛子
経営陣の縁戚にあたる娘さんです。
要するにフロントだけでなく、選手まで含めた同族経営の一座でした。
他のレスラーといえば、具体的に名前は出しませんが、格闘家やプロレスラーとしての素養とは無関係な、家庭が極端に貧しい、家庭環境が複雑で居所がないなど、恵まれない「ほしのもと」の女の子が入門していました。
それがかわったのは、マッハ文朱の入門からといわれています。
『スター誕生!』というオーディション番組で、山口百恵とともに出演しながら、山口百恵にはホリプロから声がかかったのに、マッハ文朱には声がかかりませんでした。
マッハ文朱は、「山口百恵に敗れた女」を、逆に売り物にして全日本女子プロレスに入団。
長身、格闘技歴、過去の女子レスラーにはいなかったルックスの良さ、もって生まれたスター性、そして何より『スター誕生!』の決戦大会に出るだけあって歌唱力もある程度あったことなどから、団体始まって以来のアイドルスター選手となり、従来の女子プロレスのイメージを一気に変えました。
団体にはテレビもつき、「普通の会場」で常時興行をうつようになり、観客もヒヒ爺に代わって若い観客が入るようになりました。
ただ、やはりマッハ文朱はもともと芸能界志望ですから、女子プロレスラーとして自分の知名度が上がると、芸能事務所の誘いに応じて退団してしまいました。
腰掛けということですね。
しかし、マッハ文朱の貢献は大きかったと思います。
以来、従来のような薄幸の少女も引き続き入ってきましたが、普通の家庭の中高生も、徐々に入門テストに参加するようになりました。
その一人が、横浜商工高校でバスケットの選手だった佐藤尚子ことジャッキー佐藤だったわけです。
そのジャッキーも、25歳定年制で全日本女子プロレスを退団。
秋元康氏がプロデュースする、ジャパン女子という団体が旗揚げされリングに復帰しますが、感情のもつれから、柔道出身の神取忍に、喧嘩のような攻撃を仕掛けられて敗れ、結局引退します。
ジャッキー佐藤の、袈裟斬りチョップや水平チョップは、ダイナミックで見ごたえがあったんですけどね。
ビューティー・ペア、ご存知ですか。
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「山本さん、あんたって人は……」
ジャッキー佐藤と同じ神奈川県出身の山本小鉄(1941年10月30日~2010年8月28日)は、昭和30~50年代に現役プロレスラー、およびレフェリーとして活躍。その後も時折テレビやラジオに出演していました。
当時のプロレス入りのチャンネルは、相撲、レスリング、中学「新卒」、ボクシング、異色なところでは野球などがありました。
山本小鉄はプロレスラー志望でしたが、家庭の事情や体の大きさなどから、いずれの道にも進めない八方塞がりでした。
が、そこで諦めず定時制高校に入り、卒業後も経理の仕事をして家計を助けながら、ボディビルジムに通って体を鍛え、力道山に認めてもらって日本プロレスに入門しました。
山本小鉄、最後の上梓である『山本小鉄の人生大学プロレス学部』(実業之日本社)という本には、
めぐまれない「ほしのもと」だからといって嘆いていても何も解決しない。自力で切り開くしかない、というようなことを書いています。
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『山本小鉄の人生大学プロレス学部』語録と真相
これは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が一緒にやっていた頃の、日本プロレスの主力レスラーが集まったパンフレット用写真と思われます。
後列左端が山本小鉄ですが、よく見るとかかとが上がっています。
要するに、チビに見せたくなくて背伸びをしています(笑)
いくら背伸びをしたって、公称170センチの山本小鉄が、196センチの坂口征二(後列右から3人目)や、191センチの上田馬之助(その左となり)より高くなるはずありません。
もちろんそんなことは山本小鉄も承知の上でしょう。
おそらくは、隣の似たような身長の星野勘太郎にだけには負けたくないという気持ちからだと思います。
プロレスラーはナメられちゃいけない。
力道山時代のレスラーは決まってそういうのですが、山本小鉄も例外ではありません。
私は、新日本プロレス時代の山本小鉄は、小さくてプロレスも上手にこなせずシュートも弱いくせに、何を威張っているのだ、とあまり好感を抱けなかったのです。
が、『山本小鉄の人生大学プロレス学部』を読み、この画像のひたむきな背伸びを見てからは、「山本さん、あんたって人は……」と、その一所懸命な姿に評価を変えようかという気持ちになりました。
こうした気合いの入った中堅レスラーが頑張って支えたからこそ、メインのジャイアント馬場やアントニオ猪木が光ったといえるかもしれません。
昭和プロレスは、レスラーの一人ひとりに味があります。
山本小鉄の人生大学プロレス学部 -
同じ誕生日同士で戦って引退かぁ、なんか感慨深いなぁ。
by pn (2017-10-30 23:24)
>「山口百恵に敗れた女」を、逆に売り物にして全日本女子プロレスに入団。
本来ならショックなことのはずが、逆にこれを売り物にできるメンタルがあるので、それこそプロレスラーに向いていたのではと思います…
by ナベちはる (2017-10-30 23:38)
どの世界もスター選手がいないと盛り上がらないということですね。
京急と名鉄たしかに似てますね。
名鉄は8両から4両と短い編成が多いです。
by nikki (2017-10-30 23:39)
山口百恵に直接敗れたわけではないと思いますが。
セルフプロデュースのうまさか。それとも会社がそうしたのか・・
by うつ夫 (2017-10-31 00:10)
こう言っては失礼ですが、小鉄さんは非力ながらもひたむきなところがいいですね。
by 関谷貴文 (2017-10-31 00:21)
ジャッキーと神取が同じ誕生日とは驚きです。因果な関係だったんですね。しかも小鉄まで同じ誕生日!そしてマッハ文朱・・・なかなか腕が太いです。
マッハが試合後に泣きながら歌い始めたシーンを見たのがわたしにとって初めての女子プロレスだったと思いますが、(命を懸けて戦うリングで何すんだ!)と衝撃を受けてから、ずっと女子プロを「プロレス」だと考えていない時代が続きました。それが北斗晶を中心とした対抗戦の時期には男のプロレスよりも熱中するのだから、分からないものです。
神取にはボコられたジャッキーですが、その後の全女はアスリート的にも大きく向上した印象がありました。前にも書きましたが、バット吉永は当時全女の5番手以内にも入ってないレスラーでしたが、キックルールで「キックのチャンピオン」として出てきた神風杏子を圧倒し、バックブローでKOしたのを観て、(全女レスラーの身体能力はかなりのものだ)と感心したものです。「吉永VS神風」のような、まったくプロレスとは別の試合を全女興行内にあっさり入れていたのも凄いなあと思いました。
パンフレット用のお写真、やはり風格がありますね。上田馬之助もいい面構えに見えます。小鉄が「シュートが弱い」というのは、いっぷく様に教えていただいて初めて知りました。「鬼軍曹」のイメージが先行していましたので、てっきりシュートも強かったのだとずっと思い込んでいましたから。ヤマハブラザーズの存在は、わたしのイメージでは新日本の興行クオリティを保証する大きな要素だったのですが。
それと小鉄の場合、解説のポジションを得たことで、こうして本も出版できるようになったというのはありますね。小鉄の解説はけっこう好きでしたし、新日全盛期の記憶と重なりますが、同時に新日が変な方向へ行ってしまう時代の記憶とも重なっています。
昆虫とか魚とかの中には比較的雌雄が分かりやすいタイプもいますが、子どもの頃に愛した(笑)亀の雌雄を知らなかった事実に最近気づいて(笑)驚いています。亀は何しろ見続けて飽きない魅力がありました。ふと思ったのですが、大人になって長い間、人間以外の生物を、飼わないまでも、意識する時間がほとんど無くなっていたので、いまちょっとそんな感覚を思い出したら新しい発見もあるのかもしれないと考えています。
沖識名の前職がカワいいヒヨコちゃんの大事な部分(笑)見まくる仕事だったのですね!わたしいまだに、(どうしてあのカワいいヒヨコちゃんが鶏になってしまいのか!)と憤ることしばしばです。しかし考えてみれば、人間も赤ん坊と大人ではかなり違いますね。グレート・アントニオも赤ん坊の頃はあんなじゃなかったはずですし(笑)。どう間違えて、あんなになってしまったのか。
わたしは語学をやり続けているので外国人と身近に接する機会は比較的多いのですが、女性は日本人が一番いいです(笑)。欧米系の女性は映画、バレエ、テニスなどでは観応えあるし、カッコいいのですが、そしてあくまで個人的感想ですが(笑)、一般の欧米女性で魅力を感じる人は滅多にいないです。まあ、いまだに「白人女性コンプレックス」の日本人男性も少なからずいますけれど、彼らの目には現実とは違うものが見えていると言いますか、その辺歩いている白人女性が全員ハリウッド女優に見えているのだと思います(笑)。語学の会話教室的なところへもかなり長期間通っていましたが、「勘違い日本人」の率はかなり高かったです。
小池百合子の選挙前の動きもなかなか酷かったですが、そのおこぼれに預かろうと希望の党へ集まった民進党の政治家の姿を見ていると、「浅ましい」という言葉がピッタリだと感じます。どうせ選挙で勝ってたら、「小池様様」で、「一生ついていきます~~」とか言ってたのは間違いないところでしょうから。そうした自分らの行動を、「理想の政治を実現するためには、議席が必要なんですから!」とか言い繕うろうので、「浅まし指数」が極限まで上がってしまいます。理想も理念もないことは見え見えだというのに。
同時に、「カルト宗教的理念」によって言動している人たちにも大困りです。いっぷく様のおっしゃる原発関連の問題についてもその通りで、難しい問題ですから賛否あるのは仕方ないにせよ、客観的根拠なしに自分が信じ込んでいる結論を絶対視して人に押し付けようとする人たちが多いので、議論にならなくなりますね。このような人たちは、何があってもすべて「客観的根拠なしに自分が信じ込んでいる結論」に都合のいいように結び付けてしまいますから、ほとんど五島勉の『ノストラダムスの大予言』を信じている人と話しているような感覚になります。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2017-10-31 01:03)
ジャッキー佐藤が、神取忍にボコボコにされていたのはよく憶えています。圧倒的な実力差を感じました。
山本小鉄は、現役の選手時代の印象が薄いです。
レフリー、解説者、鬼コーチのイメージですね、。
解説の時「ヤマハブラザーズは・・・」と自らのタッグチームの名を出していたことが、すごく記憶に残っていいます。
「そんなチームのこといわれても、よくわからん」と、心の中でツッコミを入れていました(笑)
by うめむす (2017-10-31 01:21)
上田馬之助って思ってたより高身長だったんてすね〜
by yamatonosuke (2017-10-31 02:23)
女子プロレスは希に見てましたがビューティー・ペアとか
マッハ文朱など99㌫忘れてます。男性のプロレスは良く見て興奮してましたよ。懐かしいです。
by 旅爺さん (2017-10-31 06:00)
ジャッキー佐藤さん亡くなられていたのですね。
~の後ろに日付が入っていることで気がつきました。
知りませんでした。
by 土芽 (2017-10-31 06:17)
このころ女子プロも一世風靡しましたね。でも今も人気らしい。
by ヤマカゼ (2017-10-31 06:43)
ビューティ・ペアってのが出てきたと聞いて雑誌で写真を見たけど、『ウソこけ』って感じでしたね ^^;
でも、妹たちは盛り上がっていたように思います(^^)
by なかちゃん (2017-10-31 08:31)
こんにちは!
山本小鉄の背伸び、よく見つけますね!
by Take-Zee (2017-10-31 08:40)
あの方は日本画を初めて5年位だそうですが中々の腕前ですよね。
お願いしてブログに載せてもいいかも了解済みですが名前はまだ公表したくないそうです。
by 馬爺 (2017-10-31 10:07)
山本小鉄はレフェリーのイメージが強いです。
それにしても「背伸び」は笑ってしまいました。
仙台には「センダイガールズプロレスリング」があります。
直ぐに潰れるかと思いましたが、もう12年も続いています。
by johncomeback (2017-10-31 14:12)
マッハ文朱は、少し前にテレビで見かけました。後輩のアジャコングが恐縮しまくりでしたが、現役は短かったわけですね。ジャッキー佐藤は、逝くのが早すぎです。
by えくりぷす (2017-10-31 14:54)
ビューティー・ペアは歌が印象的でしたね^^
亡くなっていたのは知りませんでした。
by little_me (2017-10-31 15:42)
ビューティーペア、いましたね。
女子プロレスのアイドルの走りでしょうか。
マッハ文珠さんがプロレスを始めるのに、そういういきさつもあったのですか。知らなかったです。
スター誕生に出ていたことも。
by アールグレイ (2017-10-31 17:37)
ビューティー・ペアは勿論、ご存知ですよ。
歌う曲も、「かけめぐる青春」の振り付けも、同年代の同性としてはダサくて恥ずかしかった思い出があります。
それ程観ていた訳ではないものの、ビューティ・ペアのネーミングも、今思うと懐かしさでいっぱいになります。
ジャッキー佐藤さん、お亡くなりになられていたのですね。
by hana2017 (2017-10-31 17:47)
ビューティ・ペアやマッハ文朱は覚えています。
アイドル出身のミミ萩原もいましたね。
by ヨッシーパパ (2017-10-31 18:48)
マッハ文朱さんというと「宇宙怪獣ガメラ」を思い出します
by miyappp (2017-10-31 18:53)
母へのお見舞いのお言葉ありがとうございます
おかげさまでで、大事に至らず良かったです
左耳の回復は 難しいようですが 期待が無いわけではありません 右がバッチリなので 補えるようです 何より 母の元気な顔を見られて良かったです ありがとうございました^ ^
by チャー (2017-10-31 18:57)
マッハ文朱、懐かしいですね。
久し振りにその名前を聞いた気がします。
私が知っているのは、プロレス時代より
芸能活動してからかも知れません。
by そらへい (2017-10-31 19:49)
女子プロレスと云えばジャッキー佐藤、神取忍、
マッハ文朱くらいしか知りませんが
当時のプロレスは興業的に潤っていたのでしょうね~
因みに私の誕生日=5月26日生まれの有名人は
つるの剛士が筆頭かも・・・・(笑)
by makkun (2017-10-31 20:18)
マッハ文朱やビューティーペアーは小学校低学年だったような・・・。唄って・踊っていたのを覚えています。^^
それにしてもマッハ文朱がスター誕生出身だとは知りませんでした!!
by Rinko (2017-11-01 08:21)