ひし美ゆり子。ファンなら今更説明の必要もないでしょう。『ウルトラセブン』のアンヌ隊員が出世作です。今週号の『週刊大衆』(2月3日号)では、カラーページで「ウルトラセブン激闘名シーン」を、さらに現在のひし美ゆり子にインタビューした「ズバリ本音で美女トーク」記事も掲載されています。
『ウルトラセブン』といえば、放送終了から46年。しかし、『ウルトラマン』もそうですが、最近は出演者が当時を語る仕事をよく目にします。ひし美ゆり子もその一人です。
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同誌インタビュー記事では、アンヌ隊員役が突然決まったこと、第42話の水着は私物であること、地方ロケは毎晩宴会だったことなど、当時のエピソードを話しています。まあ、マニアならすでにご存知のことかもしれませんが。
ひし美 アンヌ隊員を演じる予定だった豊浦美子さんが映画出演で役を降りることになって、私は代役だったんです。いきなり抜擢されて、もう必死ですよ。台詞を吐き出すのが精いっぱい。私は演じる意識が希薄で、あれは地なんですよね。
豊浦美子は、東宝でひし美ゆり子の一期先輩ですね。
ひし美ゆり子が言う「豊浦美子さんが映画出演で役を降りる」というのは、『怪盗ジバコ』(1967年10月)のことを指しています。
主人公の怪盗ジバコは植木等。最初はジバコを捕まえる刑事だったのに最後は一緒に盗賊団とたたかう谷啓演じる鈴木三郎の彼女役。浜美枝とともにヒロイン扱いでした。
『東宝昭和の爆笑喜劇Vol.14』(講談社)には『怪盗ジバコ』が収録されています。
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同書はこのブログの『
HTR-009WA(DVDプレーヤー)を購入して『怪盗ジバコ』を鑑賞』という記事でも触れましたが、その中の読み物ページで、たしかにこう説明されています。
「実は本作の直前、豊浦はあの『ウルトラセブン』のアンヌ隊員役に決まり、撮影も始まっていた。しかし、本作の坪島孝監督が「ぜひ!」と望んだため“テレビより映画”という当時のセオリーに従い、クレージー映画への出演を決定。アンヌ隊員役は菱見百合子が演じることに」
つまり、豊浦美子は『ウルトラセブン』と『怪盗ジバコ』のふたつの仕事があって『怪盗ジバコ』を選んだわけではなく、いったんは『ウルトラセブン』の仕事を始めていたのに、『怪盗ジバコ』にうつったわけです。
1967年は、映画>テレビ、という価値観がギリギリで残っていた頃であるとともに、坪島孝監督の丁寧な仕事も評判が良かったのだろうと思います。
あとは、クレージー映画>特撮ドラマ、という価値判断もあったでしょうね。
『ウルトラセブン』は、関かおりがケガで降板しています。それだけアクションが厳しい仕事だったので、アクション女優志向でなければ、最優先しないという判断が働いたのかもしれません。
坪島孝監督と豊浦美子というと、その半年前に『クレージーの黄金作戦』という作品で、3人の芸者のひとりとして出演しています。
そのときの他の芸者役は、すでに東宝の中堅女優として名を成していた北川町子(児玉清夫人)、社長シリーズの娘役でお馴染みの中真千子でしたから、豊浦美子がその人たちと同じ格の役をもらったということは、彼女に対する東宝の期待は高かったんだろうと思います。
その後も、彼女は坪島孝作品では、『クレージーのメキシコ大作戦』に出演していますが、これからという70年以降はもう引退。
その後、新聞の「あの人は、今」インタビューで1度見たことがありますが本人に復帰の意思はなく、欲のない人だなあと思いました。
まあたぶん、そのまま『ウルトラセブン』に出演しても引退していたのでしょうね。
豊浦美子というと、私は『青春とはなんだ』(1965年、東宝、ドラマ)の高校生役を思い出します。当時彼女は21歳。
共演していた岡田可愛さん(当時16歳)が、「豊浦美子さんは20歳を超えていたので、結構照れてセーラー服着てました」と話してくれたことがありますが、学園モノで生徒役だった人が社会人役で出演していると、時のうつろいというか、役者として一歩先のステージに進んだんだなということを感じるので、私はその作品はすごく好意的に見てしまうところがあります。
まあそういうことを抜きにしても、私にとって『怪盗ジバコ』は、30作あるクレージー映画の中でもbest workだと思います。
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