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教え子を再び戦場に送るな(サンフランシスコ体制の51年) [戦後史]

◆1951/1/24 教え子を再び戦場に送るな

朝鮮戦争勃発による再軍事化、戦犯復帰による政治・教育の反動化の動きが警戒される中、日教組は第18回中央委員会で「日の丸」に反対を採択した。

そして全面講和・中立堅持・軍事基地提供反対・再軍備反対などの平和四原則を決議し、「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを決めた。

なお、平和四原則は、日本社会党、総評(連合の前身)なども採択していく。

戦後史上の重大事である。

現代の感覚では、「教員組合が政治運動などしてもいいのか」と思われるかもしれない。巷間、日教組に対するイメージもかなり悪くなっているし、またそれも仕方のない面もある。

ただ、このスローガン自体は、教え子を戦場へ送って戦争に協力したことに対する、教育者としての痛切な悔恨が込められており、その反省に立った教師の戦争反対の決意であること自体は否定できないものであった。

戦争に対する哀しみと忌避感は、思想信条の違いを超えた一般的な国民感情であり、とくに当時はまだ戦争が終わって6年しかたっていないため、このスローガンは多くの国民の共感を集めた。

1950年6 月、朝鮮戦争が勃発し、マッカーサーは国家警察予備隊の創設を指令、再軍備に道を開き、日本を“反共の砦”と位置づけた。一方で、日本政府は独立を前にして、「日の丸」「君が代」「道徳教育」復活など、一部から戦前への逆コースといわれる教育政策を志向し始めた。再軍備や戦後教育を見直す動きの中で、日教組は、1951年1 月に開いた中央委員会でスローガン「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」を採択し、戦後教育に関する運動を開始した。また、1951 年11月10日、栃木県日光市で第1回全国教育研究大会(教育研究全国集会=全国教研の前身)を開き、毎年1回の教育研究集会を開催、現在に至っている。(wikiより)

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ももきち

初めまして<(_ _)>
ご訪問ありがとうございました!!
by ももきち (2010-07-15 22:14) 

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