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予算委員会、前代未聞の暴言 [戦後史]

浜田幸一暴言 1988,2,6

戦後史上、最悪の暴言か。

この日の衆議院予算委員会で、日本共産党の正森成二議員が質問中、議事を進行する役割である予算委員長の浜田幸一が、突然正森の質問と無関係に「我が党は終戦直後に殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況を作りだしたときから、最大の懸念をもち、最大の闘争理念をもっておりました」と発言した。

そして、まるで計算しているかのように、テレビ中継終了直前にも質疑を止め、「ミヤザワ(宮本)顕治は人殺し」と発言し、国会中継は紛糾したまま終わった。

浜田幸一が持ち出したのは、戦前の治安維持法下での事件であり、現にその時代ですら「でっちあげ」を認めていた。発言する時ときっかけにも全く根拠がなく、明らかに計画的なものだった。

日本共産党だけでなく野党が一斉に抗議して委員会は空転。
浜田は6日後に辞意表明した。

この件、日本共産党とはともに天を戴けないとする立場の媒体は、「浜田幸一の言ったことは正しい」などと論説しているものもあったが、そもそもこのことは、思想信条や歴史観や人物評以前の問題である。

「人殺し」呼ばわりに限らず、対外的な名誉を貶める発言は名誉毀損であり、ましてや、国権の最高機関では、ちょっとした言葉尻も「不規則発言」として懲罰の対象になる。委員長としても国会議員としても、また社会人としても不適格な発言なのは議論するまでもないことだろう。

さらに問題なのは、これが過去のハプニングではなかったということである。

浜田幸一は引退後、テレビ番組でも日本共産党の議員が出演すると異様にエキサイトした。

それに応じようとする同党の佐々木憲昭衆議院議員を、「あまりまともに相手になさらない方が」と、爆笑問題の田中裕二がたしなめていたシーンもあった。

テレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」は、浜田幸一が出演している間は、日本共産党の議員は一切出演しなかった。

いつしか浜田が出なくなり、それと入れ替わって同党の小池晃が出た頃から、まともに議論や提案が行われる有益な政治バラエティ番組になった。

浜田幸一が最近、破産してから、やっと批判的な論調がメディアに出るようになったが、何を今さら……である。

というより、破産してから責め立てるマスコミは、池に落ちた犬を叩くようで気味が悪くもあった。

批判するなら、なぜもっと前からしなかったのか。

その質も問わず、「キャラの立つ」人を、さらに面白おかしく仕立ててさんざん利用し、
まずいことがおこると、今度は叩く側に回る。

一粒で2度おいしいではないが、メディアのマッチポンプ的いじり方も
考えるべき点がある。テレビ局は、自らの責任を省みることが先だろう。
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食糧自給率最低の国作り [戦後史]

農産物自由化 1988,1,12

竹下登首相がこの日、戦後史上に名を連ねる歴代首相が誰でも行う恒例の訪米をし、レーガン大統領と会談。アメリカから農産物の輸入自由化を要請された。

貿易摩擦のハケ口を農産物市場の拡大に求めるものだった。竹下登はそれに対し「構造調整」や「市場解放」などを約束。国民に対しては「このための負担を進んで担わなければならない」(プレスクラブで)と述べた。

この後、6月20日には日米間において牛肉とオレンジが3年後、オレンジジュースは4年後の自由化で最終妥結した。また、6月24日には日豪間牛肉交渉も3年後の輸入自由化でまとまった。

これが6年後には国会決議を反故にした「米の自由化」にまで至る。今や我が国は、島国と叡知を感じさせる農業技術を持ちながら、「先進国」では食糧自給率のもっとも低い国になってしまった。

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公正な競争なしに選ばれた“エリート”育成 [戦後史]

臨教審最終答申 1987,8,7

戦後史上、教育がどう扱われてきたか、というのも大きなテーマである。戦後教育史、という独立した研究分野でもある。

さて、過去3年にわたって3度の答申を行ってきた臨時教育審議会(臨教審)が最終答申を行った。これによって「教育改革」の全容が明らかになった。

そこでは「教育の自由化論」「教授の任期制」「多元的な民間資金の導入」など、主に高等教育を対象にしたものとなっている。

端的に言えば、大学の研究と企業のプロジェクトを結び付けた「産学協同」「大学のインテリジェント化」などを唱えている。

しかし、納期のある企業の生産活動と、納期の定められない学問とは本来直接結び付けるのが困難なものであり、大学の研究室が企業の下請け化する、という批判が主に教育の現場サイドから上がった。

「審議のまとめ」によると、「初等中等教育段階」では、「基礎・基本の徹底」「自ら学び、自ら考える力の育成」「豊かな人間性の基盤づくり(体験活動の機会の充実,道徳教育の充実)」などがうたわれ、 主な施策としては、「新学習指導要領の実施」とともに、「画一的な教育や知識偏重など、戦後の教育の問題点を踏まえ、「個性重視」「生涯学習体系への移行」「変化への対応(情報化、国際化等)」などがうたわれた。

ウォーターフロントといわれた千葉湾岸地区に、情報系、語学系大学が相次いで設立されたり、各大学の学部・学科の再編が行われたのはこうした施策に沿ったものであろう。

「高等教育段階」では、「基本的な方向」は「大学の教養教育カリキュラムの充実」「カリキュラム外も含めた様々な活動の充実」を掲げ、「高等教育の量的拡大」「「飛び入学」の制度化」などを実施した。

しかし、「量的拡大」とは、普通科以外の学制を「拡大」する。すなわち「学制の複線化」であり、制度によって「個性」を振り分ける受け皿作りという感は否めない。

さらに「飛び級」は、「競争の中から誕生する開かれたエリート」ではなく、「最初から選ばれたエリート」を作り上げるもので、「競争社会」を逆手にとった戦前の「エリート育成」へり逆戻りといえなくもない。

さらに、審議では「生涯学習」も唱えられている。もちろん、人が生涯にわたって学ぶ事を否定するものではないが、これはこんにちの公教育の責任の最低限化の布石という分析は残念ながら否定できない。

その点で、教育の自治と万人に機会を保証する戦後の教育基本法とは異なる方向性を打ち出したという批判も抑えきれなかったのが、この「改革」の答申であった。
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55年体制、議長あっせん案 [戦後史]

議長あっせん案 1987,4,23

「岩手ショック」や統一地方選における不振などから、自由民主党内にも執行部の方針に批判的な声が出始めていた。

そうした状態に焦った政府・自由民主党は、衆院予算委員会で予算案を強行採決する。

それに対して野党は反発し、4月21日の衆院本会議で野党が不信任案を連発。牛歩戦術まで繰り出した。そこで自由民主党は予算を通過させる条件として、議長の調停による「あっせん案」なるものを野党に提示した。

「日本共産党を除く」自社公民連の与野党5党は、統一地方選挙前半戦が終了した時点で、原健三郎衆議院議長の「売上税法案議長預かり」について相談。

野党5党がそれを受け入れたために、売上税自体は廃案になった。

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売上税は消費税の“プロトタイプ”!? [戦後史]

自由民主党 売上税導入決定 1987,1,20

前年の同日選前には、「国会や自由民主党の反対するような大型間接税の導入は絶対にしない」「この私がウソをつく顔に見えますか?」と遊説して歩いた中曽根康弘首相だったが、年あけのこの日の党大会では「売上税導入」「軍事費1%突破」という運動方針案を決定した。

しかし、国会では「大型間接税」という言葉を隠そうとした「税制改革」という施政方針演説が野党の反発を買い、いきなり4日間空転。首相は補足する形で「税制改革とは売上税導入のこと」と訂正した。

そういえば、今の民主党政権も、税と社会保障の一体改革とか何とか言っているような……?

「公約違反」の売上税導入に対して野党は、社公民連が1月20日に「売上税等粉砕討議協議会」を結成。日本共産党も反対闘争を繰り広げた。

1月24日には「大型間接税・マル優廃止反対各界連絡会」が結成され、大型間接税に反対の決議を採択した自治体は1月末で871に、3月8日で1000を超えた。

そして、その後の選挙では自民党)候補が相次いで敗れるなど、売上税は税制改正の問題を超えて、政治と経済を揺るがす大問題となった。

この「売上税」は結局廃案となるが、これが後の「消費税」へとつながっていく。

自由民主党のホームページでは、最近まで当時をこう振り返っていた。
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昭和六十二年は、前年十二月に党税制調査会がまとめた税制改革案をめぐる攻防で開けました。この案は、所得・住民・法人税の減税と新型間接税である「売上税」を組み合わせたものでしたが、野党は、「大型間接税を行わない」との中曾根首相の約束に反するものとしてこれを攻撃し、国会は冒頭から荒れ模様となって、予算審議は難航しました。野党攻勢に拍車をかけたのは、三月の参議院岩手選挙区補欠選挙における社会党候補の勝利と、四月の統一地方選挙における自由民主党の不振です。党執行部の方針に批判的な声が出はじめ、予算は議長の調
停でようやく通過したものの、売上税は廃案になりました。
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/ayumi/all.htmlより、今は非表示)
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国鉄の分割・民営化 [戦後史]

国鉄分割・民営化 1986,10,28

政府の要請で新幹線計画を実施して以来赤字事業に転落した国鉄を、政府は分割・民営化すべく、この年の2月28日に「分割・民営化5法案」を閣議決定し、3月3日には国会に提出した。

そして9月11日からの第107臨時国会を「国鉄国会」とし、その成立に執念を燃やしての召集となった。

法案には公明党・民社党が賛成し、日本共産党は反対した。日本社会党は分割には反対したものの、民営には「日本鉄道株式会社」なる会社の設置を代案として、民営化に反対できず、国労の一部から信用を失った。

審議はぎりぎりまで行われたが、最終的には強引な採決で法案を通した。

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国家機密法廃案 [戦後史]

「新防衛力整備計画」 1985,9,18

閣議によって、この日新たな「防衛力整備計画」が決定した。内容は、日本が1000カイリシーレーンの海・空域の防衛を分担する、洋上・水際撃破能力の向上を目指す、などである。

これによって向こう5カ年で18兆円もの経費がかかることになったが、それはGNP1%枠をわずかだが突破するものだった。そこで野党はその軍事大国化を反対した。戦後史上、これも重要な出来事である。

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ゆとり教育”の本当の目的は「エリート教育」 [戦後史]

“ゆとり教育”と呼ばれるカリキュラムが一時期あった。詰め込みすぎの教育の弊害を是正したものだったが、あまり好評ではなかった。それもそのはずで、問題点の一つとして、「ゆとり」と言いながら、実はその本当の目的は「エリート教育」だったという説もあるのだ。

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真の「機会均等」とは? [戦後史]

男女雇用機会均等法 1985,5,17

1985年5月17日、衆議院本会議は女子差別撤廃条約批准のための不可欠な「男女雇用機会均等法」を可決成立させた。

1986年に施行された「均等法」はその第12条1項において、「事業主が講ずるように努めるべき措置についての指針」という告示によって、総合職(キャリア)、一般職(ノンキャリア)といった労働条件別の将来性選別コースを設定できるようにしている。

この法律は、定年や昇進などで、女性にも働く者の道を開く一定の積極性はあったが、一方で「総合職」「一般職」のように従来の男女差別を合理化する面もあった。

「バリバリ働く人」と、「それはちょっと無理だ」という人を「女性社員に限って」分けへだてる仕組みがここにできたことになる。

各コースの選択についてはもちろん本人の自由だが、現実に「カローシ」予備軍となる男性社員並みの長時間労働、転勤などがあり、「総合職」を選択する女性は、施行当時からごくわずかといわれた。

また同時に、「母性保護」規定を縮小・廃止する面もあったのは問題を残した。

つまり、この法律に疑えるのは、
機会を均等にするなら、女は男と同じように働け
という考え方である。

もちろん、「女だから許してぇ」という甘えは否定してフェアにやるのは大いに結構なのだが、現実に女性にある生理や妊娠・出産・育児に対する配慮がないのは、逆に不公平ではないだろうか。

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「女心」は戒めても、「女」であること自体を捨てさせるような「均等」観は、道理のある考え方ではないだろう。

女性労働問題研究家の桜井絹江は、その施行当時、「週刊読売」(137~138ページ)でこうコメントしている。

「女性が社会的差別なしに働ける時代づくりに、『コース別採用』は逆行しています。総合職を希望しても、女性は『一般職』と頭から決めて押しつけてしまった企業が多く、また総合職が出世の道を開いているといっても、労働の内容(長時間、超過密労働、転勤)から見て、やむを得ず一般職を選んでしまうのが現状です。つまり、性差別を巧妙に能力差別に置き換えてしまっているわけです」

男女の性的役割分担決めつけが定着している社会構造を克服せずに、こういう「機会均等」を持ち込む。そこで求める「能力」とは、オンナを捨てて「バリバリ働く」ことを選択させることにほかならない。

これは、女性に対して不当な扱いであるだけでなく、「能力」主義、「競争」主義のイデオロギーを性差別と絡
ませて合理化している点で、実は男性労働者にとっても決して無関係なことではない。

こんにち、「構造改革」などといわれるが、成果主義とリストラを組み合わせた労働強化は、この均等法が地均し役になったという指摘も一部の識者からは行われている。
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ボンサミット [戦後史]

ソ連・チェルネンコ共産党書記長死去 1985.3.10

コンスタンティン・ウスチーノヴィチ・チェルネンコ・第7代最高指導者・第4代中央委員会書記長・第4代ソビエト連邦共産党中央委員会書記長が亡くなった。長年患っていた肺気腫が悪化した心肺機能不全が死因といわれている。

翌日の3月11日には、後任としてゴルバチョフ政治局員が就任した。

ボンサミット 1985,4,29

「サミット」とは、首脳の地位が国政のトップ、すなわち山頂にたとえたものである。

中曽根康弘首相のもとで5月2日ー5月4日、ボンサミット(第11回先進国首脳会議)を迎えた。

ここでは、半年後の米ソ首脳会談を控えてのサミットということで、軍縮の問題が問われた。話し合いの結果は、「第2次世界大戦40周年政治宣言」を中心に、経済宣言、議長談話などにまとめられた。

それによれば、「世界経済は過去のかなりの期間に比べ良好な状態にある」が、「我々の諸国は未だ重要な挑戦に直面している」とし、次のことを行う必要があるとした。

・我々の経済の新たな展開への対応能力を強化すること。
・雇用の機会を増加すること。
・社会的不公平を減らすこと。
・長期化している経済の不均衡を是正すること。
・保護主義を防遏すること。
・世界の通貨制度の安定性を向上させること。

しかし、内容はアメリカの提案を支持するというもので、その時話題であったSDについては「中心問題にしないIと「政治宣言」では触れられなかった。

経済の点では、中曽根康弘首相はは「大幅な税制改革」や大企業の規制緩和などを国際的に公約。前者は大型間接税のことを指していた。

 なお、ボンサミットの詳細は外務省のホームページで公開されている。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/bonn85/
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