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公正な競争なしに選ばれた“エリート”育成 [戦後史]

臨教審最終答申 1987,8,7

戦後史上、教育がどう扱われてきたか、というのも大きなテーマである。戦後教育史、という独立した研究分野でもある。

さて、過去3年にわたって3度の答申を行ってきた臨時教育審議会(臨教審)が最終答申を行った。これによって「教育改革」の全容が明らかになった。

そこでは「教育の自由化論」「教授の任期制」「多元的な民間資金の導入」など、主に高等教育を対象にしたものとなっている。

端的に言えば、大学の研究と企業のプロジェクトを結び付けた「産学協同」「大学のインテリジェント化」などを唱えている。

しかし、納期のある企業の生産活動と、納期の定められない学問とは本来直接結び付けるのが困難なものであり、大学の研究室が企業の下請け化する、という批判が主に教育の現場サイドから上がった。

「審議のまとめ」によると、「初等中等教育段階」では、「基礎・基本の徹底」「自ら学び、自ら考える力の育成」「豊かな人間性の基盤づくり(体験活動の機会の充実,道徳教育の充実)」などがうたわれ、 主な施策としては、「新学習指導要領の実施」とともに、「画一的な教育や知識偏重など、戦後の教育の問題点を踏まえ、「個性重視」「生涯学習体系への移行」「変化への対応(情報化、国際化等)」などがうたわれた。

ウォーターフロントといわれた千葉湾岸地区に、情報系、語学系大学が相次いで設立されたり、各大学の学部・学科の再編が行われたのはこうした施策に沿ったものであろう。

「高等教育段階」では、「基本的な方向」は「大学の教養教育カリキュラムの充実」「カリキュラム外も含めた様々な活動の充実」を掲げ、「高等教育の量的拡大」「「飛び入学」の制度化」などを実施した。

しかし、「量的拡大」とは、普通科以外の学制を「拡大」する。すなわち「学制の複線化」であり、制度によって「個性」を振り分ける受け皿作りという感は否めない。

さらに「飛び級」は、「競争の中から誕生する開かれたエリート」ではなく、「最初から選ばれたエリート」を作り上げるもので、「競争社会」を逆手にとった戦前の「エリート育成」へり逆戻りといえなくもない。

さらに、審議では「生涯学習」も唱えられている。もちろん、人が生涯にわたって学ぶ事を否定するものではないが、これはこんにちの公教育の責任の最低限化の布石という分析は残念ながら否定できない。

その点で、教育の自治と万人に機会を保証する戦後の教育基本法とは異なる方向性を打ち出したという批判も抑えきれなかったのが、この「改革」の答申であった。
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