「親の顔が見たい」の日米による違いを考えてみた [生活]
「親の顔が見たい」と、言ったり言われたりすることがあります。賛否が分かれる慣用句ですが、かつてプロ野球、楽天イーグルスのリンデンというアメリカの選手が起こしたミスについて、野村克也監督にそういわれて揉めてしまい、大事なクライマックスシリーズ前に1軍登録を抹消する出来事がありました。
それが、フェイスブックで話題になっていたのですが、旧聞ながら面白かったのでここでシェアします。
野村監督は、リンデンの素行の悪さの原因を親の教育に求め、リンデンは「親は関係ないだろう」と反発したわけです。
野村監督は、リンデンの両親の人格をケナしたかったわけではなく、リンデンの素行が何に由来しているのか、ということを知りたいという意味があったと思われます。
日米の文化(仏教とキリスト教)の違いに由来する、という見方は興味深いものがありました。
要するに、野村監督が言っているのは、「親の因果が子に報い」「この親にしてこの子あり」ということですよね。
親の悪い業を、子が受け継いで悪くなると。
キリスト教では、そういう概念はありませんからね。
釈迦仏教、大乗仏教、キリスト教の違い
元楽天で野村監督とケンカした
— ファルっち (@falnn_chaaan) June 21, 2023
トッド・リンデンですか?? pic.twitter.com/coqwywks4o
仏教では、伝統仏教、いわゆる釈迦の仏教では、そういう言い方はしません。
自業自得、因果応報、自因自果などといって、自分の不始末は自分に返ってくる、という教えだからです。
つまり、親がひどいからと言っても、その業は親自身が報いを受けて完結するもので、子にそれは引き継がれない。したがって子と親は関係ない、という教えです。
ただし、少しずつそれが変わってきます。
今、私たちに普及している大乗仏教では、「縁起」という考え方に基づくと、「親の因果は子に報いる」ことは否定できません。
諸法無我と言って、簡単に述べると、万物はすべて影響を受けあっているという考え方なのです。
中でも親子関係というのは、もっとも影響を受けやすい近い関係です。
遺伝としても、家族として暮らす生活環境としても、当然ですよね。
私は、この考え方のほうが、釈迦仏教よりも現実的で合理的ではあると思います。
だって、自業自得で完結していたら、「毒親」問題なんて起こりえませんから。
親の悪さの影響を子が受けて、子が生きづらくなっているのが毒親育ちですね。
子の人格は「ほしのもと」が重要ですし、それを見るうえで、「どういう親なの?」というのは当然あり得る疑問だと思います。
ただ、それを主観的に拡大解釈してしまうと、子の犯罪も親が賠償しろとか、親が罪人だから子どもの進学や就職をNGにするとか、行き過ぎた解釈が生まれかねないので、公的に親子関係をどう見るかということに、持ち込むべきではないと思います。
親の人格には子に反映し得るが、どう反映するかまでは、人智では計り知れないからです。
一方、キリスト教ですが、こちらは明快で、人は神の子という位置づけでなんびととも等価であり、親子関係に重きは置かないようです。
以前、福沢諭吉の訪米のことを書きましたが、ジョード・ワシントンというのは向こうでは偉人ですが、その親については全くアメリカ人は関心がないことに福沢は驚いたといいます。
ワシントンが偉人だからといって、どんな親御さんか、どんな子育てをしたのか知りたい、なんて発想はアメリカ人にはないというのです。全ては神の子だからです。
遺伝子を受け継いでも別人格
リンデン「野村さんに謝る機会を作ってくれて」 pic.twitter.com/R6KavpBDCw
— おそろしの森 (@slowrtraffic) June 6, 2023
ということで、結論としては、野村監督の発言は行き過ぎだったと思います。
子が親の影響を受けることは否定できませんが、どう影響を受けるかは一概に言えないので、子に何か落ち度があっただけで、その落ち度の責任をダイレクトに親に還元することは、差別や偏見に繋がりかねません。
たとえば、a男さんとb子さんの間に子ができたとして、間違いなく2人の遺伝子によって子は成されるけれど、では子はどういう顔が生まれるか、どちらに、どの部分がどれぐらい似るか、なんてわからないでしょ?
2人の顔がわかってても、わからないですよね。
そういうことだと思うんです。個の形成って、もとになる遺伝子が公然としていても、やはり予想し得ない独自のものが形成されると思うのです。
ましてや性格とか価値観なんて、どこがどう「親のせい」かどうかを客観的に判定はできません。
ただし、内心で思うことは意味はあると思います。
たとえば、自分の親の欠点を省みて、自分はそうならないようにしよう、と思うことは否定されてはならないと思います。
また、研究としても否定することではないと思います。
病気や障碍など、親の遺伝が事前にわかることで、対策につながるからです。
ただし、これも解釈の仕方次第では人権に関わるので、いかなる使い方をすべきかの議論は必要な事柄だと思います。
みなさんは、「親の顔が見たい」という慣用句、使ったり使われたりしていますか。
野村克也 全語録――語り継がれる人生哲学 - 野村 克也
・この親にしてこの子あり
これは「あるある」だと思いますけどな。
by おっつぁん (2024-12-23 23:31)
私も「あるある」だと思います。
by HOTCOOL (2024-12-24 04:12)
神の子かぁ、そんな神の子にたかる親はアメリカには居ないのかな?
by pn (2024-12-24 06:26)
私も心の中ではありますが、言葉に出すと自分も言われそうで言いません。
by mutumin (2024-12-24 06:38)
歳をとるにつれて「親」の気持ちがよくわかります。話はズレますが。
by 夏炉冬扇 (2024-12-24 07:45)
「蛙の子は蛙」という諺もある位ですから、親の生き方が子供に影響する部分はそれなりに大きいと思います。
by Rifle (2024-12-24 08:48)
おはようございます!
親の嫌な部分はなるたけ真似しないように
生きてきました・・・(^-^)!!
by Take-Zee (2024-12-24 08:54)
環境は影響しますよね
by mau (2024-12-24 10:11)
今の時代、パワハラ扱いされそうですね。
by 拳客 (2024-12-24 10:59)
「親の顔が見たい」ってお言葉は使わないですかね・・
でもどういう環境でどんな影響を受けてその人が育ってきたのか(良い意味の方で)興味がわくことはあります。
by AKAZUKIN (2024-12-24 12:06)
昭和世代はよく耳にした言葉ですね!
私も言われたことありますわ (笑)
日本の慣用句をそのまま直訳してしまった結果
起こったトラブルのような気がします。
「誰から教えられて、そんな事ををするのか!?」
なら問題がない... アメリカでルーツ関連に触れる
と判断される言葉は禁句ですから!
by sasanono (2024-12-24 12:39)
こんばんは。
その慣用句を頭に思い浮かべることはよくあります。
親の振る舞いや生活態度、教育が影響しているだろうという意識です。
例えば日常生活における食事のマナーを親が知らなければ子供も知らないままです。他者との関わりで知ることができれば幸いですが。
その子がそのまま親になって仕舞えばその子も知らないで大きくなってしまうかもしれません。
結婚しても離婚してしまう、その原因の一つに案外そういうことがあるようです。
by センニン (2024-12-24 17:52)
野村克也監督の発言を通して仏教とキリスト教の親子観を比較する視点が面白かったです!「縁起」と「神の子」という考え方の違いが、文化や教育の背景に深く影響しているのが印象的でした。とても考えさせられる内容でした!
by かずい (2024-12-24 21:22)
みなさん、コメントありがとうございます。
> これは「あるある」だと思います
> 私も「あるある」だと思います
多くの人はそう思うでしょうね。
> 神の子にたかる親はアメリカには居ない
たかられるとさっさと子は去っていきそうです。
> 言葉に出すと自分も言われそうで
結局自分も親に似てしまうんですよね。
> 「親」の気持ちがよくわかります
私も共感はしませんが分析はしますね。
> 親の生き方が子供に影響する部分はそれなりに大きい
やはり親を見て育ちますからね。
> 親の嫌な部分はなるたけ真似しないように
それはいいことですね。
> 環境は影響しますよね
誰の子かよりも誰に育てられたかが大きいと思います。
> パワハラ扱いされそう
今だとまた違った事件になるでしょうか。
> (良い意味の方で)興味がわくことはあります
その人の能力の源泉を知ることができそうです。
> 昭和世代はよく耳にした言葉ですね
今はあまり使われないんでしょうか。
> 食事のマナーを親が知らなければ子供も知らないまま
箸の使い方もその一つかもしれませんね。
> 「縁起」と「神の子」という考え方の違い
お互いわかり合うのはなかなか大変かもしれません。
by いっぷく (2024-12-25 15:28)