『続サラリーマン忠臣蔵』(1961年、東宝)を、討ち入りの日(14日)は少し過ぎましたがご紹介します。同作は、東宝サラリーマン映画100作目の記念作品で、三船敏郎、森繁久彌、志村喬など60年代前半に活躍した東宝主力俳優が総出演。19日が祥月命日の藤木悠(1931年3月2日~2005年12月19日)も「若手」として出演しています。(上の画像は劇中より)
四十七士の忠臣蔵。ご存知ですよね。
『続サラリーマン忠臣蔵』は、「続」とつくぐらいですから、前編があります。
それは、すでにご紹介しました。
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森繁久彌さんの「生誕100年祭」改めて鑑賞する『サラリーマン忠臣蔵』
その時から2年もたってしまいましたね(汗)
『サラリーマン忠臣蔵』『続サラリーマン忠臣蔵』は、歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』を、役名だけでなくビジネスシーンにも翻案したストーリーです。
ネタバレ御免のあらすじ
舞台は赤穂産業という商社。
社長は池部良。演じるのは浅野卓巳をちょっとだけもじった「浅野卓也」です。
財閥のパーティーで、銀行の頭取である東野英治郎演じる「吉良剛之介」を殴ってしまいます。
それが原因か、池部良はスピード違反の上交通事故死。
次の社長には、よりによって「吉良剛之介」が乗り込んできます。
そこで、意見が合わなかった大石内蔵助良雄にあたる「大石良雄」の森繁久彌専務は、旧知の桃井社長(三船敏郎)の支援もあり、新たに大石商事を設立。
夏木陽介が演じる長男、四十七士の「大石主税」と一字違いの「大石力」や、小野寺十内秀和にあたる加東大介の「小野寺十三郎」も馳せ参じ、さらに、藤木悠、児玉清、江原達怡、そして脱線トリオで当時一世を風靡した八波むと志らも、赤穂産業に辞表を叩きつけて大石商事に入ります。
一方、大石良雄とは行動を共にせず、不忠臣に走ったといわれる大野九郎兵衛知役もいます。赤穂産業に残って専務に昇格した有島一郎が演じる「大野久兵衛」です。
森繁久彌専務は、友人の証券会社役員・山鹿(河津清三郎)を通じて赤穂産業の株を秘密裏に集め、株主総会で「吉良剛之介」追放を画策。
雪の降る12月14日の株主総会。「吉良剛之介」解任いったんは否決されたものの、「大石良雄」の運転手(小林桂樹)の内縁の妻(草笛光子)が持っていた1万株で僅差の逆転可決となり、赤穂産業を「吉良剛之介」から取り戻す、というストーリーです。
現代サラリーマン劇なので、四十七士は自決せず、東宝らしいハッピーエンドです。
東宝の記念作品ということで、若手もいろいろ出ていますが、藤木悠、児玉清、「若大将」シリーズでマネージャー・江口を演じた江原達怡らも出演しています。
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「不死身悠」が晩年は……
Google検索画面より
藤木悠は、東宝時代、映画や青春学園ドラマに出演後、フリーになってからは時代劇やアクションドラマにも出演。
人気ドラマ人気ドラマ『Gメン'75』(1975年5月24日~1982年4月3日、東映/TBS)などで活躍しました。
90年以後は活躍の機会が少なくなったと思ったら、実は糖尿病による闘病生活を送っていました。
亡くなったのは「肺血栓塞栓症による多臓器不全」といいますが、肺血栓塞栓症の発症因子の一つに糖尿病が挙げられています。
ということは、やはり糖尿病の影響があったのかもしれません。
藤木悠が亡くなる3年前の2002年、『日刊ゲンダイ』が藤木悠にインタビューをしています。
この頃はほとんど映画やテレビの出演がなかったので、生涯最後のインタビューになったかもしれません。
インタビューによると、若いころは、藤木悠ならぬ「不死身悠」を自認。「健康保険なんて1度も使ったことがなかった(病院で診てもらったことがなかった)」とうそぶき、「自分で稼いだ金で飲み食いして何が悪い」と、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んでいたそうです。
1日5食で、『Gメン'75』に出演していた頃は、過酷な撮影や注目されるストレスもあったのか、浴びるように酒を飲んだそうです。
まだ、その頃は撮影で、アクションシーンが多かったのでカロリーの消費もありましたが、撮影が終わっても食べる量が減らなかったのがまずかった。
糖尿病が発覚したのが、『Gメン'75』出演の約15年後になる、58歳を迎えた89年11月。
京都で時代劇の仕事をしていたときのこと。
素足にわらじを履いたことで、足の親指に豆を潰したような傷ができたものの、それが3ヶ月たっても治らず、じくじくして紫色に腫れ上がってきたそうです。
皮膚科に診せると、「直ちに糖尿病の検査を」と言われ、検査したところ血糖値が330mg/dl。
平常値の3倍です。
親指はすでに壊疽を起こし、眼底出血もしていたそうです。
そこまでなるには、何らかの自覚症状があったと思いますが、藤木悠によると、
「
5年ほど前から、随分水を飲むようになっていた。起き抜けに2杯くらい水を飲まなければいられなかったんだけど、それを健康法だなんて言ってたんだ」
通常なら、足首切断は免れなかったところ、本人言うにはそれまで「病院で診てもらったことがなかった」、すなわち薬の耐性がなかったことが幸いしたようで、抗生物質がことのほかよく効き、切断を免れたそうです。
指の先だけは一部溶けたものの、時間が経つと爪も生えてきたとか。
入院して食事管理もなされ、血糖値も下がってきたために「退院したい」と藤木悠が言うと、医師は、「退院しても、また何ヶ月かしからお会いするでしょう」。
藤木悠が理由を聞くと、「どうせまた好きなだけ飲み食いしてここに戻ってくるだろうから」といったそうです。
そう言われて発奮した藤木悠は、「20年かけてつくった病気だから、20年かけて治すつもり」で、食事の管理をするようになったとか。
昨今の芸能界は、「なんでもあり」で、病気や不遇な人生を告白して、仕事につなげる「不幸自慢」が流行していますが、当時はまだまだそうではなかったようです。
「周りで糖尿病になった俳優の話を聞いたことはなかった。誰かを蹴落とせばそこに自分が入り込めるっていう世界だから、僕も最初は隠していんだけど、秘密主義は病気をこじらせるよね」
週に1、2回の外食は、夫婦で1つのハンバーグを分けて食べたそうです。
「店の人にどう思われるかより、自分の体が大事だから」
インタビューは、「病気を友達にして、前向きに生きる」と結んでいます。
「58歳」が、そう遠くはないのに、麺2倍増量を当たり前のように食べている私などは、狂気の沙汰かもしれませんね(汗)
もちろん、適量は人によって違いますし、そもそも糖尿病であるかないかの違いもありますから、単純に食事量が多いのはけしからん、減らせばいい、というものではないと思いますが、日頃から健康には、十分気をつけたいと思います。
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