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『全日本プロレス「崩壊」の真相』大量離脱など“欲得”の末に… [スポーツ]

全日本プロレス

『全日本プロレス「崩壊」の真相ー馬場イズムと「王道」の終焉』(別冊宝島編集部編、宝島社)を読みました。ジャイアント馬場死去後、全日本プロレスは、馬場イズムとは無縁の分裂や離合集散が繰り返され、王道を名乗るのもおこがましい事件も起こしました。

しかし、解散も消滅もせず、今も全日本プロレスや「系列」団体は細々と運営を続けています。

とくに、「本家」の全日本プロレスでは、レスラーたちによって“追放”されたはずのジャイアント馬場夫人・馬場元子さんが、運営会社の役員に就任。同団体にはかつての全日本プロレスの残り香を感じることができます。

オールジャパン・プロレスリング株式会社の船出
スポーツナビより

アメリカWWEを参考に、かつての隆盛を取り戻している新日本プロレスに比べると、まさに「細々と」という表現がふさわしいと思いますが、そんなジャイアント馬場亡き後の全日本プロレスの15年をまとめた書籍です。



プロレスに詳しくない方も読んでおられるので、経緯をひと通りご説明します。興味のない方はとばしてください。

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もはや馬場イズム云々以前の認定をせざるを得ないノア


1999年1月に、全日本プロレス社長の、ジャイアント馬場が亡くなりました。

エースレスラーの三沢光晴が同年5月に後継社長になりましたが、株をもたない雇われ社長だったために、実質的な権限は筆頭株主のジャイアント馬場夫人・馬場元子さんでした。

そのことから、金銭を含めた待遇で不満を募らせた三沢光晴でしたが、フロントで馬場夫妻のお世話を長年行いながら、度重なるしくじりで馬場元子さんの逆鱗に触れた仲田龍が独立をささやきます。

2人は全日本プロレスから、実質親会社のテレビ局(日本テレビ)、大半の選手と社員などを引き連れて、プロレスリング・NOAH(ノア)という団体を2000年7月に旗揚げします。

しかし、待遇の不満で出た人間たちは、やはり欲得で躓くものです。

スポンサーを装った詐欺師の女性があらわれると、三沢光晴以下、ノアの選手や仲田龍、永源遙らがタカり、さんざん飲み食いをして彼女を信用してしまいます。社会的弱者から巻き上げた金で……

三沢光晴とそりが合わずにリストラされた泉田純は、自分の将来の不安もあり、女性にすっかり騙され、9000万円騙し取られます。

試合で不慮の死を遂げた三沢光晴の夫人は、夫を失い急にノアの筆頭株主になった不安からか、女性を頼り、やはり女性の口車に乗って、三沢光晴の死亡保険金5300万円をだまし取られます。

この女性から金をひっぱり、愛人に店を開くなど公私混同が甚だしかった仲田龍は、51歳で急死します。

内側から見たノアの崩壊、脱馬場とは何だったのか

しかし、社長の田上明は何の責任も取らず、女性に食い込んでいた永源遙は役員から平社員に降格という見かけだけの「けじめ」で済ませています。

この団体は、馬場イズム云々というより、社会人として、コンプライアンスとしてどうなの、という疑問が生じざるを得ません。

「本家」はとうとう身売り


一方、全日本プロレスは馬場元子さんが、後継社長として1期(2年)頑張りましたが、主力選手がごっそりノアに抜けて苦しい運営でした。

そこへ、当時助っ人参戦していた新日本プロレスの武藤敬司が、全日本プロレスの上場でひと山当てようと、新日本プロレスのフロント幹部数人と主力選手を引き抜いて会社を受け継ぎます。

しかし、「ひと山」の話は頓挫。赤字はどんどん膨れ、金銭トラブルや、レスラーの刑事事件なども重なり、 スピードパートナーズという企業再生会社を起業した白石信生氏に支援(身売り)を求めます。

白石信生氏は、全日本プロレスの運営会社として全日本プロレスシステムズという新会社を設立。

ジャイアント馬場の設立した全日本プロレス株式会社は、借金を残した会社にします。要するに債権者を泣かせたわけですね。

同書によると、白石信生氏はプロレス団体を「資金集めの道具」にしか考えておらず、そのため、選手たちと対立が続き、彼を引っ張ってきた張本人である武藤敬司が真っ先に全日本プロレスから離脱(どう考えても無責任だぞ、武藤)。

武藤敬司は、武闘家から金融業に転身した矢吹満氏が実質オーナーであるWRESTLE-1という団体で今もリングに上っています。

しかし、多くのレスラーや社員は武藤敬司にはついていかず、白石信生氏の全日本プロレスに残りましたが、案の定、トラブルが起きて白石信生氏は団体運営から手を引き、ノアから出戻った秋山準を社長として新会社オールジャパン・プロレスリングを設立。そこを運営会社として全日本プロレスは今も興行が行われています。

いつも人生の落とし穴は“欲得と思い込み”


私がいつも物事の判断をするとき、「欲得」と「思い込み」には気をつけろと自分に言い聞かせています。

「欲得」と「思い込み」には気をつけろ

人間、欲はあって当然ですが、能力や、ほしのもとや、その時の時代情勢などといった客観的な前提も見定めないまま、不相応なチャンスに飛びついたり、無理をしたりすると、必ずしわ寄せやしっぺ返しがくるからです。

そして、自分自身に懐疑する習慣をつけることです。

人間は間違い得る生き物ですから、自分が正しいと思ったことでも、第三者的には、見落としや見込み違いがあるかもしれません。

なぜそのようなことを書くかというと、全日本プロレス「系」のノアや武藤敬司のトラブルは、まさに“欲得と思い込み”で共通している失敗や挫折だからです。

ただでさえプロレス冬の時代といわれているときに、どんぶり勘定のプロレス団体が上場できると思いますか。

ビジネスや、資産の裏付けがない女性を、救世主のスポンサーと思い込むごっつぁん根性。なんて卑しいのでしょう。

冷静に考えたら、彼らのドタバタは滑稽な話です。

でも、もし、自分がその立場にいたら、ぜったいにそうならないといえるでしょうか。

人間なんて弱いものです。ですから、彼らの行為を評価することはできませんが、教訓にはなります。

個人的には、馬場元子さんが社長だった2000年~2001年の全日本プロレスは面白かったと思います。

天龍源一郎が帰ってきて、まだ馬場時代の外人も残っていて、これまでなら上がるはずのなかった他団体やフリーの選手がどんどんリングに上っていました。

2年で2億円の赤字をこさえたらしいですが、そこで手仕舞いして武藤敬司にバトンタッチした馬場元子さんが、いちばん賢明だったのかもしれません。

いろいろいきさつはあったでしょうが、冒頭に書いたように今の全日本プロレスには、馬場イズムの残り香はあります。

「失った15年」を取り戻すべく、ぜひ頑張ってもらいたいと思います。

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全日本プロレス「崩壊」の真相

全日本プロレス「崩壊」の真相

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2014/12/15
  • メディア: 単行本


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