『許せないという病』(片田珠美著、扶桑社)という書籍が、話題になっているようなので読んでみました。あいつだけは許せない、という思いについて、なぜ許せないのか、なぜ許せない思いに縛られるのか、その呪縛から解き放たれるにはどうしたらよいのかについて、いろいろな例を出して「許せないという病」を克服するための解決法を述べています。
『許せないという病』のテーマは、他人を許せない心理を分析し、ラクに生きるための処方箋を示すそうです。
以下が目次構成です。
第1章 他人を許せなくて悩んでいる人たち
第2章 なぜ「許せない」のか?
第3章 「許せない」を引きずる人の特徴
第4章 「許せない」という病から抜け出すための四つのステップ
第5章 「許せない」自分を許すために
現実の「許せないという自分」を冷静に見つめることで、客観的な分析や解決に導こうという展開です。
ただ、本文の文章は、学者の報告文に近く、総じて冗長で、メリハリもなくちょっと読みにくかったです。
偉そうに批評させてもらうなら、本人がなりたかったという「物書き」としての力量には疑問符がつきました。
でも、この方の場合、本のタイトルや扱うテーマが、人間誰でも持っていそうな「お悩み系」なので、それで得をしているところがありますね。
以前も、この方の書籍はご紹介したことがあります。
⇒
『他人の不幸を願う人』羨望、自己愛、利得が人の心を歪ませる!
もちろん、分析や解決法自体は参考になることはあります。
ただ、本書がいう「許せない」ケースというのは、その分析や、机上の解決法では間違いではないのだろうけど、だから何?という現実的には無力な話も少なくないのです。
たとえば、「
どうしても許せなければ距離を置くことも必要」などと解決法を書いているのですが、そうしたくてもできないケースはどうすればいいのか。
旧弊な「家制度」の名残で、長男や末娘が、憎い親でも自分が介護しなければならない「貧乏くじ」を引く光景は、どこにでもあるありふれた現実です。
でも本書にその根本的な解決は書かれていません。
著者が本書で書いている「解決法」は、しょせん「心の持ち方」をコントロールするだけで、「貧乏くじ」という客観的な現実を変えるものではないのです。
ですから、これを読んで、ただちに「許せないという病」を解決しようとは思わず、気持ちの上で参考になることがあれば、というぐらいの眼目で読まれるのがよいのではないかと思います。
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親の道具にされたくないのに「一流」の道具になるという奇妙な理屈
本書は、「はじめに」と「おわりに」に、実は著者自身が、母と祖母に対して「許せないという病」であることを述べています。
まず「はじめに」では、母と、父の母の嫁姑関係が最悪のあおりで、著者自身も祖母と折り合いが悪かったこと。
そして、自分は文学部に進みたかったのに、母はステータスを獲得する道具のように自分を扱い、医学部に入れたから憎い、という自分の身の上を告白しています。
ところが、上記の本文の後の「おわりに」に書かれている、その話の結論は、期待はずれのものでした。
自分は、祖母や母を今も許していないが、「許せない」気持ちをバネにして頑張って
一流大学(医学部)に入り、今は「物書き」として原稿を書くという成果を得た、という自慢話で結んでいるのです。
「許せない」という気持ちを、相手を見返すというエネルギーにしたほうが自分のためになりますよ、という話です。
それ自体は、もちろんご説ごもっともです。
でも、そもそも著者の「許せない」とする言い分自体が、私には説得力を感じませんでした。
なんとなれば、少なくとも母に対する憎しみというのは、母が悪いというより、親離れできない著者自身が悪いんだろう、と私には思えるからです。
だって、そんなに親が嫌なら、親がおかしいと思うなら、親の価値観を否定して自分の価値観で自分の人生を邁進すればいいだけの話です。
「物書き」になりたかったのなら、親を捨てて、作家に弟子入りでも何でもすればいいだけの話です。
なのに、親に「ステータス」にされるのを憎みながら、自分は好き好んで「一流」の「ステータス」を獲得して親を「見返した」とする発想は、第三者が聞くと、まことに奇妙な理屈です。
あんた、それが嫌だったんだろ、「一流」ならむしろ親は大喜びだろ
と突っ込まれるような話です。
すなわち、片田珠美氏自身に、母親と同じ「片田家はエリート」とか何とかいった選民意識があり、それを払拭して新しい価値観を構築できなかっただけの話なのです。
自分が否定すればすむだけの呪縛を否定できなかったから、母親のせいにしているだけではないのでしょうか。
それと同じようなケースは、杉本彩とその母親の確執があり、すでに見抜いている人もいるはずです。
⇒
「親子の対立ビジネス」の真相
「許せない」とするケースは様々なので、一概にはいえません。
が、少なくとも肉親の、とくに親子の「生き方」をめぐる確執は、まず親の価値観を否定できるほどの、拠って立つ自分の価値観をしっかり貫徹できるかどうかが肝要ではないのでしょうか。
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