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視聴率歴代4位だったプロレス中継“WWA世界選手権”の真実 [スポーツ]

ザ・デストロイヤー対力道山戦

ザ・デストロイヤー対力道山戦の写真です(プロレス写真記者クラブより)。プロレスファンでない方も、1度や2度は見たことがあるかもしれません。テレビ番組が高視聴率を記録すると、新聞記事では過去の高視聴率番組が紹介されますが、現在でも第4位の数字を誇っているのが、このザ・デストロイヤー対力道山戦です。

全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した
全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した

【番組平均世帯視聴率ベスト5】
1、第14回NHK紅白歌合戦、1963年12月31日、NHK総合、81.4%
2、東京オリンピック大会(女子バレー・日本×ソ連 ほか)、1964年10月23日、NHK、66.8%
3、2002FIFAワールドカップ グループリーグ・日本×ロシア、2002年6月9日、フジテレビ、66.1%
4、プロレス(WWA世界選手権・デストロイヤー×力道山)、1963年5月24日、日本テレビ、64.0%
5、ボクシング(世界バンタム級タイトルマッチ、ファイティング原田×エデル・ジョフレ)、1966年5月31日、フジテレビ、63.7%

プロレスの本場、アメリカから謎の覆面レスラーが世界チャンピオンとして来日。

それに対して日本のチャンピオン、力道山が挑むという設定が、国民的期待を抱かせ記録的な視聴率になったわけです。

ところが、この試合の前提に偽りがあったとしたらどうでしょうか。

『日本プロレス事件史 vol.9 ザ・抗争』を読みましたが、「遺恨WWA世界戦の真実」(流智美著)という読み物にその真相が書かれていました。(以下、画像は同誌から)



この試合は、WWA(World Wrestling Association)認定世界選手権試合として行われました。

WWAというのは、当時カリフォルニア州ロサンゼルスを本拠地として活動していたプロレス団体です。

そのチャンピオンである、ザ・デストロイヤーが来日して、日本のチャンピオンである力道山と対戦するというタイトルマッチです。

力道山の空手チョップが口にあたったために、前歯をへし折られたザ・デストロイヤーは、それでも得意の足4の字固めを外さずに、結局引き分け防衛の熱戦でした。

力道山のプロレスというと、昭和史を振り返る番組では、シャープ兄弟の試合で、街頭テレビにたくさんの人が集まったことがとりあげられますが、「視聴率」という数字で残る「人気番組」は、この試合なのです。

力道山は、1958年に、ルーテーズから、インターナショナル選手権を奪取していましたが、この試合はその防衛戦ではなく、チャレンジャーとしてザ・デストロイヤーと戦いました。

自分の所持タイトルよりも、対戦相手のタイトルのほうが格上であると認めたわけです。

力道山は、その前年、“噛みつき魔”フレッド・ブラッシーを破ってWWA世界選手権を保持したことがある「元チャンピオン」であり、同選手権の「奪還」には並々ならぬ意欲を燃やしていました。

現在、東京大田区・池上本門寺にある力道山の墓碑には、もっとも右側(重要)の経歴として、生涯防衛し続けた「インターナショナルチャンピオン」ではなく、短期間の戴冠に過ぎなかった「元WWA世界チャンピオン」と刻まれているほどです。

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実はノンタイトル戦だった


さて、『日本プロレス事件史 vol.9 ザ・抗争』によると、日本の家庭の多くが、プロレスの本場・アメリカの世界選手権「奪還」を期待した試合が、実はただのシングルマッチ、つまりノンタイトル戦に過ぎなかった、と書かれています。

日本プロレス事件史 vol.9 ザ・抗争

おそらくは、プロレスファンでさえこんにちでも、この試合がWWA世界選手権試合であったと信じて疑わないはずです。

といっても、当時、誰でも関係者なら知っていた内部事情暴露の類ではなく、著者(流智美氏)が、当時の写真やWWAのポスターなどから検証してたどり着いた結論です。

当時は、インターネットもありませんでしたし、プロレス特派員もいなかったので、プロレスの情報は、力道山が言ったことを報道するだけでした。

つまり、力道山がそのときつくり話をしても、それがそのまま後にプロレスの史実になっていたのです。

力道山自身は、国際的にはロサンゼルス地区でしか通用しないローカルレスラーで、日本人レスラーで、全米のテリトリーをメインイベンターとして渡り歩いたのは、その弟子のジャイアント馬場だけでした。

『1964年のジャイアント馬場』17回忌のジャイアント馬場を思い出す
ジャイアント馬場は世界に通用するアジア最高のプロレスラーだった

が、それは今でこそ明らかになったことで、当時はそんなことを疑問としてでも口にしたら、2度とその記者の媒体はプロレスの記事を書くことが許されなかったでしょう。

視聴率歴代4位であるその日の試合もそうでした。

来日前にザ・デストロイヤーは、ロサンゼルスでフレッド・ブラッシーにタイトルをとられており、丸腰での来日でした。

しかし、力道山は、その試合をWWA世界選手権試合だと言い張ったのです。

試合前に行われるはずの、立会人へのチャンピオンベルトの返還は、ザ・デストロイヤーがチャンピオンベルトを持っていないので行われず、チャレンジャーのはずの力道山が、自分が保持するインターナショナル選手権のベルトを差し出して、いかにもそれらしいセレモニーにしたようです。

タイトルマッチセレモニー
たしかに、チャンピオンベルトは力道山のセコンドのグレート東郷が持っています

でも、当時の報道陣は、そこに何もツッコミを入れなかったわけです。

もちろん、ザ・デストロイヤーが前歯を折るなど、試合自体が熱戦だったのは間違いないでしょう。

ただ、試合の権威付けという前提が虚偽だったわけですね。

結局、力道山が勝ったわけでもないし(つまり本当にタイトルがかかっていたとしても移動したわけではない)、その真相で、今の世の中に何か影響があるわけではありません。

が、プロレスにかぎらず、こうした見過ごされた過去の虚偽は世の中には意外とあって、たんねんに事実を検証していくことで、歴史の新事実に到達できることは少なくないのかな、というふうに私は思いました。

マスコミは、科学とか法律とか、拠って立つものに忠実なわけではなく、たんなる見もの・読み物づくりの業者なのだと見定めて、何でも鵜呑みにしない方がいいでしょう。

そして、何よりそうやって調べて既説を覆す新発見ができれば、楽しいだろうなあと思います。

日本プロレス事件史 vol.9 ザ・抗争 (B・B MOOK 1192 週刊プロレススペシャル)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2015/05/16
  • メディア: ムック


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