『忘れじの国際プロレスー国際プロレス解散から33年。語り継がれる魂の物語』(ベースボール・マガジン社)を読みました。国際プロレスといっても、プロレスファンでない方はもちろん、最近ファンになった方にもピンと来ないであろう、古きよき「昭和プロレス」の団体です。
国際プロレスというのは、かつて日本に存在したプロレス団体です。
力道山が創業した日本プロレスに、早稲田大学のアマレスから期待されて入門した吉原功が、力道山亡き後の新体制における一部幹部と意見の衝突があり、1966年10月に国際プロレス(International Wrestling Enterprise)を設立しました。
『喜劇駅前茶釜』(1963年、東京映画/東宝)でジャイアント馬場の16文キックを受ける吉原功
『喜劇駅前茶釜』ジャイアント馬場“伝説の全盛期”出演の群像喜劇
しかし、当時の
ジャイアント馬場をエースとする日本プロレスには、興行面も、テレビの視聴率でもかないませんでした。
やがて、日本プロレスを除名された
アントニオ猪木が新日本プロレスを作り、ジャイアント馬場も日本テレビの要請で全日本プロレスを設立。
老舗の日本プロレスが崩壊した後、一番歴史が古い団体となった国際プロレスですが、新日本プロレスや全日本プロレスのようなスターがいなかったために、両団体に次ぐマイナーな第三団体の扱いを受けました。
そして、中継していたテレビ局(テレビ東京)も放送を打ち切り、1981年8月で興行を終了。9月に会社が解散されました。
『忘れじの国際プロレス』では、存命する当時の主力選手である、マイティ井上とアニマル浜口のインタビューや、プロレス評論家・門馬忠雄氏らの寄稿、思い出の試合を当時の写真で振り返るなど、同団体の15年間の歴史が凝縮されています。
先日、訃報を書いた阿修羅・原も、国際プロレスでデビューしました。
Google検索画面より
阿修羅・原、バーン・ガニアの訃報から2人の余生を振り返る
アイデアは先発組だったが……
つねにマイナー視されてきた国際プロレスですが、後発組だからこそ、日本プロレスが行ったことのない、斬新なアイデアを実践してきました。
日本人の覆面レスラーを誕生させたり、ジュニアヘビー級のタイトルを創設したり、金網デスマッチを行ったり、日本人同士やガイジン同士の試合を組んだり、所属選手を契約制にしたりなどです。
後に、新日本プロレスや全日本プロレスなど、さらに後発の“メジャー団体”でも採用されたために、吉原功氏は、団体崩壊後再評価され、「アイデアは時代が早すぎた」などと惜しまれたものです。
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たとえば、日本人対ガイジンが興行の看板だった時代に、国際プロレスでは、ストロング小林とラッシャー木村という、団体の看板レスラーが対戦しています。
ともにGoogle検索画面より
団体の目玉商品に雌雄を決させるというのは、ずいぶん思い切ったカード編成です。
にもかかわらず、当時、それほどプロレスマスコミは話題にしませんでした。
ところが、そのストロング小林が、新日本プロレスのアントニオ猪木に挑戦をすると、“初の”大物日本人対決であるかのようにマスコミは騒ぎました。
また、国際プロレス崩壊後に、アントニオ猪木とラッシャー木村も対戦していますが、やはり盛り上がりました。
この差はどこにあったのか。
もちろん、アントニオ猪木という、超大物が一方の相手であることは大きな理由です。
ただそれ以外にも、日本人を対戦させてそれで終わりではなく、アイデアが点ではなく線で作られていたこともあったと思います。
新日本プロレスは、国際プロレスの斬新なアイデアの“反省点”を分析して自分たちの興行にうまく採り入れたのです。
たとえば、アントニオ猪木とラッシャー木村との試合は、1度対戦して終わりではなく、1対3の変則マッチにしたり、アントニオ猪木が突然乱入者に髪を切られたりなどして、毎試合、謎や因縁を発生させ、次の興行で同じカードを組むと、さらに盛り上がるように演出しました。
それによって、興行が成功しただけでなく、ラッシャー木村は、自宅に生卵が投げられたり、愛犬がストレスで亡くなってしまったりなど、稀代の悪役レスラーとして認知されました。
ラッシャー木村自身、その頃が一番レスラー冥利に尽きると語っています。
これは、一般のビジネスにも応用できることかもしれませんね。
もとのアイデアも大切ですが、それをどう肉付けし、転がしていくかによって、そのアイデアが開花するか、打ち上げ花火で終わるか、外すか、結果は全く変わってくるというわけです。
他団体によって自らのアイデアをプロトタイプ扱いされてしまった国際プロレスですが、それは、国際プロレスの利益に直接つながらなくても、その後のプロレス界の発展には貢献していると思います。
そんなパイオニア精神も、ファンにとって国際プロレスが忘れられない魅力ある伝説の団体となった理由だと思います。
昭和プロレスファンなら、ぜひ目を通していただきたい一冊です。
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