『美しきチャレンジャー』新藤恵美、森次浩司(晃嗣)、中山律子 [懐かし映画・ドラマ]
『美しきチャレンジャー』(1971年4月4日~10月17日、国際放映/TBS)という、昭和のドラマのDVD第1巻を観ました。売出し中の新藤恵美が、自分をその世界に導いてくれたコーチとともに、ボーリングの腕を磨くという、ボーリングブームに作られたドラマです。(画像は劇中より)
『美しきチャレンジャー』が放送されていたのは、毎週日曜日の午後7時30分から30分間です。「不二家の時間」という枠の名前がついていたと思います。
ゴールデンタイムに、30分の連続ドラマが放送されていたということと、不二家が単独でスポンサーでついていたということは、今のテレビ事情では想像しにくいことかもしれません。
最近はあまりないですよね。1社だけの提供で番組が作られることは。
単独スポンサーというのは、絶対的な存在で、局としてはやりにくい部分もあるかもしれませんが、スポンサードする企業からすれば、自分の枠、自分の番組という意識が強いので、番組に対する愛着が強く、番組を育てようという気持ちがあるため、テレビ史に名前の残る番組が多いですね。
30分ドラマというのも、今は昼の帯番組ぐらいでしかお目にかかれません。
昭和40年代は、まだ30分の枠でドラマが作られていました。
この『美しきチャレンジャー』の枠では、たとえば、『サインはV』(1969年10月5日~1970年8月16日、東宝)『アテンションプリーズ』(1970年8月23日~1971年3月28日、東宝)『美人はいかが?』(1971年10月24日~1972年4月16日、大映テレビ)などが放送されましたが、それぞれ検索すると、熱心なマニアの個人ブログにいくつもあたります。
『美しきチャレンジャー』は、何にチャレンジするかというと、ボーリングです。
この時代、ボーリングが流行したんです。
同じ時代に、人気番組だったスポーツ中継には、ローラーゲームがありましたが、ボーリングは自分もプレーヤーになれるというので、どの局でもボーリング関連の番組が放送されていました。
中山律子プロを見て目覚める新藤恵美
高校時代、陸上部に入りトレーニングでロードワークに励んでいた小鹿みどり(新藤恵美)は、同じように毎朝走っている高峰明久(森次浩司→森次晃嗣)が大学のボーリング部と聞き、「あんな玉転がしにトレーニングが必要なの?」と軽口を叩きました。
ところが、高峰に連れてこられて実際にプレーするとスコアが出せず、ボーリングの奥の深さを知らされます。
みどり(新藤恵美)は高校卒業後、父親(中村竹弥)のコネで大企業の就職が内定していたのに、ボウリング部の強い会社(日本PM商事)にこっそり入社してしまいました。
するとそこに、大学卒業後、アメリカで修行してプロボウラーになった高峰明久がコーチに就任。
みどりは、高峰とともに技術的、精神的試練に耐えて戦いぬく、という話です。
Youtubeにアップされている動画をご覧になればわかりますが、メインタイトルと主題歌から、もう典型的な昭和ドラマ。懐かし好きの人にはこたえられません。
ボーリングブームの頃のドラマですから、ボーリング協会も全面的に協力。
プロボウラーが次々出演しています。
中でも、重要な役どころをつとめたのは、中山律子プロ。
先ほどの、「高峰に連れてこられて実際にプレーする」シーンで、みどりがスコアが出なくてイライラしている時に、隣のレーンで、中山律子プロが次々ストライクを出して、みどりがボーリングに目覚めるという展開です。
当時は、名のあるプロがメディアに何人も登場しましたが、人気という点では中山律子さんが別格状態でした。
シャンプーのCMが懐かしいですね。
「中山律子 シャンプー」で検索すると、今も当時のCMを観ることができます。
新藤恵美も、この前年に、竹脇無我主演の『姿三四郎』に出演して、一躍人気女優になった頃です。
ですから、30分ドラマと侮れないのです。
私はこういう昭和の古き好き娯楽ドラマが大好きなので、『美しきチャレンジャー』については、また機会を見つけて書いてみたいと思います。
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