『ツキの正体』(桜井章一著、幻冬舎)について昨日に引き続き書きます。本書は、運には「天運」「地運」「人運」とあり、「人運」が人の力によって引き寄せられるもので、人運次第で悪い天運・地運に立ち向かったり、良い天運・地運を逃さず最大限に活用したりできるようになると説いています。
そして、人運が強くなるためには、世の常識で損得を判断するのではなく、人間も持っている野生のカンを研ぎ澄ますことが大切であるとしています。
そこまでが、昨日ご紹介したことです。
『ツキの正体』運を引き寄せる20年間無敗雀士のカン
カンを研ぎ澄ませる過ごし方とは……
桜井章一氏は、カンを研ぎ澄ませるために、世間の常識や、これまで「運」について説いてきた脳科学者、心理学者たちとは異なる次のことを勧めています。
一つのことに集中しない
知識や技術、制度や常識、思想や宗教など、社会に用意された様々なものに囚われていると、カンを働かせる妨げになるという桜井章一氏の持論は、「
ひとつのことに集中しないこと」
一つのことばかり気にしていると、刻々と変化する周囲が見えなくなるからだといいます。
多くの要素を多面的に感じつつ、柔軟に変化していくことが必要というのです。
桜井章一氏の考えるイメージは、水面に石を投げて、波紋が円を描いて広がるようなものだそうです。
円を描くから、周囲のことも感じることができますが、ひとつのことに集中するということは、それが直線になってしまうから、後ろも横も見えないから、何かが来たらぶつかってしまうのです。
考え過ぎない、「後回し」にしない
要するに決断力の乏しい人はダメだということです。
麻雀は、
牌をツモっては捨てることを繰り返します。
いちいちそこで、これを切るとこうなって、あれが捨てられているからこうして……、などと考えていては流れに乗れません。
その時点でその人は「アウト」だといいます。
桜井章一氏は、これを麻雀だけでなく、日常の生活にも求めています。
要するに、気付いたら即行動、ということを説いているのです。
なぜか。
「今」はあくまでその瞬間であり、すぐに過去になってしまいます。
「今」を前提にあれこれ考えているうちに、状況は刻一刻と変わっており、時間をかけて答えを出しても、もうそれは過去のものになっているのです。
「今」に対しては「今」対応するしかないということです。
本書では、もし、そこで間違いがあっても、次に挽回すればいいと、割り切りを説いています。
これは思い当たるふしおおありです。
「明日にしよう」「まだいいや」と思った時に限って、必ず後になって「あの時しておけばよかった」と臍を噛むことがあるのです。
本書のキーワードは、「
間に合わない人になるな」ということです。
といっても、ただ速ければいいとは言っていません。
先を読みながら、次の行動を準備しろと説いています。
自分の手にはどんな牌が必要なのか、5~6ケース考えておき、もっとも望ましい牌が来た時は「ツイている時」であり、6番目なら「ツキを掴みきれてない」と判断するのです。
それによって上がりのビジョンを随時変更します。
ツキはナマモノなので、臨機応変に考えなければならないといいます。
スポンサードリンク↓
「不調」こそ実力
底力、という言葉がありますが、
うまくいかない時こそ掛け値なしの実力と考えたほうがいいといいます。
野村克也氏が、松浦静山の「
勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という名言を使っていましたが、調子がいい時を自分の実力と思ってしまうから、調子が悪くなると「
スランプ」「
ツイてない」という抽象的な考え方しかできず、自分を見失ったまま何の解決も見いだせなくなるのです。
桜井章一氏は、ツイていない人は、ツイていない時に、一歩退いて肩の力を抜き、自分を見つめなおすことができないといいます。
けだし、私なども、うまくいかないことがあると、何とかしなくてはと、もがいてしまうことがありますね。
しかし、桜井章一氏は、そういうときは無理に上がらなくてもいいのだといいます。
勝負と内容の関係
桜井章一氏は、勝ち方、負け方の内容に、次のような順位をつけています。
1.良い内容で勝つこと
2.良い内容で負けること
3.悪い内容で負けること
4.悪い内容で勝つこと
要するに、たとえ上がれなくても「
自分の麻雀」を続けることが大事で、最悪なのは、目先の損得にとらわれて間違った手順で打っても、相手の自滅で勝ってしまうことだといいます。
桜井章一氏は、それを日常生活に当てはめ、現在はプロセスよりも結果重視の「勝てばいいんだ」という「狂」の時代だが、くれぐれも正気を失わず、自分の生き方を貫くべきだと説いています。
また、桜井章一氏は、「
勝負どころはピンチの中にある」と述べています。それだけでなく「
チャンスの中にはありません」とも明言しています。
曰く、チャンスは「いい流れ」の中に訪れるので、誰でも淡々と普通に打っていればいいが、ピンチのときこそビシッと勝負手を決めないと、その人自身が勝負強い人間、つまりツキをつかむ人間にはなれない。
チャンスのときだけ目の色変えて出て行き、ピンチになるとベタ降りして逃げ回るのは、ただ見苦しいだけの
「ずる賢い」麻雀だと。
ここが、他の一部の「運」論者と大きく違うところですね。
運のいい人はピンチは上手に逃げている、という人もいるわけですが、桜井章一氏は根本的に考え方が違うわけです。
萩本欽一も、
不運なときは運を貯めるチャンスと言っていますから、桜井章一氏の考え方に通じるものがあるのかもしれません。
私も、ピンチは逃げたくなくなるタイプなので、自分は要領が悪くて愚直な人間だからツイてないのかと思っていましたが、ピンチに逃げない、ということ自体は間違っていないようです。
自分に素直に生きる
あとはマインドですが、
自分に素直に正直に生きろ、
ツキはずるい人間を嫌うと説いています。
たとえば、これも一部の「運」論者が好んで使う、
ポジティブシンキングという「自分騙し」があります。
劣勢でも状況はいいんだ、黒のものでも白だと自分にいい気かせるマインドセットです。
私は、もともとポジティブシンキングには懐疑的なのですが、なぜかというと、結局自分を騙す「前向き」は、どうしても心にストンと落ちないんですね。
ポジティブシンキングと前向きシンキングの違い
自分が本当に納得できる前向きの気持ちでないと、決して生き方に反映されないと思うのです。
桜井章一氏は、美学、自己啓発など、頭で考える「良いこと」を排除しています。
自分を無理に明るい人間に演出しようとすることも、「明るいほうが暗いよりもいい」という、
世間の尺度への迎合だと唾棄しています。
自分がピンと来ないことはしない。自分に素直であることが、何かを目指すときに一番の近道だといいます。
そして、悪いことはオープンにすべきだといいます。
たとえば、頭の毛が薄いというコンプレックスを持った人は、かつらなどでそれを隠さないほうがいいといいます。
最初は人の目が嫌でも、冷酷な現実と向き合うことで、結局
そういう自分を現実として受け入れるしかないことを悟るからです。
私もこれは賛成です。
現実は現実なのだから、そこから逃げても仕方ないよね、という心境になることが大切なです。
それなのに、隠したり、あの人よりはマシだと思う「ポジティブシンキング」に走ったりするのは、結局
自分に対して「ずるい人間」であり、問題解決にならないのです。
こうしてみると、桜井章一氏の説には、共鳴したり実践したりしていることもあるのですが、それでも私にはなかなか人運に恵まれません(天運も)。
まだまだ徹底していないのかもしれませんね。
そういえば、私が麻雀で勝てないのは、先に手を考える準備力が弱いのかもしれません。
萩本欽一ではありませんが、さっそくネット麻雀1日2勝(
『ばんざい またね』萩本欽一が語る3つの「運」論)から初めてみようかな、なんて考えています。
Facebook コメント