谷村昌彦の祥月命日に『水もれ甲介』を思い出す [懐かし映画・ドラマ]
谷村昌彦(1927年2月25日~2000年8月6日)という俳優をご存知ですか。昭和の映画やドラマでは欠かせないバイプレーヤーですが、もしかしたら名前と一致しないかもしれません。私も子供の頃は、「はなおかじった」とばかり思っていました。久しぶりに谷村昌彦が出演したドラマ『水もれ甲介』(1974年10月13日~1975年3月30日、ユニオン映画/日本テレビ)を観ました。
俳優の死亡記事で、よく「バイプレーヤーとして活躍」と書かれることがあります。
が、訃報というのは、生前の活動に下駄を履かせてもらえるところがあり、実際には「活躍」というほどでもない場合も少なくありません。
顔や演技は覚えているんだけど、名前が一致しない……
これが、「バイプレーヤーとして活躍」と書いてもいい条件だと思うのですが、谷村昌彦は、正真正銘の「バイプレーヤーとして活躍」した人だと思います。
Google検索画面より
私の記憶では、『忍者ハットリくん』(1966年4月7日~9月28日、シンエイ動画/NET)の警官・花岡実太の印象が強いので、子供の頃は、ずっと「はなおかじった」とおぼえていました。
ドラマの中では、「鼻をかじった」といわれていました。
それが、「谷村昌彦」という立派な名前があることを確認したのは、『水もれ甲介』というドラマに出演した時です。
『水もれ甲介』は、昭和ドラマ史に一時代を築いたといっても過言ではない、松木ひろし脚本・石立鉄男主演ドラマシリーズのひとつです。
⇒名作ドラマのロケ地、『岸辺のアルバム』も『水もれ甲介』も
下戸でも酒仙職人の重要な役
『水もれ甲介』は、東京・豊島区の鬼子母神近くにある「三ツ森工業所」という水道工事業者が舞台です。
長男の甲介(石立鉄男)は稼業を手伝っていましたが、職人の父親・保太郎(森繁久彌)になじられて、仕事が嫌になり家出。
ベース奏者(犬塚弘)に拾われて、ドラマーとしての腕を磨いていました。
母親・滝代(赤木春恵)は後妻と聞かされていましたが、その娘・朝美(村地弘美)のことは、弟の輝夫(原田大二郎)とともにかわいがっていました。
しかし、輝夫(原田大二郎)は、造船技師になる夢を諦めて家業を継いだため、勝手に家出した甲介(石立鉄男)を怨んでいます。
もっとも、長男が家業を継ぐ義務はないので、今にして思えば、輝夫(原田大二郎)の甲介(石立鉄男)に対する怨みは、しょせん自分の都合のようにも思えますが、まあそれは措きましょう。
甲介(石立鉄男)の家出以来、保太郎(森繁久彌)は酒を飲むようになり体を壊し、危篤状態に。
甲介(石立鉄男)が駆けつけると、保太郎(森繁久彌)は、滝代(赤木春恵)は後妻ではなく初めての妻で、甲介(石立鉄男)と輝夫(原田大二郎)は命の恩人である倉田兵長の息子を引き取ったことを打ち明け、「頼んだぜ、甲介」と言い残して死去。
保太郎(森繁久彌)から出生の秘密を聞かされた甲介(石立鉄男)は、ドラムを捨てて家に帰り、輝夫(原田大二郎)との確執を克服しながら、滝代(赤木春恵)や朝美(村地弘美)とも、親子や兄妹としての関係を大切にしていくというヒューマンコメディです。
私は、豊島の不良ドラマーという主人公の設定は、ハナ肇がモデルではないかと思っています。
それはともかく、谷村昌彦は、三ツ森工業所の使用人・大島竹造役でした。
出演者の序列は、石立鉄男、原田大二郎、赤木春恵、村地弘美に次ぐ5番手で、役者としての格は上ではないかと思われる名古屋章よりも先に表示されていたのが印象的でした。
役柄は、酒が切れず、いつも酔ってずっこけている設定です。
もし、三ツ森工業所に大島竹造がいなかったとすると、仕事はヘボな上に、ドラマーとしてのブランクがある甲介(石立鉄男)は、おそらく家業に復帰し辛かったでしょう。
その意味で、谷村昌彦の役どころは重要だったのだと思います。
しかし、私が何かで読んだ記憶ですが、実は谷村昌彦はお酒を一滴も飲まなかったそうです。
黒澤明監督の『どですかでん』にも出演して、丹下キヨ子にいじめられていました。
⇒『どですかでん』人生は貧富や倫理で幸福か否かは決まらない!?
これもあとから知りましたが、一時は、渥美清や平凡太郎と、ボケナストリオというユニットも組んでいたそうです。
⇒『おかしな男渥美清』同年代に生きた喜劇人を渥美清はどう見たか
昔の仲間だからといって、声をかける義理堅さはとくにあるとも思えず、また他の役者に対する評価が厳しい渥美清ですが、それでも、関敬六と谷村昌彦は、『男はつらいよ』に出演していました。
同業者から見ても、安心して共演できる名バイプレーヤーだったのだろうと思います。
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