新型出生前診断。“お腹の子どもに障害がある”ことが、僅か20CCの採血によって90%の検出率でわかる方法です。それで障がい児を宿しているとわかった人の97%が中絶するという報告がネットで大反響です。ネットは「出産」や「障がい」に対するコメントがいつも情け容赦ないのですが、いろいろな意味でイタイですね。
いつものように、まとめサイトにリンクします。
胎児がダウン症と確定したら妊婦の97%が人工中絶を選択
http://ber5arp8.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/97-1dec.html
これを受けて、Facebookでは、発達障害の親として講演などを行っている立石美津子さんも話題にしていました。
Facebookより
「
新型出生前診断でダウン症など染色体異常がわかると妊婦の97%が人工中絶している。でも、産んだ親、そしてダウン症児自身は80%が「自分は幸福だ」と答えている。 」
しかし、ネット民は、この「自分は幸福だ」というところが意地でも理解できないらしい。
中絶は、「当然だろ」「そのための出生前診断だろ」「生まれた子どもも不幸だろ」などと、いつにもまして感情もあらわにコメントしています。
さて、私は、妻が、周囲もびっくりする自然妊娠の高齢出産で、次男の時に
クアトロテストを受けています。
また、再三書いているように、5年前の火災で長男が高次脳機能障害という「発達障害」扱いを受けています。
その意味で、この話題については、「当事者」としての発言を出来るのかな、なんて思っています。
で、その立場で結論から言わせてもらうと、
妊婦や父親が五体満足な子どもの誕生を願うのはもっともなことだが
そこにコメントするネット民には「知」も「心」もない
ということです。
「心」は人格の問題だから仕方ないとして、「知」の部分については、悪意ではなく本当に無知なだけかもしれないので、前出のまとめサイトのコメントに対する間違いを私の知る限りで手短に指摘します。
生涯国の保護のもと、ぬくぬくと暮らしていけるんだから幸せと感じるんだろうよw
コメントは、ダウン症児を想定しているのですが、ダウン症固有の福祉サービスは存在しません。
ダウン症であるかないかは、障がいの認定とは関係ありません。
ダウン症といっても、ごく普通に健常児の学級に通っている生徒・児童はいます。
それと、障がい者手当は「ぬくぬくと暮らしていける」額ではないはずですよ。今回は詳しく書きませんが。
(ダウン症児は)幸せと思わないとやってられないんだろうよ
健常者によって現代社会の価値観があるから、健常者はそれにもとづいて障がい者を見下しているだけのことで、障がい者の側からの価値観はまた別であることを想像できないのかなあと思います。
これは障がい者云々だけでなく、「
他人の立場になって考えることができない人」だと見透かされる
浅はかな思考です。
出生前検査をするという決定をしてる時点で駄目なら中絶するつもりでしょう
そうじゃないんだよなあ。そんな単純なものではないの!
これも「
何もわかっちゃいない」苦労知らずのコメントです。
とくに高齢出産や不妊治療で子どもを授かった人なら、こういうコメントはまずしないと思います。
私どもがクアトロテストをしたのは、陰性なら生む、陽性なら生まない、と決めていたわけではありません。
漠然と、陰性になることだけを都合よく考えて、陰性という結果で背中を押してもらおう、と思っていたといっていいでしょう。
結果、陰性だったので無問題でしたが、もし陽性だったら……、でもたぶん生んでたと思います。
もし生まない選択をとるときは、きっと「陽性」であること自体の問題ではなくて、陽性は産んではならない、という周囲の余計な「魔の囁き」に負けた時でしょうね。
だから、「無意味な心配事を作るだけだ」と当時産婦人科医に叱られ、羊水検査はしませんでした。
人間て、そんなに理路整然と判断するわけではなくて、他力に頼ったり、成り行きで決めたりすることがあり、それは出産のような重大事でも、というより「だからこそ」そうなってしまう弱さがあるのです。
ですから、今回の「97%」も、本当にその全ての人が、最初から「産まない」選択だったわけではなく、周囲のおせっかいでそう判断してしまった人もいるのではないかと思います。
だとしたら、それは残念なことです。
お腹の子どもは周囲の人達ではなく、胎児の両親が判断すればいいことだからです。
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(幸せというなら)じゃあダウンの子をもう1人生みたいですか?って聞いてみて欲しい
繰り返しますが、障がいのないこどもの誕生を願うことを否定していません。
で、実際に障がい児が生まれたら、健常児以上に育児が大変であることも事実です。
たとえば、私は、火災で無一文になった罹災者ですから、今も大変な立場です。
とても、これ以上子どもを授かる余裕などありません(ていうかもう孫ができる齢だし)
でも、もしかりに、「天の配剤」なるものがあって、「お前にもう一人障がい児を授ける」といわれたら、私はたぶん、「
天よ、そう来るならどんとこい!」と胸を叩いてしまうことでしょう。
大変だけど、そういう人生ならそれもありだ、という気持ちというか、覚悟は持っています。
この気持ちは、真に子の価値を認識していない人には永遠にわからない話です。
まとめ、というか余談
以前は、上記のようなネット民のコメントを読む都度に、私は、「なんて酷いことを書く無知で冷たい人たちだ」と憤っていました。
でも最近、少し見方が、「前向き」なものに変わってきました。
世間がこの程度の「無知」と「不了見」の水準なら、無一文の罹災者になり、人生詰んじゃったと思っていた自分にも、
まだまだ巻き返しのチャンスがあるのではないかと。
これって、ヒトを馬鹿にした上から目線ですか。
だって、間違いは間違いでしょう。
自分は不幸や多難な経験をしたけれども、それによって、苦労知らずの人がわからないことを知ることが出来たわけですから、その人たちの間違いを指摘していくことは公益性もあると思います。
だから、ネット民がバカなことを書いていると、今はなんかホッとして、自分の存在価値があるような気がして、自信がわいてきます。
そう思えるまでに5年かかりましたが、今はそんな心境です。
「障害がある・ダウン症」という理由でこの世に生まれてくる前に中絶という形でお腹の子を殺めること、自分たちを「あそこのお宅の子供は…」という偏見から身を守るための行為にしか思えません。
by ナベちはる (2016-07-04 00:54)
また…荒れますかね(笑)
by うつ夫 (2016-07-04 00:54)
あなたは、自身が高齢出産されたので、高齢出産を礼賛したいのでしょう。誰だって自分が正しいと主張するのが当たり前のことです。
だからそのこと自体はどうぞご自由にしてください。ただ、ご自身がそうだからといって、高齢出産を推奨することは止めていただきたい。さんざん言われている高齢出産のリスク。あなたが無事健康な子どもを産んでいる背景に健康でない子どもを産み、苦労されている方がたくさんいらっしゃいます。
私は、高齢出産の中でも、自然妊娠に関しては別に構わないと思います。ただ、不妊治療の末の高齢出産、ましてや卵子提供での出産には断固反対です。そこまでして無理に産むよりも、若いうちに産める社会のために税金を使った方が良いと思うからです。
どうぞ、このような意見を持ったものもいるということくらいは胸にとどめてくださいね。
by うた (2016-07-04 01:09)
何が幸せかは一人一人違うからなぁ。その人が幸せならそれで良いと思うんですがね。
by pn (2016-07-04 06:39)
私の周囲にも、障碍の息子をお持ちの方が居られますが、
安易に、頑張ってくださいなどは言えない状況です。
ご訪問ありがとうございます。
by やおかずみ (2016-07-04 10:20)
同じ記事のブログを他でも見てきました。
皆さんの反応、よくも、わるくも正直な感想・意見なんだとおもいます。
ただ、私はそんな皆さんの気持ちを聞いているであろう障害を持つ子の両親の気持ちを考えると胸が痛みます。
リスクのある出産、母も子も簡単な出産ではない
だからこそ覚悟を決めるために必要な検査なんだとおもいます。
先天性か後天性か、事故か・・
人はいつ他人の手助けが必要になるかわかりません。
両親が子を産むと決めた以上
全ての命は守られるべきものなのです
きれいごとに聞こえる人もいるでしょうが
これが私の思うところです。
by ユメクレア (2016-07-04 22:23)
高齢出産を必死に批判している人を見ると、他人が産む話なのに、何でそこまで熱心なのって気がします。それはやっぱり、嫉妬とかそういう問題があると思います。とくに女の人にはいちばんデリケートな話だから。
障がいのある子と判って産むかどうかは、もうホント究極の価値観の選択でしょう。
でもいずれにしても、他人がとやかく言うものではないと思います。
その人自身が決められるようにそっとしておいてください。
障害児を育てたこともない人が、障害児育児をとやかく言うのは、やっぱりリアリティありません。
by 犬眉母 (2016-07-05 00:22)
あ、すみません。高齢出産の話ではなかったですね。前半はなかったことにしてください(*^^*)
by 犬眉母 (2016-07-05 00:23)
みなさん、コメントありがとうございます。
ちょっと私の書き方が悪かったのでしょうね。
私はですね、高齢出産や、生むか産まないかの
良し悪しについて書いたわけではないのです。
「当事者」としての経験や
それが自分の役割なら障害児を受け入れるでしょう、
という自分の考えを述べただけで、
そうあるべきと他人を啓蒙しているわけでもありません。
他人の事情や価値観まで関知しませんから。
私がもっとも主張したかったのは、
ダウン症児の存在を社会的に否定したり排除したりするのは
「知」も「心」もない人間なのだということです。
by いっぷく (2016-07-05 00:46)
>「天の配采」なるものがあって、「お前にもう一人障がい児を授ける」といわれたら、私はたぶん、「天よ、そう来るならどんとこい!」と胸を叩いてしまうことでしょう。
今回の記事でいちばん注目するところはこの部分だと思います。
私の場合は、次女の生まれる時に妻が子宮筋腫を併発させて、堕胎をするかハンディキャップを覚悟で出産するか選択を迫られた事があります。
愛情とは“真心に「覚悟」を持った勇気でもある”というのが信条です。
by 扶侶夢 (2016-07-05 11:00)
私の障害はダウン症と同じ遺伝子の異常で起きています。
その当事者である私は、障害を持って生まれてきたことは不幸とは思いません。
父が借金まみれで私に頼ることのほうが不幸と感じましたね。
それも昔話になりました。
人間は魂の学びに段階があるのだろうと、思えます。
健康な人は健康の意味を学べません。
ほかの角度から見ることが出来て初めてそこにあるものを
多角的に学ぶチャンスが得られるのだと思います。
by A・ラファエル (2016-07-05 16:11)
こんばんは
第一子を妊娠した時、二十代半ばでしたが検査の確認をされました。(当時、任意ながらどこかのタイミングで検査をすることが検診に組み込まれていたと記憶しています)
夫婦で話し合って、受けませんでした。だって、切迫流産を経てやっとこ妊娠している状態で、陽性と出たからといって堕胎できるのか。だからと言って、受け入れて生み育てる覚悟が持てるのか...。
堂々巡りで結論が出ませんでした。
でも、検査も100%正しいわけでもない以上、検査結果が陰性だからといって安心できるわけではないのだから、生まれてきた子に障害があった場合はしっかり育てていこう、と結論を出して、第二子以降も検査なしでした。
学生時代、障害関連の勉強をしたので、障害そのものより障害を理由に受ける社会からのあれこれと戦う必要や場面の多さに、障害を持つ子の親になるのを避けることを批判できないとの思いがあります。が、検査を受ける覚悟にも、結果を受けて堕胎を"選べる"ことにも、(私自身決めきれなかったので、決めれることに)驚きます。
by susan (2016-07-05 22:42)
障害児の育児には味がある。
そんな内容を某書で読んだことがあります。
その境地は、経験した人でないとわからないのでしょうね。
「生きとし生けるもの」という言葉は重いです。
by utamaroco (2016-07-05 23:31)
みなさん、コメントありがとうございます。
魂のこもったコメントの重さを感じ
御返事が遅れてしまいました。
拙い記事に真面目にコメント頂き心から感謝いたします。
>by ナベちはる さん
>自分たちを「あそこのお宅の子供は…」という偏見から身を守るための行為にしか思えません。
そうですよね。
なのに、自己正当化で、さらに障碍者を傷つけるのが許しがたいですね。
>by うつ夫 さん
>また…荒れますかね(笑)
今回はわりと、静かでしたね。
>by HIDEe さん
>親と子が支えあって生きる、お互いが必要で思いあって生きる、それも強い絆で。
全く仰るとおりです。
至言ですね。
>by pn さん
>その人が幸せならそれで良いと思うんですがね。
そうですね。
とくにこの問題は、拒絶感や非難の論調が厳しいですね。
>by やおかずみ さん
>安易に、頑張ってくださいなどは言えない状況です。
励まさたり賞賛されたりしたいから、産み育てるわけではないので
健常のお子さんの親子と同じような
当たり前の対応で良いのだと思います。
>by ユメクレア さん
私の子どもは事故による中途障害で
リハビリの途上にあるため、
厳密に言うと、胎児の頃から障害のある
お子さんの親御さんとは立場が違うのですが
でも障害が個性だ、ということを確認できたり
生きるということはどういうことだろうと
考えるよすがとしたりと、少なくとも
排除や否定の価値観しか持てない人間には
ならない経験をできたのだなと前向きに考えています。
>by 犬眉母 さん
>嫉妬とかそういう問題があると思います。とくに女の人にはいちばんデリケートな話だから。
それもあると思いますが、中傷する人の中には、普通に子どものいる方もいます。
思うに、そもそも人は他人に対して、猜疑心やコンプレックスをもっているようですから、
障害のある人や、そういう人を生む確率が高いとされる行為について
「説教」をできる(自分が相手に対して上に立てる)ことが嬉しくて仕方ないんですよ。
たとえば、okwaveとか知恵袋とか見ると、身の上相談の法律的な質問に対して
生き方の説教をするピンぼけコメントが必ず入っているでしょう。
高齢出産攻撃って、たぶんあれと同じメンタリティだと思います。
人間の一番嫌なところ、きたないところだと私は思いますね。
>by 扶侶夢 さん
>愛情とは“真心に「覚悟」を持った勇気でもある”というのが信条です。
なるほど。
私はそこまで本格的に自覚していませんでしたが、そうですね。
>by A・ラファエル さん
>健康な人は健康の意味を学べません。
>ほかの角度から見ることが出来て初めてそこにあるものを
>多角的に学ぶチャンスが得られるのだと思います。
仰るとおりですね。
私も「苦労知らず」などとエラソーな表現をしましたが
そのようなことを述べたかったのです。
>by susan さん
そうですね。私の経験からもそう思います。
出生前診断でわかることはごく僅かです。
そのお子さんが、社会にどのくらい適応できるかまではわかりません。
つまりもしかしたら、健常の集団で生活できる「障害」かもしれないのに、
その命を奪ってしまう。
それを怖いことだと思わないことが、私には理解できないですね。
アタマも心も悪すぎ、と言いたくなってしまうわけです。
>by utamaroco さん
ダウン症の人を差別してもいいかといったら、
普通は建前として誰でも反対します。
でも出産してもいいか、の話になると話は別なんですね。
そこに「健常者の本音(エゴ)」が出ているように思います。
by いっぷく (2016-07-07 04:49)
感動しつつ拝読しました。
私にはダウン症の友人がおりますが、人を疑うことを知らない、争うことを好まない、誠に純粋無垢な人間です。
彼がいることで、その場の雰囲気がほっと和むような、そんな存在です。
彼のご両親のご苦労は如何ばかりかとかって思っておりましたが、お父上は、「息子のおかげで人間であることの素晴らしさを実感できた」とおっしゃいました。
ネット民の心無い書き込みは所詮無知からきているわけで、それも匿名だからなのでしょう。
しかし、
「世間がこの程度の「無知」と「不了見」の水準なら、無一文の罹災者になり、人生詰んじゃったと思っていた自分にも、まだまだ巻き返しのチャンスがあるのではないかと。」
この下りに、私ははたと膝を打ちました。
久しぶりに気持ちを前向きにさせていただき、本当に嬉しくなりました。
素晴らしい記事をありがとうございます。
by 伊閣蝶 (2016-07-09 11:32)
本当におっしゃる通りだと思います。
そして世間がこの程度なんだから自分は
かなり救いがあるんだろうという感覚、
実はすごく持ってます(笑
by 昆野誠吾 (2016-07-09 19:22)
かなり遅いコメントで申し訳ありません。
しょうがいを持った子供の親
ダウンだけでなく色んな障害の子供を持った親
この子がいなければ良かった・・・
いてくれて良かった・・・・・・・
日々、色々な思いで思いでいます。
これから生れて来るであろう、子供に対しては、その子が幸せかどうかではなくその子の親になれるか・・
幸せな生活を送らせることができるのか?
その事に対する問いかけと、その親であろう人間の資質が問われていると感じられます。
生まれ来る命の選別・・・残念な気がします。
by ぷりん (2017-02-01 23:03)