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遷延性意識障害、復活選挙権行使の快挙 [遷延性意識障害]

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遷延性意識障害について、このブログでは何度か記事にしてきました。脳にダメージを受ける出来事があってから、自力で(自覚的に)動いたり、判断(を表現)したりすることができない状態が3ヶ月以上続いている人を言います。いわゆる植物症(vegetative state)などともいわれますが、一昨年の公職選挙法改正でその人々に投票権が復活。今回、その行使を報告する記事を拝見しました。

以前、私にとって数少ない恩人の一人である、福寿草さんをご紹介したことがあります。

『究極の愛について語るときに僕たちの語ること』遷延性意識障害の真実

たこつぼ型心筋症による低酸素脳症で、突然遷延性意識障害となった夫人を介護して9年目となる方です。

「遷延性意識障害の妻を支えて」トップページより
福寿草さんのブログ「遷延性意識障害の妻を支えて」トップページより

私が突然の火災により、妻子が意識不明の重体で救急病院に担ぎ込まれて途方に暮れていた時、いろいろな情報やアドバイスをしてくださった方です。

その福寿草さんが、ブログを更新したとの知らせをFacebookのフィードで拝見したので、アクセスしてみました。

すると、先日の選挙の話が記事に出ていました。

遷延性意識障害の夫人の成年後見人になった福寿草さんが、夫人に付き添い投票を完了。「ついに人間復活」したという話です。

意識障害で判断ができない、もしくは判断の表明ができない人には、財産管理などを行う成年後見人といわれる人が、家庭裁判所で選任されます。

一部引用させていただきます。
本当に投票できるかどうかはわかりませんでしたが、とりあえず投票所で受付をして投票用紙を受け取って、妻が誰を選ぶかは、僕が候補者の名前を読み上げて良いところで首で合図してもらう方式でチャレンジしました。うまく教えてくれるかなと思っていましたが、ちょうどある候補者のところで首を動かしました。同時に声も出してくれたので、立会人も納得してその候補者の名前を投票用紙に代筆してくれて、妻に見せてから投票箱に入れてくれました。市長と県議会議員の2つの選挙ができました。
ついに人間復活です。
http://toshiake.at.webry.info/201504/article_1.html

首を動かすだけですと、「不随意運動だ」なんて疑う人もいるかもしれませんが、「声も出して」「立会人も納得して」ということですから、客観的に意思を表明したことがわかります。

記事によると、「右を向いて」「左を向いて」という指示に反応するようになっていたようです。

これは素晴らしいことです。

反応するということ自体が素晴らしいとともに、それが、遷延性意識障害になって9年目の40歳を過ぎた人であるところに大きな意味があります。

脳の可塑力


脳の可塑力は、以前は成人ではむずかしいとされ、現在でも40歳ぐらいまでではないかといわれています。

ということは、40歳過ぎた遷延性意識障害の人は、壊れたらそれっきりでもう回復しないよ、といっているようなものです。

福寿草夫人はそれを覆したのです。

脳の可塑性というのは、脳のある部分が壊れても、別の部分が本来の機能とは異なる機能を営んで代償することをいいます。

ADHDなど、発達障害の脳の可塑性を話題にする書籍を見ることがありますが、9年間遷延性意識障害である人が、投票行動を完了したという話はおそらく初めてのことです。

一昨年公職選挙法が改正されたことで、成年被後見人の選挙権が復活しましたが、福寿草夫人は見事にそれを行使したのです。

成年被後見人の投票実績を作る!


平成25年5月に、成年被後見人の選挙権の回復等のための公職選挙法等の一部を改正する法律が成立、公布されました(平成25年6月30日施行)。

どういうことかというと、これまでは、成年後見人の選任が家庭裁判所で決まった時から、成年被後見人は選挙権を失っていました。

つまり、成年後見人をつけてもらうということは、財産管理等の判断を代わりに行ってもらうのと引き換えに、その人自身の社会に生きる人間としての証や権利を失うということだったのです。

しかし、「判断」といってもいろいろあります。

細かい財産管理は難しくても、政治家を選ぶ判断力は持っている人もいます。

その中のひとりが裁判を起こして、成年後見人を選任した人でも投票ができる法律の改正につながったのです。

でも、遷延性意識障害の人に選挙権を復活させたところで、はたして投票ができるのか、と考える人がいるかもしれません。

それだけに、福寿草夫人が、その権利を行使したのは大変意義深いことなのです。

ビートたけしが、金持ちと貧乏人が同じ一票なのはおかしいなんて、よく自著に書いています。

でも投票用紙は、資産や収入に対して与えられるものではないでしょう。

五体満足で勝手なことをしてきたビートたけしにはわからないでしょうが、投票権は「生きる証」「人間復活」の一票でもあるのです。

そもそも、金持ちだからといって投票の権利を重くしたら、金持ちだけに都合のいい社会になってしまいます。

それは結局、金持ちにとっても長期的に見ると望ましい仕組みではないと私は思います。

究極の愛について語るときに僕たちの語ること

究極の愛について語るときに僕たちの語ること

  • 作者: コエヌマカズユキ
  • 出版社/メーカー: 青月社
  • 発売日: 2014/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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