『親子共依存』子どもの自立は抱え込まずに手放すことから [社会]
『親子共依存』(尾木直樹著、ポプラ社)が話題になっているので読んでみました。タイトル通り、親離れ、子離れできない現代の親子関係について、精神、経済、社会、性の4つの面から原因を指摘し、対策を提案しています。

このブログでは以前、「親の過干渉、バブル世代の“就活”」というタイトルで、今や大学の入学式や卒業式、さらに就活まで、親が顔と口を出す現状を嘆きました。
私は、今の生活に手いっぱいだったら、干渉する余裕はないはずで、要するに干渉する親というのは「ヒマ」なんだろう、うらやましい限り、と皮肉を書きました。
そして、親の過干渉は、善意だの愛情だのという根拠があっても否定すべきであり、子は子の人生を自由に歩めるように、親は自分が邪魔しないようにすることを心がけるべきだとも書きました。
『親子共依存』も、その立場から書かれている書籍です。

『日刊ゲンダイ』(2011年4月2日付)にも、著者インタビューが掲載されました。

いきなり記者のリードではこう書かれています。
買い物や旅行をしただけで、即「ビョーキ」呼ばわりはあんまりだと思うのですが、行動を共にするのが当たり前であると思ったり、そうしないと何か足りないような気持ちになったりする場合は、気をつけたほうがいいかもしれませんね。
尾木直樹氏によると、人間の自立には4つの柱があるといいます。
「精神的自立」「経済的自立」「社会的自立」「性的自立」です。
「経済的自立」をのぞけば、親から離れることで解決の方向にむかうといいます。
尾木直樹氏は、「悩みごとの相談相手」が、近年の調査で「友人」が減り、「両親」が増えていることに着目。
思わず子どもたちにこう言いたくなるそうです。
「こんなに親ばかり頼っていていいものなの」と。
反抗期というのは、伊達や酔狂であるわけではないでしょう。
自分に疑問や不満を感じ、そこから親に対する不満、隠し事が生じ、自分だけの時間、自分だけの居場所が欲しくなるのは、自我の目覚めであるからです。
親を否定できるからこそ、子ども自身の発展があるのです。
ヘーゲル弁証法でも「否定の否定」という根本法則があります。内在する矛盾が自己を否定し、出現した他者と対立し否定する。
子どもが親を否定し、さらに高次の段階に進んでいくのは、まさにこの「否定の否定」ではないでしょうか。
尾木直樹氏もこう述べています。
そのままずっと親子べったりで、何事も母親頼みでは、いつまでたっても素の自分、もうひとりの自分と向き合うことができず、結局自立できません。
「内在する矛盾」と向き合わず、「出現した他者と対立」しないでべったりしている昨今の親子関係は「きわめて深刻な事態を暗示しているように思えてならない」と嘆いています。
全くそのとおりだと思います。
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「経済的自立」ができないことについては、正規雇用が減り安定した経済的基盤が築けない社会にも原因があるとしています。
私はそれとともに、ネットツールの普及で、泥臭い人間関係を構築しにくくなったことが、「信頼できる友人」を作る機会を失っているのではないかなと思います。
・『ネットのバカ』の中川淳一郎氏、ネットとスマホに警鐘を乱打!
・『ネット依存症』で人とのつながりを改めて考える
・『ネットのバカ』が嘆く「Facebookは気持ち悪い」の真意は?
インターネットという、昭和時代から見たら夢のような社会が逆にアダとなっているのではないでしょうか。
そして、東日本大震災以来、「子どもが災害に巻き込まれたら」という自然災害に対する不安が高まり、それも家族観に影響を与え、「家族一緒に過ごす」という意識が高まっているのではないかと見ています。
しかし、尾木直樹氏は、震災についてこう考えます。
「ただ、何かあったとき、いざというときにあわてず正しい判断をして、自分で自分の命を守ることができるのも、自立していてこその話です。いつまでも子どもを抱え込むのではなく、やはり時期がきたら手放し、自分で自分の身を守れる自己肯定感の強い人間に育てておく必要があるのです。」「家族一緒になって逃げようとして、迎えに家に戻って、命を落とした犠牲者が東日本大震災でも少なくなかったことは防災の専門家も指摘しているところです。」
尾木直樹氏は、ここで「津波てんでんこ」を紹介しています。津波が来たら、家族がそろわなくとも、てんでんバラバラにとにかく高台に逃げろ、といった岩手県釜石の教えです。
尾木直樹氏が本書で問題にしているのは、大学生以下のお子さんとその親です。
私は、自分の子供とは、親というより孫ぐらい離れているので(汗)、私より一世代は若い人たちだと思うのですが、その人たちは、たぶん「お茶の間」が死語になった頃育った人たちで、暴力が否定される紳士的・民主的な家族関係の中で、父親のげんこつも母親の感情的な小言も経験せずに大きくなった「お友だち親子」だったんでしょう。同書もその点を指摘しています。
だから、親に対する複雑な思いを抱き葛藤する「青春」の道順を、自分たちも知らずに成長してしまった世代なのだと思います。
『親子共依存』というタイトルですが、まずは「親」の方が必読の書かもしれません。

このブログでは以前、「親の過干渉、バブル世代の“就活”」というタイトルで、今や大学の入学式や卒業式、さらに就活まで、親が顔と口を出す現状を嘆きました。
私は、今の生活に手いっぱいだったら、干渉する余裕はないはずで、要するに干渉する親というのは「ヒマ」なんだろう、うらやましい限り、と皮肉を書きました。
そして、親の過干渉は、善意だの愛情だのという根拠があっても否定すべきであり、子は子の人生を自由に歩めるように、親は自分が邪魔しないようにすることを心がけるべきだとも書きました。
『親子共依存』も、その立場から書かれている書籍です。

『日刊ゲンダイ』(2011年4月2日付)にも、著者インタビューが掲載されました。

いきなり記者のリードではこう書かれています。
大人になった娘や息子と一緒に買い物や旅行に行く仲良し親子が増えている。だが、これはほほ笑ましい光景では決してない。(親子共依存)というビョーキなのだ。
買い物や旅行をしただけで、即「ビョーキ」呼ばわりはあんまりだと思うのですが、行動を共にするのが当たり前であると思ったり、そうしないと何か足りないような気持ちになったりする場合は、気をつけたほうがいいかもしれませんね。
尾木直樹氏によると、人間の自立には4つの柱があるといいます。
「精神的自立」「経済的自立」「社会的自立」「性的自立」です。
「経済的自立」をのぞけば、親から離れることで解決の方向にむかうといいます。
尾木直樹氏は、「悩みごとの相談相手」が、近年の調査で「友人」が減り、「両親」が増えていることに着目。
思わず子どもたちにこう言いたくなるそうです。
「こんなに親ばかり頼っていていいものなの」と。
反抗期というのは、伊達や酔狂であるわけではないでしょう。
自分に疑問や不満を感じ、そこから親に対する不満、隠し事が生じ、自分だけの時間、自分だけの居場所が欲しくなるのは、自我の目覚めであるからです。
親を否定できるからこそ、子ども自身の発展があるのです。
ヘーゲル弁証法でも「否定の否定」という根本法則があります。内在する矛盾が自己を否定し、出現した他者と対立し否定する。
子どもが親を否定し、さらに高次の段階に進んでいくのは、まさにこの「否定の否定」ではないでしょうか。
尾木直樹氏もこう述べています。
そのままずっと親子べったりで、何事も母親頼みでは、いつまでたっても素の自分、もうひとりの自分と向き合うことができず、結局自立できません。
「内在する矛盾」と向き合わず、「出現した他者と対立」しないでべったりしている昨今の親子関係は「きわめて深刻な事態を暗示しているように思えてならない」と嘆いています。
全くそのとおりだと思います。
いつまでも子どもを抱え込まないこと
「経済的自立」ができないことについては、正規雇用が減り安定した経済的基盤が築けない社会にも原因があるとしています。
私はそれとともに、ネットツールの普及で、泥臭い人間関係を構築しにくくなったことが、「信頼できる友人」を作る機会を失っているのではないかなと思います。
・『ネットのバカ』の中川淳一郎氏、ネットとスマホに警鐘を乱打!
・『ネット依存症』で人とのつながりを改めて考える
・『ネットのバカ』が嘆く「Facebookは気持ち悪い」の真意は?
インターネットという、昭和時代から見たら夢のような社会が逆にアダとなっているのではないでしょうか。
そして、東日本大震災以来、「子どもが災害に巻き込まれたら」という自然災害に対する不安が高まり、それも家族観に影響を与え、「家族一緒に過ごす」という意識が高まっているのではないかと見ています。
しかし、尾木直樹氏は、震災についてこう考えます。
「ただ、何かあったとき、いざというときにあわてず正しい判断をして、自分で自分の命を守ることができるのも、自立していてこその話です。いつまでも子どもを抱え込むのではなく、やはり時期がきたら手放し、自分で自分の身を守れる自己肯定感の強い人間に育てておく必要があるのです。」「家族一緒になって逃げようとして、迎えに家に戻って、命を落とした犠牲者が東日本大震災でも少なくなかったことは防災の専門家も指摘しているところです。」
尾木直樹氏は、ここで「津波てんでんこ」を紹介しています。津波が来たら、家族がそろわなくとも、てんでんバラバラにとにかく高台に逃げろ、といった岩手県釜石の教えです。
『親子共依存』を読むべき人とは……
尾木直樹氏が本書で問題にしているのは、大学生以下のお子さんとその親です。
私は、自分の子供とは、親というより孫ぐらい離れているので(汗)、私より一世代は若い人たちだと思うのですが、その人たちは、たぶん「お茶の間」が死語になった頃育った人たちで、暴力が否定される紳士的・民主的な家族関係の中で、父親のげんこつも母親の感情的な小言も経験せずに大きくなった「お友だち親子」だったんでしょう。同書もその点を指摘しています。
だから、親に対する複雑な思いを抱き葛藤する「青春」の道順を、自分たちも知らずに成長してしまった世代なのだと思います。
『親子共依存』というタイトルですが、まずは「親」の方が必読の書かもしれません。
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