『俺たちの祭』(1977年11月20日~1978年4月30日、ユニオン映画/日本テレビ)を久しぶりに全23話観ました。中村雅俊主演の、舞台俳優としての生き方に悩む青春群像劇です。このブログで何度か書いたことのある『俺たちの旅』(1975年10月5日~1976年10月10日、ユニオン映画/日本テレビ)というドラマの、1年後に放送されたのが、今回の『俺たちの祭』です。(画像は劇中より)
『
俺たちの旅』も『俺たちの祭』も、青春群像劇と呼ばれるジャンルのドラマで、若さゆえの正直さや未熟さによる葛藤や挫折が、実に切ないドラマです。
『俺たちの旅』の場合は、三流大学のモラトリアム学生が、卒業しても就職せず、雑用を引き受ける「なんでもする会社」を立ち上げて、身過ぎ世過ぎしています。
日テレオンデマンドより
身分としてはなんとも自由で気ままな立場であるがゆえの、「人生このままでいいのか」という、生き方についての相克を描いています。
『俺たちの祭』は、新劇の劇団「新樹」の研究生が、正直すぎるゆえに幹部と衝突。座員になれないばかりか演劇活動の妨害をされ、それでも最後は妨害の及ばない大きな劇団で舞台にたつところまでを描いています。
どちらも、青春時代の「自分探し」ですが、モラトリアムでどこか突き抜けた明るさのある『俺たちの旅』とは違い、『俺たちの祭』は、芝居をするという自分の生きる道は決めているものの、競争も激しく、高度なスキルの必要な舞台役者になるための苦労や苦悩が毎回続きます。
演劇という特定のジャンルの話で、かつ、前半はジミで暗い展開が続いたため、視聴率が伸びず、『俺たちの旅』(全43話)は1年続いたのに、『俺たちの祭』は、たった5ヶ月で打ち切りになってしまいました。
脚本は
鎌田敏夫氏ですが、ときどきあるんですよね、
内容が良く出演者もノッているのに、リアルタイムでは視聴率に結びつかず、後になってから再評価される作品。
この『俺たちの祭』も、CSが昔のドラマを放送するようになった1990年代終盤から「いい作品じゃないか」という声が高まり、21世紀になってDVD化されました。
私も、放送当時は、娯楽作品としての気安さに欠けている気がして、最後の方は、楽しく観られる裏番組の『浮浪雲』を優先していました。
『浮浪雲』渡哲也、桃井かおり、伊藤洋一、柴俊夫、石原裕次郎
『浮浪雲』より
でも、今見ると、ドラマに不可欠な「切なさ」が非常によく描かれていて、ああ、これはこれで良いドラマだったんだな、と今頃気が付きました。
切なさという点では、もしかしたら『俺たちの旅』よりも、『俺たちの祭』に軍配を上げるかもしれません。
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檀ふみは「かぐや姫」と似ていた
沖縄の久米島で父親を知らずに育った今城隆之(中村雅俊)は、東京の劇団・新樹の芝居を見て役者になりたいと思い、研究生試験を受け合格します。
隆之(
中村雅俊)の父親は旅回りの役者で、母親(岩崎加根子)は、その血だろうと隆之(中村雅俊)の決意を喜び、目が悪い自分が足手まといになってはならないと自殺します。
隆之(中村雅俊)は親友の小野昭一(三ツ木清隆)と上京。漫画家志望の森田正道(角野卓造)と内縁の妻・路子(秋本圭子)、隆之(中村雅俊)を従えて流しをする花井三四郎(小島三児)らが同じアパートで暮らします。
青春時代の角野卓造
角野卓造といえば『間違いだらけの女磨き』を思い出す
劇団・新樹では、やはり研究生の沢矢津子(堀美奈子)が隆之(中村雅俊)にお熱。
しかし、隆之(中村雅俊)は事務員の北見直子(檀ふみ)に夢中です。
では直子(檀ふみ)はどうかというと、短大時代、妻子ある先生を好きになったことで、周囲の人に迷惑をかけ自分も苦しんだという理由で、隆之(中村雅俊)が好きなくせに逃げ回っています。
ドラマの前半が暗いのは、直子(檀ふみ)の、ツンデレとも違うウジウジした態度も原因でしょう。
後半、やっと隆之(中村雅俊)を受け入れ、一緒に暮らすようになりますが、本当はこのドラマ、抜擢した矢津子(堀美奈子)と三角関係にしたかったのに、矢津子(堀美奈子)にイマイチ華がなく、結局隆之(中村雅俊)と直子(檀ふみ)の関係にとどまってしまったのも誤算だったのではないでしょうか。
ドラマを観ていて感じましたが、檀ふみというのは、さきごろ父親と裁判ざたになった家具メーカー新社長の「かぐや姫」にどことなく似てますね。
アパートや人の関わり方など、昭和らしさが出ている青春群像劇だと思います。
でも、今観ても感じるところはありますよ。
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