『大番』加東大介の出世作、淡島千景も“割ない仲”を好演 [懐かし映画・ドラマ]
『大番』(1957年、東宝)を久しぶりに鑑賞しました。獅子文六が、実在の人物をモデルに週刊朝日に連載した青春小説の映画化です。主人公の通称“ギューちゃん”を演じたのは加東大介(1911年2月18日~1975年7月31日)。内縁の妻のように支えたおまきさんを演じたのは、2月24日が生まれた日である淡島千景(1924年2月24日~2012年2月16日)でした。
ラピュタ阿佐ヶ谷公式サイトより
今更ご紹介するまでもない有名な作品かもしれませんが、四国・宇和島の農村に生まれた赤羽丑之助が、東京の兜町に出てきて、株の売買や取引をする相場師として成功する話です。
モデルは、合同証券(エイチ・エス証券の前身)社長の佐藤和三郎氏といわれています。
脚本は、社長シリーズを書き続けた笠原良三、監督は、のちに東宝が製作する青春学園ドラマの監修などもつとめた千葉泰樹です。
以前、このブログの「『へそくり社長』で千葉泰樹監督が描きたかった“人間への信頼”」で書いたように、この『大番』は、単なる立身出世の話ではなく、内縁の女性・おまきさん(淡島千景)や、適材適所でアドバイスをしてくれる友人・新どん(仲代達矢)らの支援、地元宇和の人々励ましなどで、失敗してもそのままくじけずに再起する場面に力点を置いています。
ことに、待合女中の役だった淡島千景が大変魅力的に描かれています。ギューちゃんは原節子に夢中なのですが、本人が意識しなくても、しっかりギューちゃんの心の支えになっています。
扇千景や淡路恵子が、淡島千景に憧れて芸名を一部頂いたというエピソードもうなずけます。
Google検索画面
ちなみに、淡島千景は、池上本門寺の境内を借りて開校し、今も向かい合う場所に校舎が立っている大田区立池上小学校の前身、池上尋常高等小学校の出身です。
ギューちゃんの歩みは、本作『大番』(1957年、東宝)だけでなく、『続大番 風雲篇』(1957年、東宝)、『続々大番 怒涛篇』(1957年、東宝)、『大番 完結篇』(1958年、東宝)と合計4作にわたって映像化されました。ここでは、『大番』のあらすじを書きます。
容姿にコンプレックスを抱く丑之助(加東大介)は、ラブレターを不特定多数にばらまきますが、地元資産家令嬢の可奈子(原節子)にまで行き渡ってしまい、それが原因で故郷を出ていかなければならなくなります。
私は東京育ちだからわかりませんが、こういうことがあると暮らしにくいのかもしれません。
丑之助は東京に出てきて株屋の小僧になり、少しずつ株売買のノウハウを身につけます。
ノロマで大メシ食いということもあって“ギューちゃん”と言われるようになったのですが、生来の記憶力の良さからメキメキ頭角を現し、芸者遊びなどもするようになって、待合女中のおまきさん(淡島千景)と知り合います。
それでも、理想の女性が可奈子であるギューちゃんは、おまきさんと結婚しようとはしません。
そんなギューちゃんが、友人の新どん(仲代達矢)を歌舞伎座に招待した時、幕間の廊下で可奈子と再会。ところが、それで運気が落ちてしまい、大きく張った相場が五・一五事件で大暴落。全財産を失って故郷にいったん引っ込むところで、次の『続大番 風雲篇』に続きます。
『大番』はテレビでも何度かドラマ化されています。
といっても、もっとも古い渥美清編(1962年)は見ていません。
たぶんVTRは残ってないと思いますが、あればぜひみたいですね。
それにしても、渥美清は、金田一耕助も横溝正史に「イメージがいちばん近い」と言われたそうですし、『泣いてたまるか』では毎回様々な役をこなしていたし、『男はつらいよ』も国民的映画にしてしまうし、山田洋次監督がいつもコメントしていたように、たいへんな才能のある人だったのだろうと思います。
私が見たのは、NHKで放送されていた、左とん平編(1970年)です。友人役が松山英太郎でした。
加東大介も、渥美清も、左とん平も、みんなこの作品でギューちゃんを演じてから、俳優として高い評価を受けるようになっています。つまり、出世作になっています。
大河ドラマ的な長編のため、俳優としても鍛えられるし、観る者もじっくりその俳優の魅力を確認できるからでしょう。
私も、この作品を見て、「ああ、“株屋”になりたいなあ」と思い、証券会社数社に、証券外務員になりたいと履歴書を送るほど本気になったこともあります。……結局なれませんでしたけど。
もう2000字を過ぎてしまいました。とても1度の記事では書ききれない大作なので、『続大番 風雲篇』以降についてはまた機会を見て書いてみようと思います。
ラピュタ阿佐ヶ谷公式サイトより
今更ご紹介するまでもない有名な作品かもしれませんが、四国・宇和島の農村に生まれた赤羽丑之助が、東京の兜町に出てきて、株の売買や取引をする相場師として成功する話です。
モデルは、合同証券(エイチ・エス証券の前身)社長の佐藤和三郎氏といわれています。
脚本は、社長シリーズを書き続けた笠原良三、監督は、のちに東宝が製作する青春学園ドラマの監修などもつとめた千葉泰樹です。
以前、このブログの「『へそくり社長』で千葉泰樹監督が描きたかった“人間への信頼”」で書いたように、この『大番』は、単なる立身出世の話ではなく、内縁の女性・おまきさん(淡島千景)や、適材適所でアドバイスをしてくれる友人・新どん(仲代達矢)らの支援、地元宇和の人々励ましなどで、失敗してもそのままくじけずに再起する場面に力点を置いています。
ことに、待合女中の役だった淡島千景が大変魅力的に描かれています。ギューちゃんは原節子に夢中なのですが、本人が意識しなくても、しっかりギューちゃんの心の支えになっています。
扇千景や淡路恵子が、淡島千景に憧れて芸名を一部頂いたというエピソードもうなずけます。
Google検索画面
ちなみに、淡島千景は、池上本門寺の境内を借りて開校し、今も向かい合う場所に校舎が立っている大田区立池上小学校の前身、池上尋常高等小学校の出身です。
あらすじネタバレ御免
ギューちゃんの歩みは、本作『大番』(1957年、東宝)だけでなく、『続大番 風雲篇』(1957年、東宝)、『続々大番 怒涛篇』(1957年、東宝)、『大番 完結篇』(1958年、東宝)と合計4作にわたって映像化されました。ここでは、『大番』のあらすじを書きます。
容姿にコンプレックスを抱く丑之助(加東大介)は、ラブレターを不特定多数にばらまきますが、地元資産家令嬢の可奈子(原節子)にまで行き渡ってしまい、それが原因で故郷を出ていかなければならなくなります。
私は東京育ちだからわかりませんが、こういうことがあると暮らしにくいのかもしれません。
丑之助は東京に出てきて株屋の小僧になり、少しずつ株売買のノウハウを身につけます。
ノロマで大メシ食いということもあって“ギューちゃん”と言われるようになったのですが、生来の記憶力の良さからメキメキ頭角を現し、芸者遊びなどもするようになって、待合女中のおまきさん(淡島千景)と知り合います。
それでも、理想の女性が可奈子であるギューちゃんは、おまきさんと結婚しようとはしません。
そんなギューちゃんが、友人の新どん(仲代達矢)を歌舞伎座に招待した時、幕間の廊下で可奈子と再会。ところが、それで運気が落ちてしまい、大きく張った相場が五・一五事件で大暴落。全財産を失って故郷にいったん引っ込むところで、次の『続大番 風雲篇』に続きます。
相場師としての成功を演じて俳優としても出世
『大番』はテレビでも何度かドラマ化されています。
といっても、もっとも古い渥美清編(1962年)は見ていません。
たぶんVTRは残ってないと思いますが、あればぜひみたいですね。
それにしても、渥美清は、金田一耕助も横溝正史に「イメージがいちばん近い」と言われたそうですし、『泣いてたまるか』では毎回様々な役をこなしていたし、『男はつらいよ』も国民的映画にしてしまうし、山田洋次監督がいつもコメントしていたように、たいへんな才能のある人だったのだろうと思います。
私が見たのは、NHKで放送されていた、左とん平編(1970年)です。友人役が松山英太郎でした。
加東大介も、渥美清も、左とん平も、みんなこの作品でギューちゃんを演じてから、俳優として高い評価を受けるようになっています。つまり、出世作になっています。
大河ドラマ的な長編のため、俳優としても鍛えられるし、観る者もじっくりその俳優の魅力を確認できるからでしょう。
私も、この作品を見て、「ああ、“株屋”になりたいなあ」と思い、証券会社数社に、証券外務員になりたいと履歴書を送るほど本気になったこともあります。……結局なれませんでしたけど。
もう2000字を過ぎてしまいました。とても1度の記事では書ききれない大作なので、『続大番 風雲篇』以降についてはまた機会を見て書いてみようと思います。
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