『おかしな男渥美清』同年代に生きた喜劇人を渥美清はどう見たか [懐かし映画・ドラマ]
『おかしな男渥美清』(小林信彦著、新潮社)を読みました。かつて放送作家としてテレビ番組に関わっていた著者が、渥美清との付き合いを振り返り、著者と渥美清による、いろいろな喜劇役者についての評価も書かれている興味深い内容です。「おかしな男」と書かれていますが、著者と渥美清とはお互い“手が合う”関係だったことかわかります。
このブログでは、1960年代の東宝喜劇映画(クレージー映画、社長シリーズ、駅前シリーズ)のほか、コント55号の映画、最近は松竹の山田洋次、森崎東、野村芳太郎、旅行シリーズの瀬川昌治監督の作品などを鑑賞して記事にしてきました。
それらの作品名や出演者について、著者や著者の記憶する渥美清の評価が書かれています。
伴淳三郎、森繁久彌、フランキー堺、植木等、ハナ肇、三木のり平、谷啓、犬塚弘、藤田まこと……
テレビでは見たことありませんが、著者によると、渥美清は森繁久彌と谷啓のモノマネが絶品なのだそうです。
三木のり平は、肩の線(なで肩)が、プロにはたまらなくおかしいのだそうです。
コント55号は、萩本欽一を主役に映画が作られていましたが、渥美清は当時から、坂上二郎のほうが役者として残ると見ていたそうです。
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渥美清が、自分が出ていない作品や、出演者についてもきちんとチェックしている努力家であることがわかります。
渥美清の鋭い役者評は実に興味深い。
もっとも印象深いのは、伴淳三郎に対する憎悪ともいうべき渥美清の評価です。
「突然、土蔵から鉄砲を持って出てきて撃ちまくるような親父がいるじゃない? あれだよ」「夜中に、隣との境界線の石を五センチぐらいずつずらして、自分の土地をひろげようとする親父がいるだろう。そういうセコい真似をしておきながら、政治をやるんだ」
自分が役者として時代錯誤の存在であることを自覚していた伴淳三郎は、自分がいつ消えるかコンプレックスを感じていたため、企画やマネージメントなどで自分の存在価値を示そうとしていたというのです。
『あゆみの箱』の立ち上げに深く関わって役員を務めたのも、そのあらわれだったのでしょうか。
それと同じものを感じたのが、ハナ肇だそうです。
渥美清に言わせると、ハナ肇も政治に走るタイプだそうです。
「あの男は第二の伴淳三郎になると思う」「つまりだな。クレイジー・キャッツをひきいた形で、政治をやると思う。植木等の方が人気があるけど、それでも、ハナの方が政治家だ。見ていてごらん、そういう風になってくるから」
ハナ肇については、著者の評価として、こう書かれています。
「演技の才能、ドラマーとしての才能はないのだが、きわめて日本的な(ふところの深い)統率者として振るまおうとしているのが、ぼくにはわかった。才能の不足を人徳で補う利口者というべきか。これは渥美清とは合わないだろう、と思った」
なぜなら、渥美清は、役者について、「狂気のない奴は駄目だ」「それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立してるのが大事なんだよ」という持論を持っているからです。
つまり、人間関係を利用してうまく立ちまわる、サラリーマン的処世術とは対極にいるのが役者なのに、その処世術に走って存在感や権勢を誇ろうという野心を、渥美清は「政治」と唾棄しているわけです。
渥美清は、そのように「政治」を嫌っているものの、役者としては上昇志向が強かったことも、いくつかのエピソードと共に書かれています。
たとえば、当時売れていた、由利徹、南利明、八波むと志の脱線トリオにならって、関敬六、谷幹一とスリーポケッツというトリオで仕事をするチャンスがあったのですが、脱線トリオの二番煎じでは大きくなれないと思ったのか、すぐに脱退しています。
その一方で、別の番組で頼まれると、こっそり平凡太郎、谷村昌彦とボケナストリオを結成したので、関敬六が怒ったというくだりは笑ってしまいました。(ボケナストリオという名前からして笑えます)
歌手のアイ・ジョージのリサイタルに行った時は、自分の宣伝だけして帰ってきたこともあるそうです。
お仲間の仁義もへったくれもなければ、そりゃ、孤立するでしょう。
関敬六は、『男はつらいよ』でレギュラーでしたから、渥美清とは和解したのでしょうが、渥美清が業界の評判がよくない理由がかいま見えたような気がしました。
著者は、渥美清を「こんな話術の天才は見たことがない」と絶賛しています。
間の重視ではなく、車寅次郎の台詞にもしばしば出てくる、ずば抜けたひらめきの「形容」、そして急に古めかしい表現で落とす。その展開が素晴らしいというのです。
たとえば、「烏賊の××××みてえな女だもんな」と形容して、しみじみと、「ああいう女とは、褥(しとね)を共にする気にならないねえ。(ぼくの顔を窺うようにして)……ね?」と唐突に古めかしい表現で語るので笑いが爆発する、と著者は書いています。
ブログ記事の文章の作り方の参考にしたいと思います。
それにしても、渥美清は、自宅やプライベートを、仕事仲間にも絶対に明かさないことで知られていました。
ところが、同書によると、著者は渥美清の自宅に招かれ、プラッシー(当時おコメ屋さんで売られていたジュース)を振る舞われ、夜が明けるまで話をしているのです。
渥美清にとって、実は業界で多少なりとも胸襟を開いて話し合える唯一と言ってもいい相手が著者だったのではないでしょうか。
しかし、著者は、渥美清とは次第に疎遠になり、「政治」に走ったハナ肇の方を選びます。
放送作家から、「放送」のとれた“普通”の作家になった著者にとって、役者の「狂気」と「孤立」を厭わない渥美清の存在は、重い存在になったのかもしれません。
昭和の喜劇役者や映画界についてのウラ話などもふんだんに書かれています。新刊ではありませんが、その分野に興味のある方にはぜひお勧めしたい書籍です。
このブログでは、1960年代の東宝喜劇映画(クレージー映画、社長シリーズ、駅前シリーズ)のほか、コント55号の映画、最近は松竹の山田洋次、森崎東、野村芳太郎、旅行シリーズの瀬川昌治監督の作品などを鑑賞して記事にしてきました。
それらの作品名や出演者について、著者や著者の記憶する渥美清の評価が書かれています。
伴淳三郎、森繁久彌、フランキー堺、植木等、ハナ肇、三木のり平、谷啓、犬塚弘、藤田まこと……
テレビでは見たことありませんが、著者によると、渥美清は森繁久彌と谷啓のモノマネが絶品なのだそうです。
三木のり平は、肩の線(なで肩)が、プロにはたまらなくおかしいのだそうです。
コント55号は、萩本欽一を主役に映画が作られていましたが、渥美清は当時から、坂上二郎のほうが役者として残ると見ていたそうです。
渥美清が、自分が出ていない作品や、出演者についてもきちんとチェックしている努力家であることがわかります。
渥美清の鋭い役者評は実に興味深い。
もっとも印象深いのは、伴淳三郎に対する憎悪ともいうべき渥美清の評価です。
「突然、土蔵から鉄砲を持って出てきて撃ちまくるような親父がいるじゃない? あれだよ」「夜中に、隣との境界線の石を五センチぐらいずつずらして、自分の土地をひろげようとする親父がいるだろう。そういうセコい真似をしておきながら、政治をやるんだ」
自分が役者として時代錯誤の存在であることを自覚していた伴淳三郎は、自分がいつ消えるかコンプレックスを感じていたため、企画やマネージメントなどで自分の存在価値を示そうとしていたというのです。
『あゆみの箱』の立ち上げに深く関わって役員を務めたのも、そのあらわれだったのでしょうか。
それと同じものを感じたのが、ハナ肇だそうです。
渥美清に言わせると、ハナ肇も政治に走るタイプだそうです。
「あの男は第二の伴淳三郎になると思う」「つまりだな。クレイジー・キャッツをひきいた形で、政治をやると思う。植木等の方が人気があるけど、それでも、ハナの方が政治家だ。見ていてごらん、そういう風になってくるから」
ハナ肇については、著者の評価として、こう書かれています。
「演技の才能、ドラマーとしての才能はないのだが、きわめて日本的な(ふところの深い)統率者として振るまおうとしているのが、ぼくにはわかった。才能の不足を人徳で補う利口者というべきか。これは渥美清とは合わないだろう、と思った」
なぜなら、渥美清は、役者について、「狂気のない奴は駄目だ」「それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立してるのが大事なんだよ」という持論を持っているからです。
つまり、人間関係を利用してうまく立ちまわる、サラリーマン的処世術とは対極にいるのが役者なのに、その処世術に走って存在感や権勢を誇ろうという野心を、渥美清は「政治」と唾棄しているわけです。
渥美清は、そのように「政治」を嫌っているものの、役者としては上昇志向が強かったことも、いくつかのエピソードと共に書かれています。
たとえば、当時売れていた、由利徹、南利明、八波むと志の脱線トリオにならって、関敬六、谷幹一とスリーポケッツというトリオで仕事をするチャンスがあったのですが、脱線トリオの二番煎じでは大きくなれないと思ったのか、すぐに脱退しています。
その一方で、別の番組で頼まれると、こっそり平凡太郎、谷村昌彦とボケナストリオを結成したので、関敬六が怒ったというくだりは笑ってしまいました。(ボケナストリオという名前からして笑えます)
歌手のアイ・ジョージのリサイタルに行った時は、自分の宣伝だけして帰ってきたこともあるそうです。
お仲間の仁義もへったくれもなければ、そりゃ、孤立するでしょう。
関敬六は、『男はつらいよ』でレギュラーでしたから、渥美清とは和解したのでしょうが、渥美清が業界の評判がよくない理由がかいま見えたような気がしました。
渥美清の自宅に招かれた!
著者は、渥美清を「こんな話術の天才は見たことがない」と絶賛しています。
間の重視ではなく、車寅次郎の台詞にもしばしば出てくる、ずば抜けたひらめきの「形容」、そして急に古めかしい表現で落とす。その展開が素晴らしいというのです。
たとえば、「烏賊の××××みてえな女だもんな」と形容して、しみじみと、「ああいう女とは、褥(しとね)を共にする気にならないねえ。(ぼくの顔を窺うようにして)……ね?」と唐突に古めかしい表現で語るので笑いが爆発する、と著者は書いています。
ブログ記事の文章の作り方の参考にしたいと思います。
それにしても、渥美清は、自宅やプライベートを、仕事仲間にも絶対に明かさないことで知られていました。
ところが、同書によると、著者は渥美清の自宅に招かれ、プラッシー(当時おコメ屋さんで売られていたジュース)を振る舞われ、夜が明けるまで話をしているのです。
渥美清にとって、実は業界で多少なりとも胸襟を開いて話し合える唯一と言ってもいい相手が著者だったのではないでしょうか。
しかし、著者は、渥美清とは次第に疎遠になり、「政治」に走ったハナ肇の方を選びます。
放送作家から、「放送」のとれた“普通”の作家になった著者にとって、役者の「狂気」と「孤立」を厭わない渥美清の存在は、重い存在になったのかもしれません。
昭和の喜劇役者や映画界についてのウラ話などもふんだんに書かれています。新刊ではありませんが、その分野に興味のある方にはぜひお勧めしたい書籍です。
2015-04-05 00:48
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