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『日本プロレス事件史3』日プロのアントニオ猪木除名事件の真相 [スポーツ]

『日本プロレス事件史 vol.3 年末年始の大波乱』(ベースボールマガジン社)を読みました。力道山の街頭プロレス以来、我が国のプロレスは60年の歴史を積み重ねてきたわけですが、歴史的な大事件の多くが年末に起こっていたので、それらを改めて振り返ってみようという趣旨のムックです。

先日は、『日本プロレス事件史 vol.1 “黄金時代”の光と影』をご紹介しました。

同シリーズは、ベースボールマガジン社が、全12冊の分冊百科として発行しているムックです。

プロレスファンには、毎回興味深いテーマで書かれていますが、中でもこの5冊目に扱っている事件は、今でもぜひ読んでみたくなるミステリアスな事件です。



それは、アントニオ猪木がどうして日本プロレスを除名されたのか、という話です。

ここから、ジャイアント馬場アントニオ猪木が袂を分かちました。

翌年にはジャイアント馬場も退団し、新日本プロレスと全日本プロレスという2団体がしのぎを削る、新しい時代に入ったわけです。

それ自体は、様々な興趣とプロレスの発展にはつながっていると思うのですが、一方で、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が同じリングに立たなくなり、有力レスラーが分散し、ファンからすると不要な企業間戦争なども起こりました。

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事件の経緯


日本プロレス(興業)は、力道山が作ったプロレス興行の会社です。

プロレスファンの私は実際に調べたことがあるのですが、現在も、解散はしましたが清算はされておらず、管財人が監査役になって登記上会社は残っています。

もともと、日本のプロレス団体は日本プロレスだけでした。

昭和40年代後半までは、ジャイアント馬場を日本のチャンピオンとして、アントニオ猪木、大木金太郎、吉村道明、坂口征二らが、主力選手として活躍。

日本テレビの金曜夜8時の中継は、30%の視聴率を叩き出す人気コンテンツでした。

ところが、社内では選手たちが、「血と汗を流している自分たちよりも、幹部の方が給料が高い」と不満を持っていました。

会社の経理には、5700万円(今なら2億円ぐらいか)の「仮払金」と称する莫大な使途不明金があり、ジャイアント馬場やアントニオ猪木は、それを幹部の豪遊であると考えたと同誌では書いています。

アントニオ猪木は、自分の後援会会長とともに会社の「改革」計画を立てましたが、それは現幹部を更迭するものだったので、クーデターであると考えたジャイアント馬場は計画から降り、上田馬之助が長谷川淳三(芳の里)社長に報告。

選手会からも総スカンを食ったアントニオ猪木は、会社乗っ取りのかどで日本プロレスを追われた、という経緯です。

アントニオ猪木の除名を発表した記者会見後、代官山の日プロ事務所では選手会によるビールの乾杯が行われたそうです。

『激録馬場と猪木』第11巻 (東京スポーツ新聞社)より
『激録馬場と猪木』第11巻 (東京スポーツ新聞社)より

後になって、猪木は悪くなかったのではないか、という話も出てきてはいるのですが、いずれにしても、不明朗な会計が、事の発端だったことだけは事実。

当時の三澤正和・日本プロレス経理担当部長は、「日本プロレス興行株式会社のライフラインに抵触する金だ」(ユセフ・トルコ『プロレスへの遺言状』河出書房新社)とだけ述べていますが、同誌では、「暴力団への献上金」の類ではないか、という説が有力」と説明しています。

だとすると、ダラ幹なんていわれていますが、少なくとも当時の幹部を一掃する必要があったのか、という点が今も疑問です。

誰に何の責任があり、どの点が免職に値するか、という具体的な指摘がない「改革」は、やはりクーデター以外の何物でもないでしょう。

アントニオ猪木の「自分がトップに立ちたい」という野心を、後援会の会長が利用して会社経営に食い込もうした、という面は否定できなかったのではないか、という気がします。

ぜひ、ファンの方々に読んでいただきたい事件です。

日本プロレス事件史 vol.3 年末年始の大波乱 (B・B MOOK 1125 週刊プロレススペシャル)

日本プロレス事件史 vol.3 年末年始の大波乱 (B・B MOOK 1125 週刊プロレススペシャル)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ベースボール・マガジン社
  • 発売日: 2014/11/17
  • メディア: ムック


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