『日本プロレス事件史11』(ベースボール・マガジン社)を読みました。例によって「プオタ」まるだしですが、60年の歴史を積み重ねてきた我が国のプロレスにおける、歴史的な大事件を改めて振り返ってみようという趣旨のムックをご紹介します。今回は、「団体対抗戦」についての功罪をまとめています。
このブログではとり上げませんでしたが、先月号の『実話BUNKAタブー』という月刊誌では、プロレスマニア、とりわけ昭和プロレスのマニアについて、「
過ぎ去った過去の裏話が出ていると、穴が空くほど熱心に読む」と、コバカにしたようにかかれていました。
ですがそれは……
全くその通りです(笑)
アントニオ猪木は、なぜ日本プロレスを除名になったかとか、
ジャイアント馬場は独立するときどうして坂口征二を連れて行かなかったかとか、プロレスに興味のない人はもちろん、現在のプロレスファンにとっても、別に今更どうでもいいことですよね。
でも、その「真相」が書かれているなんて宣伝されていると、喜んで本を買ってしまうものです。
そもそも、そんな昔の話、
新事実なんて今更容易に出てくるものではないとわかっていて、げんに本を買ってみると、だいたい知っていることしか書かれていなくても、たしかに「穴が空くほど熱心に読」んでいます。
もう救いようがないですね(汗)
プロレスが当時のほうが面白かったことと、昭和の価値観や文化に触れることができるのも魅力なんでしょうね。
さて、これまでも何度かご紹介してきた『
日本プロレス事件史』シリーズは、今回で11冊目となります。
【日本プロレス事件史関連記事】
・
視聴率歴代4位だったプロレス中継“WWA世界選手権”の真実
・
『日本プロレス事件史3』日プロのアントニオ猪木除名事件の真相
・
『日本プロレス事件史』(Vol.1)新日本プロレスV字回復の理由は?
今回のテーマは、「
対抗戦」。
プロレス団体というのは、普段はその団体の所属選手による対戦カードを組んで興行を行いますが、
他団体の選手とのカードをその日の興行の目玉とすることです。
たとえば、AプロレスとBプロレスが「対抗戦」と称して、どちらかの団体の主催興行、もしくは合同興行として、Aの所属選手とBの所属選手が対戦するわけです。
試合としては、意地と団体のメンツがかかっている、まさに「対抗戦」ですが、興行的には、これは実は対抗ではなく「
交流戦」もしくは「
合流戦」なのです。
つまり、普段なら組めない新鮮な他流試合を、団体の意地とメンツがかかっていると宣伝できるわけですから、
話題性があって集客が普段よりも容易になるわけです。
Aプロレスでまず「対抗戦」を行い、因縁が終わらないようにして、今度はBプロレスで対抗戦第2弾を行えば、
両団体とも潤うわけです。
また、Aだけが主催して、Bは選手を派遣するだけの場合でも、Aが全国ネットのテレビ放送などを行っていれば、Bは所属選手を全国のテレビ局に登場させるメリットがあるわけです。
本書では、
1.新日本プロレスと全日本プロレスの「ベルリンの壁」が壊れたといわれた、全日本プロレスの選手貸出による東京ドームの対抗戦(1990年2月10日)
2.全日本プロレスと国際プロレスの1970年代前半の対抗戦、そしてその後の新日本プロレスと国際プロレスの対抗戦
3.力道山と木村政彦の戦いを含む、日本プロレスと国際プロレス団の対抗戦
などについて振り返っています。
スポンサードリンク↓
対抗戦は劇薬
対抗戦については、上記のような「いいこと」もありますが、一方で
劇薬ともいわれています。
なぜなら、それを行ってしまうと、従来の興行がマンネリ化のイメージを抱かるを得ず、対抗戦以降の
盛り上げのハードルが高くなってしまうことと、対抗戦を続けるにしても、過去にない新鮮なカードをその都度提供しなければならなくなってしまうことがあるのです。
また、過去には、所属の有力選手を他団体のリングに出したら、その団体の居心地が良かったらしく、そのまま移籍されてしまったこともあります。
何より、そこで
団体間の強弱がわかってしまうと、「弱」の団体にとっては命取りになってしまうということです。
たとえば、上記の2の
国際プロレスですが、本書(著者は流智美氏)によると、
全日本プロレスとは協調路線として選手を貸し出したり、対抗戦を行ったりした当初は格上だったのに、いつのまにか全日本プロレスと力関係が逆転。
新日本プロレスとの対抗戦に至っては、格下扱いが誰にもわかるはっきりとしたものに終わり、結局それが命取りとなり、同団体は崩壊してしまった、としています。
プロレス興行とは違いますが、政治の世界の「
連立」にも似たようなところがありますね。
与党のブレーキになるという「
対抗」を建前として、実は与党のウマ味を得たいという「
交流」精神で、
少数野党が自由民主党を補完する連立政権がこれまでいくつも誕生しました。
自由民主党と新自由クラブ
自由民主党と日本社会党と新党さきがけ
自由民主党と自由党
自由民主党と自由党と公明党
自由民主党と公明党と保守党
あの民主党政権も、社民党と国民新党との連立ということになっていましたね。
で、公明党と社民党以外は、
自由民主党に手を突っ込まれて解党してしまいました。
劇薬というより、毒まんじゅうだな(笑)
もともと、それらの少数野党は、未来のビジョンもなく、与党になったことで目的を達成したのかもしれませんが、与党になるだけの支持も組織力もないくせに、他人のフンドシでいい思いをしようとした了見が、有権者に見透かされたともいえるわけです。
話を戻すと、上記1の全日本プロレスは、他団体とはいえ、せっかくの東京ドーム大会を成功させてやりたいという
広い心と、一方でもし新日本プロレスが不穏なことをしたら、選手を全員引き上げさせるという
緊張感という両方の意識を持って対抗戦にのぞんだそうです。
それをもっていたかどうかが、同団体が新日本プロレスに飲み込まれず、国際プロレスが飲み込まれてしまった分かれ目だったのでしょう。
その意味で本書には、
異なる企業同士で合同プロジェクトを行うときなどに、参考になる話となるかもしれません。
Facebook コメント