『何度だって闘える』サンダー杉山、幼い頃に心を読み徳を積む [スポーツ]
『何度だって闘えるーサンダー杉山物語「一片の悔いなし!」』(安藤千絵著、名古屋流行発信)を読みました。新刊ではないのですが、先日のこのブログの記事でサンダー杉山(1940年7月23日~2002年11月22日)を取り上げた時には、十分にご紹介できなかったので、同書について改めて書いてみたいと思います。
Google検索画面より
『何度だって闘えるーサンダー杉山物語「一片の悔いなし!」』は、タイトル通り、元プロレスラーで、名古屋の実業家だったサンダー杉山・杉山恒治氏について、その生涯を書いています。
同書は、ある程度サンダー杉山について知っているプロレスファンからすると、サンダー杉山の記憶違いか、著者の調査不足かはわかりませんが、時系列や出来事の解説に、一部「あれ?」と思うところもあります。
が、プロレス雑誌では書かれなかった、サンダー杉山の幼少の頃の苦労や、晩年の病気とのたたかいなども触れているので、全体としては大変興味深い読み物であると思います。
このブログでは、サンダー杉山が生まれた日である7月23日に、優秀な柔道家であり、レスリングでは東京オリンピックに出場。プロレスラーとして、実業家としても成功したと書きました。
サンダー杉山、縁と信念を大切にした天才格闘家の人生
その背景には、サンダー杉山の育った家庭環境が大きく影響していると同書には書かれています。
裕福な家庭でもハングリー精神を養った
サンダー杉山は、同書が言うところの「脇腹の子」でした。
子宮外妊娠という意味ではありませんよ。
「妾腹」。すなわちお妾さんの子どもという意味です。
その後、本妻の家庭に引き取られ、本妻や腹違いの兄(15歳上)にいじめられる、という誰もが予想できる幼少期を過ごします。
父親は会社をいくつも持つ金持ち。本妻のところに引き取ったぐらいですから、裕福な家庭であり、サンダー杉山を可愛がりましたが、そのくせに贅沢はさせませんでした。
たとえば、美味しいものは父親が自分で食べて、お小遣いも、働いたら与えるようにしました。
それによってサンダー杉山は、裕福な家庭に育ちながら、自分で稼ぐことが大切であるというハングリー精神を身につけました。
腹違いの兄は空手を習っており、ガキ大将だったサンダー杉山でも勝てませんでした。
その兄に勝つには、自分も強くなりたいとサンダー杉山は考えました。
父親も、サンダー杉山が喧嘩に負けても、「強ければ勝てる」と突き放しました。
そこで、サンダー杉山は柔道を始めました。そこから、レスリング、プロレスとアスリート人生が始まるのです。
『東京スポーツ』(2010年5月26日付)より
父親が亡くなった時、遺産分割協議で、非嫡出子のサンダー杉山は、腹違いの兄の30分の1しか相続できませんでした。
しかし、ハングリー精神に欠ける兄はすぐに財産を食いつぶし、サンダー杉山はいくつもの会社を経営する名古屋でも有数の実業家になりました。
このへんまでは、逆境を糧とした成功話として、あり得る展開だなとは思います。
が、もうひとつ、たぶん私だったら絶対そうはならなかっただろう、ということがあります。
合わない人をいかにして味方にするか
サンダー杉山が大学生の頃、もう本妻と一緒には住んでいなかったのに、サンダー杉山と、岩室というレスリング部の友人と、本妻は、麻雀卓を囲む間柄だったそうです。
普通、なさぬ仲でうまくいかなかったら、途中で家をでてしまうか、少なくとも独立した時点で「それっきり」になりますよね。
やっと別れてセイセイしているのに、誰が、麻雀なんかやってゴキゲンを伺うもんか、なんて思います。先方だってそうでしょう。
でも、プロレスラーとして、タレントとして、実業家として成功したサンダー杉山の処世術は、そうではなかったのです。
恒治と岩室は、恒治の義母(父・辰道の本妻)と三人でよく麻雀をしていた。
子供の頃相当いじめられた義母であるが、大学時代に仲良く麻雀をしていたというのは、恒治の人徳のなせるワザである。不遇な環境で育った彼は、大人の顔色を見て動くことでしか自分を守る術がなかった。そんな彼が身につけた術は、常に相手の心を読むことであった。恒治はその能力がとても秀でていた。義母との長い付き合いの仲で、彼女が何を望んでいるかを察し、それに応じた行動をとる。それも、彼が後に成功した一つの要因であったかもしれない。彼は、どんな人問にも可愛がられるという徳を持っていたが、幼い頃の複雑な人間関係が彼にそれを与えた。そんな恒治に義母も次第に心を許していったのだ。
嫌な奴がいる。さて、どうするか。
付き合わなければいい? 喧嘩別れ?
でも、そこからは何も生まれません。
サンダー杉山は、相手とうまく行かなければ、相手から自分を求めてもらうような関係にすることで、解決しようとしたわけです。
本妻は、いったん心を許すと、当時は高級品だった、カツ丼や天丼などを彼らにごちそうしたそうです。
喧嘩して何も残らないより、カツ丼を食べた方がいいし、人間関係は繋がっていれば、そのつながりをたどることで、自分が困ったときに救いの手が差し伸べられる道筋になり得るかもしれません。
人の輪や、人脈といったものは、そうやって有機的に広がっていくものなんでしょうね。
世の中はいろいろな人がいますから、逆に関わることで、痛い目にあう場合もあります。
ただ、このサンダー杉山の、「どんな人問にも可愛がられる」生き方なら、たとえ痛い目にあっても、またそれを助けてくれる人が出てくるのかもしれません。
サンダー杉山が、具体的に、どんな方法で「どんな人問にも可愛がられる」ようになったかについては、もう2000字を過ぎてしまいましたので、また別の機会に書いてみたいと思います。
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