今日は、久しぶりに「村野武範」というトピックのタイトルを見かけたので、なんだろうと思ったところ……何とステージ4の中咽頭がんを治療していたという話でした。私の子供の頃の青春スターだった人が、そのような経験をするのは時の移ろいを感じます。
村野武範が一昨年の5月、首の小豆大のしこりに気づき診察を受けたところ「風邪」といわれたが、別の病院で診察を受けたら「ステージ4で余命いくばくもない」中咽頭がんと診断され、陽子線治療で復帰した、という話です。
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「一度は風邪と診断」村野武範、がん治療告白
このニュース、考えさせられたことが2点です。
1.セカンドオピニオンの大切さ
2.治療を諦めないこと
しこりがあるのに、何の検査もしないという最初の診察は疑問と戦慄ものですが、医師も人間ですから、そういうこともあるかもしれません。
問診で、自覚症状がうまく伝わらなかったのかもしれません。
納得いかないことがあったら、後悔しないよう納得いくまで調べる、というのは大切だと思いました。
私がよく聞くのは、
セカンドオピニオンは同じ科の医師にしないこと
診断の確認だけでなく、治療方法の選択肢も調べるためです。
たとえば、最初内科医に診てもらったら、次は放射線医にするとか、別角度からの治療があることを知っておくのです。
そして、治療を諦めないこと。
ピンピンコロリなんていいますが、実際にそのような人生の終わり方をする人は、まずいません。
たとえ高齢でも、重篤な病気になれば、姑息治療や対処療法も含めて、何らかの処置は受けるはずです。
ただ、問題は、
どうすればそうした医師の診察や高度先進医療をうけることが出来るの?
ということですね。
私の場合は、というか火災で意識障害になった私の長男の場合は、通常の病気や怪我と違い情報が少なかったので、ネットに出ている「遷延性意識障害からの回復例」という報告にある
全国の医師に、片っ端から治療をお願いしまくりました。
それだけでなく、関連書籍を出している著者にも連絡を取りました。
長男が入院している病院の、ソーシャルワーカーに間に入ってもらったこともありました。
その結果、おかげさまで、その世界では第一人者といわれている、医師や看護学者のアドバイスや診察を受けることができました。
ただ、私のとった行動は、セールスで言えば飛び込みドブ板営業と同じですから、同じことをしたからといって、必ずしも適切な施術者と出会えるとは限りません。
やはり、日頃から人脈とか情報ネットワークを持っている人にはかなわないですよ!
打算的に聞こえるかもしれませんが、どうせ人付き合いをするなら、そういうことも意識した方がいいんだろうなあと思いました。
みなさんは、いざというときのネットワーク、ありますか。
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時は移ろう
村野武範というと、私はやはり青春学園ドラマの『飛び出せ!青春』(1972年2月20日~1973年2月18日、東宝/日本テレビ)の河野先生を思い出します。
『飛び出せ!青春』より
1965年~1981年まで、主役の先生と設定を変えて続いた、日本テレビの青春学園ドラマの中でも、最高傑作といわれている作品です。
脚本は鎌田敏夫でした。
私の学園生活とリンクしたのは、最後の方の中村雅俊が主演だった頃ですが、『飛び出せ!青春』は子供の頃見ていても面白かったですね。
青い三角定規のテーマソングや劇中歌も良かった!
石橋正次、頭師佳孝、保積ペペ、剛たつひと、森川正太、火野正平、水谷豊……
生徒役が、子役出身で出来上がった人ばかりで、みんなで無名の村野武範を支えている感じでした。
村野武範もそう思ったか、人とのつながりを大切にし、別のドラマで若い俳優を探していた岡田晋吉プロデューサーに、文学座研究生後輩の松田優作を推薦。
そして、松田優作は一期後輩の中村雅俊を推薦し、以後宮内淳、山下真司、渡辺徹、又野誠治など、青春学園ドラマや刑事ドラマ『太陽にほえろ!』などの日本テレビのドラマに、文学座の若手が続けざまに出演のチャンスを獲得しました。
村野武範は、本名を三浦というのですが、もともと戸籍は村野だったのに、配偶者の名字を名乗ったんですね。
理由は、配偶者の両親が、三浦姓を名乗ったら家を建ててくれると約束したからとか(笑)
公務員官舎で育ち、自分は食えない新劇役者の村野武範にとって、家が魅力だったそうです。
個人的な好みですが、実利的な理由の前には、旧弊な家制度も気にしない村野武範にはシンパシーを感じました(笑)
村野武範には、これからも元気で頑張っていただきたいですね。
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