三原葉子という、1960年代に活躍した女優が亡くなっていたという記事が、『日刊ゲンダイ』(2016年2月22日付)に出ていました。ネットを「三原葉子」で検索すると、まるで現役の女優のように関連ページが沢山出てきます。つまり、それだけファンが多いのでしょう。(上画像は『日刊ゲンダイ』(2016年2月22日付)より)
三原葉子訃報の記事を書いているのは、映画ジャーナリストの大高宏雄氏です。
大高宏雄氏によると、ネットでは、「最近死去の報が流れ、話題になっていた」そうですが、例によって、長い時間パソコンをいじっている割に大切な情報を見逃す私は、今回も三原葉子訃報に気が付きませんでした。
三原葉子のポジションは、いわゆるセクシー女優でした。
記事から引用します。
日本映画の表通りを歩いて、マスコミの注目を浴びたわけではない。演技力を競い合う映画賞とはまったく無縁だった。映画からテレビに移り、個性派として花開いたわけでもなかった。
にもかかわらず、ある年代の人たちには、大女優たちと遜色ないほど影響を与えたに違いないと思える。
三原葉子が活躍したのは、新東宝という会社です。
私が映画を見始めた頃は、もう名画座でしかお目にかかることができず、70年代に入ってテレビには時々出てきたのですが、すでに40歳を過ぎて露出も控えめになっていました。
三原葉子は、ヘアヌードなんてない時代に、肉体を売り物とする女優として先駆的な役割を果たしたとともに、その肉感的な体は60年代の「いい女」の典型でもあったのだろうと思います。
我が国の女性のスマート志向は、1967年に来日したツィッギーの影響が大きいと言われます。
が、それは、欧米から10年遅れて入ってきた流行と言われ、いわゆる「スウィンギング・ロンドン」以前の流行は、国内外とも、膨よかな胸、腹、尻、そして白い肌などにありました。
その要件を満たしたのが、三原葉子だったのです。
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60年代後半からは「服を着た役」へ
過去に、三原葉子が出ている映画は、このブログでも何本かご紹介しました。
セクシー女優と書きましたが、艶技、露出なしの主婦役も過去にはあります。
渥美清と藤岡琢也のスリコンビの友情を描いた『つむじ風』(1968年、松竹)で、藤岡琢也の妻役を演じています。
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『白昼堂々』渥美清と藤岡琢也、スリ・コンビの友情を描く
1960年代の東宝を支えた、きわめて日本的な喜劇映画である、喜劇駅前シリーズの『喜劇駅前温泉』(1962年)では、伴淳三郎が経営する温泉旅館で、客の背中を流す女性として出演しています。
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『喜劇駅前温泉』1960年代岩代(磐梯)熱海が舞台のご当地喜劇
『喜劇駅前温泉』より
露出はワンピース水着なので、控えめですね。
『喜劇駅前温泉』より
同じ、喜劇駅前シリーズの『喜劇駅前飯店』(1963年)では、普通に洋服を着た役でした。
テレビでは、『プレイガール』(1969年4月7日~1976年3月29日、東映/東京12チャンネル→テレビ東京)にしばしば出演しました。
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『プレイガール Premium Collection』は昭和の“月9”ドラマ
たとえば、第75話『男殺し裸の牝猫』という、片山由美子がレギュラー入りした話。
『男殺し裸の牝猫』より
遺産の話し合いで実家に戻って来た次女を演じています。
長女とは、服をはだけた喧嘩になるのですが、お色気ドラマとしては、おとなしいシーンです。
こんな感じで、私が映画やドラマを見るようになってからは、すでに三原葉子の全盛期ではなかったのだと思いますが、それだけに、では全盛期はどうだったのだろうと、気になっています。
三原葉子さんの、生前のご遺徳をお偲び申し上げます。
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