『祭りの準備』ある田舎の日常的な出来事を描いた青春映画 [懐かし映画・ドラマ]
『祭りの準備』(1975年、ATG)を、約30年ぶりに鑑賞しました。「ある田舎の日常的な出来事」を描いた青春映画です。ATG映画で、商業的な目的もあると思いますが、だいぶ際どいシーンも含まれており、以下のレビューについては、一応性的描写の場面は言葉を選びつつ表現しております(汗)(画像は劇中より)
高校の頃、私は映画研究部に入っていたのですが、『祭りの準備』は部の鑑賞指定映画でした。
そこで、東京・自由が丘の“名画座”に、同学年の部員たちと放課後、観に行きました。
今のように、ネットで情報を簡単に検索できる時代ではないので、どんなストーリーかも事前に調べずに観たのですが……。
当時売出し中だった竹下景子が、主演の江藤潤と睦み合い、バストまでアップで映るシーンにびっくり。
部員たちと、「ほのかな恋心まで抱いていたのになあ……」と、ボヤきながら帰ったことを覚えています。
そうでなくても、『祭りの準備』は、全体を通して性的描写が執拗に繰り返されています。
そして、本妻と愛人が平気で顔を合わせて、「○○やん」と呼び合っているのです。
狭い田舎ってそんなもんなのでしょうか。
性のエピソードがふんだんに出てくる作品なら、たとえばこのブログでは、『どですかでん』をご紹介したことがあります。
『どですかでん』人生は貧富や倫理で幸福か否かは決まらない!?
『どですかでん』は、若い妻が夫以外の子供ばかり作ったり、仕事仲間が夫婦交換したり、貞淑なはずの妻が間違いを犯したり、女性の登場人物の殆どがなぜか肉感的でミニスカートだったりするのですが、ヌードや睦み合いシーンが全くないので、ストーリーに没頭できました。
それで十分なのに、『祭りの準備』は、わざわざ杉本美樹のバストに夢中になる原田芳雄をアップで映しています。
なぜ多感な高校生が、部活動の一環として鑑賞しなければならない作品なのか、部長の真意が理解できませんでした。
まあ、直接真意を聞いたことはないので、それは今もって解決していないのですが、要するに映画は、
倫理や常識に埋没せず人間や社会を描ききっているかどうかを観ろ
という意味での“試練”だったのかな、という気がします。
田舎の日常「性」活を描く
物語は、母親・馬渕晴子、舅・浜村純、息子・江藤潤の沖一家と、向かいの、姑・水戸部スエ、長男・石山雄大、その妻・杉本美樹、次男・原田芳雄、長女・桂木梨江の中島一家が中心に展開します。
舞台は、高知県高岡郡四万十町あたりです。
息子(江藤潤)は、信用金庫に勤めながら、夜はシナリオを書いて、いつか東京に出たいと思っていました。
気が弱く、とても相性はいいように見えないのですが、いつも中島の次男(原田芳雄)にからかわれても、文句も言わず付き合っています。
息子(江藤潤)の人の良さと、田舎の閉鎖的な人間関係が伺えます。
父親(ハナ肇)は、愛人を2人(真山知子、絵沢萌子)持ち、自宅に帰ってきません。
中島の長女(桂木梨江)は、大阪に出ていましたが、ヤクザに薬で働かされ、薬毒から知的な障がいに陥って戻ってきました。
中島の長男(石山雄大)は、軽微な罪で懲役をうたれると、次男の原田芳雄がさっそく長男妻(杉本美樹)の寝床に入ってきます。
長男妻(杉本美樹)は、最初は「盗人兄弟」などと罵っているのですが、原田芳雄が意に介さず着物をはがすと、杉本美樹は罵るのをやめて原田芳雄にしがみつきます。
中島の長女(桂木梨江)は、毎晩フラフラ海岸まで出歩くので、その都度、町の若い者(阿藤快)たちは、善悪の判断もつかない彼女と関係します。
沖の息子(江藤潤)は、片思いの涼子(竹下景子)との関係がうまくいかず、ムシャクシャして海岸まで行ってパンツを脱いで中島の長女(桂木梨江)のもとに飛び込みますが、祖父(浜村純)に邪魔され、今度は祖父(浜村純)がのしかかります。
その10ヶ月後、中島の長女(桂木梨江)は出産。
祖父(浜村純)は、自分が母子の面倒を見ると張り切っていましたが、出産と同時に毒が抜けて正気に戻った長女(桂木梨江)は、祖父(浜村純)を「爺さん」と忌み嫌い、祖父(浜村純)はショックで自殺します。
涼子(竹下景子)は、夢中になっていた男に振られたことで、今度は沖の息子(江藤潤)に狙いを定め、さっそく関係します。
息子(江藤潤)の宿直にも訪ねてきて、アルコールの灯りがひっくり返るほど激しく睦み合い、その結果火事を出し、上司(犬塚弘)から大目玉。
息子(江藤潤)は、処女でない涼子(竹下景子)に幻滅し、また信用金庫にも居づらくなったことで、かねてから希望していた東京行きを決意します。
誰にも知らせず駅まで来ましたが、そこで、強盗殺人をやらかして追われていた原田芳雄とバッタリ。
最初は金の無心をされましたが、東京に行くことがわかると、原田芳雄はカネを返し、自分は目立ってはいけないのに万歳をして見送ってくれました。
普段、自分にきつくあたって、どうも合わないと思っていた人間が、あるとき、すごくありがたい存在になることは現実の生活でもよくあることです。
ストーリーに迫力や感動があるわけではありませんが、原田芳雄の最後の「万歳」で、何となく救われる気がしました。
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