マティ鈴木というレスラーをご存知ですか。東京大田区の池上本門寺では、弔い上げが過ぎても、昭和の英雄、力道山の墓に人が訪れています。『写真集・門外不出!力道山』(集英社)では、そのマティ鈴木が存命の“弟子頭”として力道山のエピソードを語っています。
去る日曜日は、長男のリハビリを兼ねた散歩ですが、天気がいいので2週間ぶりに
池上本門寺へ。
まずは階段のぼりからですが、
高次脳機能障害にとって、池上本門寺の階段は登りにくそうです。
『28歳意識不明1ヶ月からの生還』の著者と同じで、バランスの悪さと、右目と左目の像が合わない「複視」などの後遺症があるのでしょう。
⇒
『28歳意識不明1ヶ月からの生還』硬膜外、硬膜下出血から生還
とくに同じような石が積まれて作られている池上本門寺の階段は、苦手なようです。
元
植物人間(遷延性意識障害)からの生還として考えると、手すりや杖を使わず階段を上れることだけでも「上出来」と見なければならないのかもしれませんが……
いつもは、上りきるとすぐに下りるのですが、今日は何となくそのまま墓場へ。
大田区の名所化している
力道山の墓です。
命日でもなく、50回忌を過ぎて「遠い先祖様」になった力道山の墓ですが、春休みということもあり、この日も見物に来た人が家族連れなど何人もいました。
力道山が、生前から日蓮宗の檀家だったのかどうかはわかりません。
ただ、当時の力道山の自宅は、池上本門寺と道路を隔てたところにある、都営浅草線西馬込操車場のあたりにありました。
久しぶりに力道山の墓を見た「昭和プロレス者」の私は、その余韻で、さっそく力道山の写真集『写真集・門外不出!力道山』を見ました。
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人間は弱いが、やればできないことはない
『写真集・門外不出!力道山』は、タイトル通り、プロレスマスコミではあまり使われたことのない、力道山の公私にわたる写真と、存命の力道山の弟子で最古参になる
マティ鈴木と、力道山の長男の百田義浩氏のインタビューが収録されています。
写真ももちろん見応えがありましたが、私が興味深かったのは、
マティ鈴木のインタビューです。
『写真集・門外不出!力道山』より
プロレスファンでない方には、「誰?」かもしれませんが、昭和プロレスのファンなら誰もが知っている有名なレスラーです。
マティ鈴木は、1974年12月2日の鹿児島県立体育館。ジャイアント馬場が、日本人として初めて“世界最高峰”だったNWA世界ヘビー級選手権を、ジャック・ブリスコから奪った試合のセコンドについていました。
ジャイアント馬場が、河津掛けから河津落としでフォールの体勢に入りましたが、ジャック・ブリスコはカウント2で返します。
すると、マティ鈴木は、エプロンからマットを3回叩いて、「カウントが遅いぞ」とジョー樋口レフェリーにアピール。
日本テレビの清水一郎アナは、「
悔しがる、マティ鈴木」と実況しました。
この試合は、プロレス史的に大変大きな試合で、プロレス関連番組にかぎらずそのVTRが何度も使われるのですが、そのたびに「悔しがる、マティ鈴木」も流れるわけです。
マティ鈴木こと鈴木勝義は、私の地元にある日体荏原高校で野球部に所属。
力道山は、当時、プロレスやボディビルやボクシングなど、総合格闘技的なジムを開いていて、そこに体を鍛えに来たマティ鈴木は、力道山に目をかけられ日本プロレスに入門します。
当時のプロレスというと、相撲崩ればかり集まるイメージがありますが、力道山は野球好きで、ヒロ・マツダ(荏原)、ジャイアント馬場(元巨人投手)、マシオ駒(早稲田実業←王貞治とチームメイト)など、選手のスカウトには野球のチャンネルも持っていたのです。
マティ鈴木は、存命の最古参弟子として、力道山についていろいろ語っています。
とくに印象的だったのがこの件です。
「63年12月8日、力造山が刺されましたよね。(中略)すぐさま私は、看護婦さんに力道山の状態を開きました。
その時、彼女は“大丈夫ですよ”と答えつつ、力遺山がこんなことを呟いていたと教えてくれたんです」
力造山は、どんな言葉を呟いたのですか。
「たった、一言。『人間は、弱い……』
私は力道山のイメージの問題もありますから、その看護婦さんにこのことは今後いっさい、他言無用ときつく口止めしましたけれどぬ」
実に重たいですね、その言葉は。
「ええ。重たいです。その言葉は今でも私の心の奥底に深く刻まれていますね。
それと、生前、力道山が私に『牛乳屋(マティ鈴木のこと)、お前、体が小さくて悩んでいるみたいだが、関係ねえよ。好きなんだろう? プロレスが。だったら、レスラーになれよ。人間はな、やればできねえことはねえぞ』と言ってくれましてね」
マティ鈴木は、プロレスラーとしては小柄(178センチ)ですが、日米を股にかけて19年間活躍。
引退後は、アメリカ・オレゴン州で実業家として成功しました。
レスラーとしても、人を使う経営者としても成功したのは、『人間は、弱い……』『人間、やればできねえことはねえぞ』という相反するふたつの言葉が、自分を支えているのだと痛感したとマティ鈴木は本書で語っています。
人間は無謬でも万能でもないが、努力は裏切らない、ということかもしれませんね。
勉強になりました。
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