『まあだだよ』(1993年、大映・電通・黒澤プロ/東宝)を観ました。黒澤明監督の50周年・通算30作目にあたるこの作品は遺作でもあります。晩年は、かつてのファンによっては首を傾げる作品を世に送り出していた黒澤明監督ですが、その最たるものが、この『まあだだよ』ではないでしょうか。(画像は『まあだだよ』より)
内田百閒という、法政大学のドイツ語教師から随筆家になった実在の人物の話です。松村達雄が演じています。
映画では、文士として身を立てる決意をして大学をやめるところから、喜寿のお祝いも兼ねた、教え子たちが先生の健康長寿を祝って集う「摩阿陀会」までが描かれています。
内田百閒先生は、教室内で学生たちがたばこを吸っていても懲罰は与えません。
しかし、いけないことに目をつぶるという意味ではなく、戒めながら別の話題に移ることで、講義の空気を壊さず、学生たちには反省も促します。
学生の一人(
吉岡秀隆)は、そんな先生を親子二代にわたって慕っていると表明します。
内田百閒先生は職を辞した後も、井川比佐志、油井昌由樹、所ジョージ、寺尾聡ら、先生を慕う門下生たちが集まり、鍋を囲み酒を酌み交わしたり、先生が空襲で家を失うと新しい家を見つけて引っ越しを手伝ったりします。
『まあだだよ』より
近所の人たちも何かと気にかけて、夫妻がかわいがっていた野良猫の「ノラ」がいなくなると、教え子たちが探しまわるだけでなく、魚屋の娘(鈴木美恵)や酒屋の御用聞き(頭師佳孝)が差し入れたり、巡査(板東英二)が家出人を捜査するように事情を聞きに来たりします。
ここで、『どですかでん』のロクちゃんが登場しますが、御用聞き役で台詞は一言。
『どですかでん』人生は貧富や倫理で幸福か否かは決まらない!?
『どですかでん』より
声で分かりましたが、後ろ姿で顔すらきちんと見えない端役でした。
教え子役では出られなかったのでしょうか。
野良猫がいなくなってがっかりしていた先生ですが、妻(香川京子)が別の野良猫の面倒を見ているうちに、だんだん先生もその野良猫に愛情が湧いてきて立ち直ります。
そして、喜寿のお祝い。たくさんの教え子たちやその家族が出席するなか、中央の席には内田百閒先生をはさんで、前出の4人の教え子たちのほか、ホームドクターの教え子(日下武史)、住職の教え子(小林亜星)などか出席しています。
その他、教え子だった学生たちの主な顔ぶれは、岡本信人、頭師孝雄(頭師佳孝の実兄)、平田満などもいます。
その場で飲み過ぎたのか、興奮したのか、先生はよろけてしまい、早めに退席するのですが、「好きなことを見つけなさい」と教え子の孫達に先生らしい言葉を残します。
そして、教え子たちに介抱されて自宅の布団で休む先生は、「まあだだよ」とかくれんぼをしていた子供の頃の夢を見て映画は終わります。
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観た感想
一言で述べれば、安心して観ていられるのんびりとしてあたたかな作品です。
自由で純粋な精神をもった内田百閒先生を、大したストーリーもなく、妻も、教え子も、近所の人達もみんなが慕っているという話です。
どうして慕うようになったのか、という個々のエピソードはなしに、みんなが慕うようになってからのことだけが描かれています。
ドラマや映画で、悪役・敵役に主人公がやられそうになったり、また主人公が悩んだり失敗したりするシーンを観ていて、はやくそれを解決してハッピーエンドになればいいのに、とハラハラすることがあります。
それが一切ないので、安心して観ていられます。
ハラハラが嫌な人にとっては、理想の作品です。
ただし、物足りないといえば物足りない。というより、決定的な失敗作と思う人もいるかもしれません。
なぜかといえば、物語の醍醐味というのは、やはりその「ハラハラ」にあるからです。
“切った張った”のないホームドラマでさえ、家庭内の波風でハラハラが常にあります。
この作品は悪役が一切出てきません。
黒澤明作品では、賛否両論ある(私は賛です)『どですかでん』にも、悪役は一切出てきません。
ただし、全員が変人でした。
もとい、「変」なところにスポットを当てていました。
ですから、いちいち人と人との衝突を作らなくても、ストーリーが転がったのです。
きっと、黒澤明監督は本作が遺作になることを意識して、黒澤明監督自身の理想の師弟関係、人間関係を、いっさいの不純物やよけいな前置きなしに描きたかったのでしょう。
大作とか、観る者の心を打つとか、そういう野心も一切なく、“最後のわがまま”としての作品だったんじゃないかと思います。
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