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『音羽事件』そして『喜多嶋舞事件』いつも大衆は…… [社会]

空

『音羽幼女殺害事件ー山田みつ子の「心の闇」ー』(青春出版社)。先月31日に亡くなった佐木隆三氏の書籍です。書かれている事件が起こったのは、ちょうど16年前(11月22日)のことです。私は、加害者もさることながら、この事件に限らず何かあると無責任に騒いで、でも何の責任も負わないまま自らの理性をスポイルしていく大衆の「心の闇」も気になります。



喜多嶋舞の息子の問題が大騒ぎですね。

Yahoo!ニュースについたコメントを読んでいると、「メディアは、喜多嶋舞の所属事務所が大きいから、批判できない」とする鋭い意見もあれば、一方で、ステレオタイプといいますか、「息子さんが可哀想」論が相変わらず出ていますね。

その方々に改めてお尋ねしたい。

本当に可愛そうなんですか?

いったい何の跡をとるのでしょうか

親のゴタゴタは、子どもが可哀想に決まっている

という思い込みでステレオタイプのコメントをして、自己満足の善人ぶっていませんか。

子どもといったって、3つや4つの子じゃあるまいし、無謬とは限りませんよ。

まあ、多様な意見があるのは悪いことではありませんが、報じられている限りでは、実感がわきません。

今回の訴訟に至る経緯で、息子は親子関係を証明する鑑定書を見たことがある、と発言したと報じられています。
http://www.oricon.co.jp/news/2032754/full/

が、今回の判決のとおりなら、それは事実ではなかった(つまりウソをついた)か、まあ善意の表現をしても「重大な勘違い」だったわけです。

だから、訴訟になったのでしょう。

つまり、息子は本件公訴提起の動機に積極的に関与していると言わざるをえないわけです。

もとより、子どもは行きどころがなくて孤立しているわけではなく、大沢樹生と決別して母親についているのだから、第三者が同情したり心配したりする必要もないでしょう。

もうひとつ、気になったことがあります。

この件で、和田アキ子が誤解されています。

和田アキ子は、22日の『アッコにおまかせ』で、小島瑠璃子の喜多嶋舞側に立った発言を、慎重ではありますが大沢樹生側にたって反論しています。
http://news.livedoor.com/article/detail/10862982/

ところが、別のニュースで、「人がとやかくいう問題じゃないから」という言葉尻だけを切り取った不見識なニュースが出ると、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151122-00000038-dal-ent

前後の文脈も確かめもせず、ネット民たちは興奮をして和田アキ子をバッシング。

バックが怖いから「とやかくい」わないんだろう

とか、

あんたは他のことをとやかく言ってきただろう

という悪意のコメントがものすごい勢いで延々と続きました。

たしかに、和田アキ子のご意見番気取りには、いろいろ疑問符がつくこともありますが、今回に限っていえば、和田アキ子が小島瑠璃子と対立したのは、大沢樹生側に配慮した物言いだからであり、そういう了見のバッシングなら、第一義的には小島瑠璃子にすべきではないでしょうか。

要するに、興奮している者達はまじめに経緯を見ていない。

芸能ニュースの字面で遊んでいるだけなのです。

でも、コメントのつき方を見ていると、「遊んでいる」というのどかなものじゃない。

刹那的で、悪意むき出しで……。

それも一斉に。

ネットって怖いなあって思います。

社会で話題になっていることがあるたびに、いつもこんなことを繰り返す。

それによって自らの理性をスポイルし、だんだんきちんとものを考えることができなくなっていくのです。

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その書き込みに責任は持てますか


なぜこんなことを書いたかというと、ちょうど16年前(11月22日)に起きた、音羽事件、別名、文京区女児殺人事件をめぐる、マスコミと大衆の不見識さを思い出したからです。

16年たっても、大衆は何も変わっていないんですね。

同事件は最初、お受験殺人という憶測が流れたら、その方向で世間は興奮しました。

まあ、まだこれは社会的な風潮に責任を求めたのですからともかくとして、その次が許せません。

女児を殺害された母親が、高慢ちきな人間だったから子どもが殺されても仕方ない、という説がメディアに出て、それにのった大衆が興奮してあることないことバッシングが起きました。

でも、裁判では、いずれも否定され、もっぱら加害者の女性の人格に原因があったことが立証されました。

しかし、その時興奮して、被害者の母親をバッシングした者達は、何らの自己批判もなく、自分の行為を忘れちゃうんですよね。

被害者の母親が、どれだけ傷ついても何の責任も取らない。

そしてまた、新しい関心事で合理性もない方向に興奮する。

為政者はそういう低級な大衆が大好きなんです

ネットでは、しばしば政治的な主張が書かれますよね。

言論の自由ですから、それは妨げられません。

問題意識を持ち意見を表明することは、民主主義的健全さのあらわれです。

でも、それが、非理性的なもので、勢いがついて多数になったらどうなんでしょう。

そう考えると、怖いなあと私は思います。

たとえば、反原発、脱原発。反対運動はいいです。

でも、科学的にトンデモなことを主張してたら、原発反対はしょせん非科学的なものだからとされてしまい、科学的な立場からのまじめな原子力行政や原発に対する懸念までが軽視されてしまうのです。

福島で病人が出た、鼻血が出たというと、すぐ原発のせいだと無根拠に騒いで自己満足している人たちは、そのへんわかっているのでしょうか。

インターネットの時代になり、ブログなり、SNSなり、ポータルサイトのニュースのコメントなりで、無名の一個人でも何のハードルもなく意見が発信できます。

つい、匿名だと、書捨て気分で、行き過ぎたことを書き込んでしまうこともあるでしょうが、ひとりひとりが意見の表明には、ほんのちょっと、立ち止まって考える慎重さがあっても良いんじゃないかと思います。

音羽幼女殺害事件―山田みつ子の「心の闇」

音羽幼女殺害事件―山田みつ子の「心の闇」

  • 作者: 佐木 隆三
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: 単行本


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コメント 3

昆野誠吾

あれ?コメント欄が開いてる!
ということで、一言。
先週、憶測と偏った正義感から酷い糾弾をし
某ブログを削除に追い込んだブログがありますね。
そこに並ぶコメントなども同じようなもんだなぁと
思いました。ネットは本当に恐ろしい空間ですね。
自分、本名だからコメントも神経使います(笑
by 昆野誠吾 (2015-11-25 17:10) 

いっぷく

今回の記事は、個人攻撃したわけではありませんが、
「大衆は……」という書き方をしたので
反論を受け付けようと思い、コメント欄を開けました。
コメントは書くのも斟酌するのも苦手なので、
最近は閉じているのですけどね。
某ブログ削除は個人的には残念でしたね。
私は小心なので、ああいうことがあると、
コメント欄をますます開けにくくなります。

by いっぷく (2015-11-27 22:39) 

ちゅんちゅんちゅん

おはようございます!
ネットも そしてブログも「楽しく」やっていきたいです。
魔女狩りみたいな怖さと不快感で
しばらくはユーウツでした。
心が重くて ブログも滞りがちになりました。
なぜ 自分がこんなに不愉快にならねばならないのか
見たことを後悔しました。
個人攻撃して「楽しい・スッキリする」と思う人が多いのでしょうか
ストレス発散? 病んでいる?
ネットは恐ろしい世界ですが
自分は自分の世界を崩さずやっていきたいです。


by ちゅんちゅんちゅん (2015-12-03 08:58) 

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