『喜劇一発勝負』山田洋次監督が描く“因果は巡る”親子関係 [懐かし映画・ドラマ]
『喜劇一発勝負』(1967年、松竹)を鑑賞しました。本作は、脚本が山田洋次と宮崎晃。撮影は高羽哲夫、監督は山田洋次の『男はつらいよ』コンビです。しかし、国民的映画であった『男はつらいよ』とは全く違うタイプの喜劇です。主演はハナ肇で、倍賞千恵子や加東大介らが出演しています。
『喜劇一発勝負』は、4日前に記事にした『喜劇一発大必勝』と同様に、ハナ肇が演じる破天荒なキャラクターを主役にするシリーズで、山田洋次監督にとってはハナ肇とのコンビが7作目になります。
本作も、今だったらテレビにも映画にも出てこないえげつないシーンが出てきます。
『男はつらいよ』のファンなら、あの山田洋次監督が、こんな作品を撮っていたのか、とびっくりされると思います。
まあ考えてみれば、あの国民的アニメになった『ドラえもん』も、原作のジャイアンはもっと意地悪だし、作品全体にトゲがあったように思います。
赤塚不二夫の『天才バカボン』も、テレビでは使えない話がたくさんあります。
人権意識や社会規範が、現代は進化したということだろうと思いますが、当時は創作物が、今よりもう少し自由に作られていたともいえるかもしれません。
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松竹が予告編をYoutubeにアップしています。
旅館二宮荘の長男・孝吉(ハナ肇)が、父親(加東大介)と喧嘩して家を飛び出すところから始まります。要するに、名前とは逆に、ハナ肇は親不孝な男なのです。
次のシーンでは、女性が「孝吉の子どもだ」と乳児(女児)・マリ子を二宮荘に置いていき、その数年後に、孝吉の母親・礼子(露原千草)が亡くなってオープニングです。
今回、倍賞千恵子はハナ肇の妹である美大生・信子役で出演しています。
メインタイトルの後は、ちょうど礼子の一周忌に、孝吉が戻ってきます。
駅の洗面所で顔を洗うシーンは、『男はつらいよ』のテレビ版にもありました。
一周忌のお経の最中にハナ肇はうまく家に入り込み、加東大介の友人の石丸医師(三井弘次)と酒を汲み交していましたが、丼鉢の酒を一気に飲むと急に倒れこみ、三井弘次は死亡と診断。
翌日、お通夜もせずに急に葬儀が営まれます。
参列した友人(犬塚弘、桜井センリ)が棺桶に向かって語りかけると返事がして、棺からハナ肇が出てきます。
『喜劇一発大必勝』でも、谷啓が棺桶から引きずり出されて踊らされて生き返るというシーンがありましたが、喜劇には、死んだ人が生き返るという展開がよくあります。
バカバカしいのを承知でそんなシーンを作るのは、人間が抱く死への恐怖を、「そういうことがあればいいなあ」という思いから描いているのかもしれません。
ハナ肇は、鉱山技師と称する山口(谷啓)をどこかから呼び、犬塚弘、桜井センリらと4人で温泉のボーリングに乗り出します。温泉を掘り起こして一山当てるというのです。
あちらこちらから金を借りまくり、二宮荘の家宝を内緒で売り飛ばして、ショックで加東大介は脳梗塞を起こして寝込みます。
谷啓は寝タバコによって、結果的にボヤですみましたが二宮荘に火事騒ぎを起こすし、魚がないからと金魚鉢から手づかみで金魚を鍋に入れて食べたり、笑い茸を食べて入院したりもします。
さすがに、金魚を鍋に入れて食べるシーンは、今ならできないでしょう。
少し前の1963年には、以前ご紹介した『喜劇駅前茶釜』で、飼い犬の犬肉鍋を伴淳三郎に食べさせるシーンがありました。
さばいたのは森繁久彌で、犬が暴れたとか、その様子を語っているのですが、当時はそんなシーンが当たり前に出てきたんでしょうね。
夏目漱石の『坊っちゃん』の清のように、ハナ肇をかばう役回りだった仲居のふみ(北林谷栄)は、ハナ肇の身勝手な行動に責任を感じて二宮荘から去ります。
ところが、虚仮の一念でハナ肇は温泉を掘り当て、大金持ちになってふみを呼び戻します。
なんだ、平凡なラストだなと思ったら、物語はそこでは終わりませんでした。
ナンパなあんちゃん(堺正章、井上順)と東京に遊びに行くというマリ子(瞳ひかる)を加東大介が止めるのですが、マリ子の兄ということになっていたハナ肇が「いいじゃねえか」とたしなめると、加東大介は、それまで秘密にされていた、ハナ肇とマリ子(瞳ひかる)が実の父子であることをばらしてしまいます。
すると、ハナ肇は急に父親の分別で瞳ひかるを止めるのですが、瞳ひかるは無視して出て行ってしまいます。
ハナ肇が「この親不孝め」と怒っていると、加東大介が
「今頃気がついたのか、馬鹿め」と悲しそうに笑って物語は終わります。
親に背く子どもを持った気持ちを思い知ったか、ということなのでしょう。
家を出るならともかく、たかが東京に遊びに行くぐらいですと、ちょっとインパクトが弱い感じもしますが、当時はそういう「遊び」はおおごとだったのかもしれません。
『喜劇一発勝負』は、4日前に記事にした『喜劇一発大必勝』と同様に、ハナ肇が演じる破天荒なキャラクターを主役にするシリーズで、山田洋次監督にとってはハナ肇とのコンビが7作目になります。
本作も、今だったらテレビにも映画にも出てこないえげつないシーンが出てきます。
『男はつらいよ』のファンなら、あの山田洋次監督が、こんな作品を撮っていたのか、とびっくりされると思います。
まあ考えてみれば、あの国民的アニメになった『ドラえもん』も、原作のジャイアンはもっと意地悪だし、作品全体にトゲがあったように思います。
赤塚不二夫の『天才バカボン』も、テレビでは使えない話がたくさんあります。
人権意識や社会規範が、現代は進化したということだろうと思いますが、当時は創作物が、今よりもう少し自由に作られていたともいえるかもしれません。
ネタバレ御免のあらすじ
松竹が予告編をYoutubeにアップしています。
旅館二宮荘の長男・孝吉(ハナ肇)が、父親(加東大介)と喧嘩して家を飛び出すところから始まります。要するに、名前とは逆に、ハナ肇は親不孝な男なのです。
次のシーンでは、女性が「孝吉の子どもだ」と乳児(女児)・マリ子を二宮荘に置いていき、その数年後に、孝吉の母親・礼子(露原千草)が亡くなってオープニングです。
今回、倍賞千恵子はハナ肇の妹である美大生・信子役で出演しています。
メインタイトルの後は、ちょうど礼子の一周忌に、孝吉が戻ってきます。
駅の洗面所で顔を洗うシーンは、『男はつらいよ』のテレビ版にもありました。
一周忌のお経の最中にハナ肇はうまく家に入り込み、加東大介の友人の石丸医師(三井弘次)と酒を汲み交していましたが、丼鉢の酒を一気に飲むと急に倒れこみ、三井弘次は死亡と診断。
翌日、お通夜もせずに急に葬儀が営まれます。
参列した友人(犬塚弘、桜井センリ)が棺桶に向かって語りかけると返事がして、棺からハナ肇が出てきます。
『喜劇一発大必勝』でも、谷啓が棺桶から引きずり出されて踊らされて生き返るというシーンがありましたが、喜劇には、死んだ人が生き返るという展開がよくあります。
バカバカしいのを承知でそんなシーンを作るのは、人間が抱く死への恐怖を、「そういうことがあればいいなあ」という思いから描いているのかもしれません。
ハナ肇は、鉱山技師と称する山口(谷啓)をどこかから呼び、犬塚弘、桜井センリらと4人で温泉のボーリングに乗り出します。温泉を掘り起こして一山当てるというのです。
あちらこちらから金を借りまくり、二宮荘の家宝を内緒で売り飛ばして、ショックで加東大介は脳梗塞を起こして寝込みます。
谷啓は寝タバコによって、結果的にボヤですみましたが二宮荘に火事騒ぎを起こすし、魚がないからと金魚鉢から手づかみで金魚を鍋に入れて食べたり、笑い茸を食べて入院したりもします。
さすがに、金魚を鍋に入れて食べるシーンは、今ならできないでしょう。
少し前の1963年には、以前ご紹介した『喜劇駅前茶釜』で、飼い犬の犬肉鍋を伴淳三郎に食べさせるシーンがありました。
さばいたのは森繁久彌で、犬が暴れたとか、その様子を語っているのですが、当時はそんなシーンが当たり前に出てきたんでしょうね。
夏目漱石の『坊っちゃん』の清のように、ハナ肇をかばう役回りだった仲居のふみ(北林谷栄)は、ハナ肇の身勝手な行動に責任を感じて二宮荘から去ります。
ところが、虚仮の一念でハナ肇は温泉を掘り当て、大金持ちになってふみを呼び戻します。
なんだ、平凡なラストだなと思ったら、物語はそこでは終わりませんでした。
“因果はめぐる”の諧謔ラスト
ナンパなあんちゃん(堺正章、井上順)と東京に遊びに行くというマリ子(瞳ひかる)を加東大介が止めるのですが、マリ子の兄ということになっていたハナ肇が「いいじゃねえか」とたしなめると、加東大介は、それまで秘密にされていた、ハナ肇とマリ子(瞳ひかる)が実の父子であることをばらしてしまいます。
すると、ハナ肇は急に父親の分別で瞳ひかるを止めるのですが、瞳ひかるは無視して出て行ってしまいます。
ハナ肇が「この親不孝め」と怒っていると、加東大介が
「今頃気がついたのか、馬鹿め」と悲しそうに笑って物語は終わります。
親に背く子どもを持った気持ちを思い知ったか、ということなのでしょう。
家を出るならともかく、たかが東京に遊びに行くぐらいですと、ちょっとインパクトが弱い感じもしますが、当時はそういう「遊び」はおおごとだったのかもしれません。
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