『喜劇駅前飯店』を即席ラーメン記念日に鑑賞する [東宝昭和喜劇]
『喜劇駅前飯店』(1962年暮れ/1963年正月映画、東京映画/東宝)を鑑賞しました。8月25日は、即席ラーメン記念日だそうですね。1958年に、日清食品が世界初の即席ラーメン「チキンラーメン」を発売した日を記念して制定されたそうです。(画像は劇中より)
『喜劇駅前飯店』には、エースコックのワンタンメンが、「チキンラーメン」と呼ばれて登場します。
映画の中では、新東宝や東映のグラマラス女優で一世を風靡した三原葉子が、麺をそのままポリポリ食べていて、それをフランキー堺にあげるシーンや、
どんぶりに作ってフランキー堺が食べようとした時、山茶花究がやってきて、2人で「ブタブタコブタ、こいつにきめた ぶー」という、当時はやっていたエースコックのコマーシャルのフレーズを口ずさむのです。
が、ラーメンを指すセリフでは「チキンラーメン」といっています。
画面を見ると、どう見てもエースコック。
当時は、即席ラーメンの代名詞としてチキンラーメンと呼んでいたので、フェルトペンといわずにマジックペンと呼ぶようなものでしょうね。
チキンラーメンは、まさにインスタントラーメンの先駆的存在だったということだと思います。
ワンタンメンにかぎらず、「ブタブタコブタ」というフレーズがエースコックのCMには必ず入ります。
この映画から53年たった現在でも、スギちゃん編のエースコックのワンタンメンのCMでは使われているみたいですね。
それにしても、このシリーズは、エースコックのインスタントラーメンと縁があります。
その6年後に上映された『喜劇駅前開運』では、東京・赤羽東西商店街の対立がテーマだったのですが、やはりフランキー堺の食料品店が、オリジナルの「駅前ラーメン」を販売しているというストーリーで、エースコックから実際に同名の商品が販売されました。
それだけ、映画の社会的な影響力もあったということでしょうね。
ネタバレ御免のあらすじ
本作は、全24作ある喜劇駅前シリーズ第5作目。
舞台は横浜・石川町の中華街です。
丘の上には「港の見える丘公園」があり、夜はベイブリッジの夜景を見にカップルで賑わうところです。
ま、当時はベイブリッジはありませんでしたが。
それはともかく、森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺、三木のり平らは、いずれも華僑。
中華料理店、商社、理髪店などそれぞれ事業を営んでいます。
森繁久彌は淡島千景と、伴淳三郎は乙羽信子と夫婦で、夫人は日本人という設定です。娘は大空真弓。
伴淳三郎夫妻の息子は、『水戸黄門』のうっかり八兵衛でお馴染み高橋元太郎。
森繁久彌の店を売り飛ばしたい、自称華僑(実は日本人)のうさんくさいエージェントが山茶花究で、やはり偽中国人の夫人で占い師が森光子。
その他、芸者置屋の女将が毎度おなじみ沢村貞子、芸者が池内淳子。マダムが淡路恵子。
本作から、スポーツ分野の特別出演枠があり、今回は王貞治。
しかし、このときはまだ「世界の王」ではなく、初めて本塁打王になったシーズンといいますから、時代を感じさせます。
その次に出てくるジャイアント馬場(喜劇駅前茶釜)も、まだ力道山存命でエースではありませんでしたし、佐田乃山(喜劇駅前女将)も横綱になる前で、サンダー杉山もプロレスデビュー前でした。
そういう意味で、この作品に出演オファーが来るというのは、スポーツ選手としてはスターへの登竜門だったといえるかもしれませんね。
で、本作のストーリーですが、出演者がいくつかのエピソードで絡み、悪役・山茶花究の店買収は失敗してハッピーエンドという、東宝らしいパターンです。
本作の監督は久松青児。
中央が久松青児監督(『東宝昭和の爆笑喜劇Voi.24』より)
本シリーズのもう一人のメイン監督である豊田四郎は社会派ですが、久松青児監督は、群像喜劇の名監督で、出演者の個性を上手に引き出して手堅くまとめる方です。
昭和の古き好き時代の喜劇を楽しみたい方にはぜひお勧めしたい作品です。
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